9/ 10th, 2010 | Author: Ken |
だから何なんだってんだよ?… 此の1枚 … Miles/2
So What? だから何なんだってんだよ? ….気難し屋のマイルスの口癖だ。モード手法に挑んだ「カインド・オブ・ブルー」1959は名作中の名作だ。ビル・エバンスのリリシズムと相まって音楽性、完成度、モダンジャズの最高峰だった。マイルスをライブで聞いてみたい!そうしたらやって来たのだ。1964年7月だった。世界ジャズフェスティバルと銘打ってその先端としての来日だった。それまで「My Funny Valentine」「Four and More」などが発売されていたから、そのまま生で聞けるんだ!興奮しましたね。但しtsのジョージ・コールマンがサム・リヴァースだった。超高速で Walkin’ や So What?をマイルスが吹きまくる。それをトニー・ウィリアムスのドラミングがよりスリリングに盛り上げるのだ。エキサイティングでギラリとした抜き身のナイフを思わせた。モダンジャズの限界に挑み打ち破ろうとする超絶の演奏だった。1964年にはMiles in Tokyo、Miles in Berlinなど何枚かのライブアルバムがあるが「Four and More」が最高だろう。…後に「ジャズ・ジャイアンツ」というTVを見ていたらマイルスが凄い格好、エレクトリック・ジャズでブロウしている。そして自分の過去のフィルム(端正なスーツやタキシードを着て演奏していたKind of Blueの頃だ)を見て言うのだ。「とにかく最高のバンドだった。今見てもゾッとするね。ただ早く止めて良かった…。」マイルスは立ち止まらない人だ。
それ以後、時代の風潮とともにオカルティックな音楽に入って行く。「Bitches Brew」で新たな世界を展開して行くのだ。
9/ 6th, 2010 | Author: Ken |
Miles Smilesだ。…此の1枚…Miles/1
マイルス・デヴィスを1枚選べといってもどだい無理な話だ。極端なことを言うとモダンジャズの歴史はマイルスの歴史といってもいい。レコードを時代順に並べるとそれぞれがエポックメーキングを成しマイルストーン(里標石)であり、そしてMilesのtone(音色)であるのだ。「クールの誕生」を始め、いちいちここで名盤を説明するまでもなかろう。だから個人の思い入れとしての1枚なのだ。
…マイルスを一言でいえば、何たってカッコいい!「Walkin’」1954、針を下ろした瞬間から熱気に包まれたハードバップの意気と息吹が迫って来る。そしてユニゾンで高らかにリフレイン!…もう最高の気分にさせてくれる。「Bags Groove」まさにグルービー、イーストコーストのプレーヤーたちの溌剌とした自信と表現。これがモダンジャズだ!「Cockin’」何といってもMy Funny Valentine、このリリシズム、歌心、ミュートが泣くのです。たまりませんね。「Round Midnight」イントロから張りつめた緊張感、それが高まりブリッジで絶頂へ、コルトレーンが引き継ぎ….。夜もすがら浸りたい気分にさせてくれる。
ぼくは完全にノックアウトされたのだ。マイルスみたいに吹いてみたい。乏しい給料から月賦でトランペットを買った。音楽素養なんてまったく無しの素人が、だ。教則本で運指を憶えドレミファが吹けるようになると、LPを繰り返し々….、ワンフレーズを記憶し、次にペットで音を探る。そして譜面にコピーするのだ(涙ぐましいというよりいじらしいですね)。そしてコードはよく分からないからピアノが弾ける友人に頼み…。ソロまでフルコピーして真似をしていたのだ(いまでも微かに憶えている)。どれくらいジャズを愛していたか分かるでしょう? …コピーした譜面はほとんど散逸してしまったが、虚仮の一念、結構正確にコピー出来ていた(お恥ずかしい)。特にマイ・ファニーヴァレンタインはどれくらい練習しただろう。でもいい思い出もある。夜毎ミュートをつけて練習していると、ある夜突如ドアを開けて熊みたいな男が入ってくるではないか!驚いたね。「マイルスですね!」彼は前を通る度に聞こえてくる下手なペットが気になってしょうがなかった。で思い切ってドアを開けたと。彼は大学でジャズをやっていたから腕はぼくなんかと雲泥の差だ。それから随分と教えてもらった。彼はプロを目指し東京へ行った。やっと活躍し始めると身体を壊し夢半ばで帰ってきた。それでも夢は断ち難く、地元T高校のブラスバンド部の音楽監督として手伝い、高校ジャズバンドとして日本一に何度も輝いたという。素晴らしいことだ。
O君いまどうしているだろう。….いつもぶっきらぼうのマイルス、彼の素晴らしい音楽の縁がぼくの心にスマイルをくれた。Miles Smiles…マイルスに乾杯だ。
9/ 2nd, 2010 | Author: Ken |
Giant Steps…..此の1枚。
もう半世紀近くも過ぎてしまったとは自分でも信じられない。まだ振り絞るサウンドと限界に挑戦するトレーンの姿が目に浮かぶ。ジョン・コルトレーンの「Giant Steps」。LPに針を下ろした。スニーカーを投げ飛ばすほど素晴らしい。音が切れ目なく高速で織り紡がれるシーツ・オブ・サウンドに飲み込まれてしまったのだ。まさに偉大なる一歩、ジャイアント・ステップスだ。
特に「Mr.P.C.」の目紛しいインプロヴィゼーションに興奮した。PC(パソコンじゃないよ)とはコルトレーンの盟友ベーシスト、ポール・チェンバースのことだ。彼の大胆で強力、太い響きが僕の心臓の鼓動と重なりより興奮が嵩まっていく…。その兆しは「ブルー・トレーン」「ソウル・トレーン」にあった。超スピードで展開するロシアン・ララバイなんて!そりゃあ…。
そしてトレーンのひた向きな音楽姿勢に深く魅了されていった。トレーンは模索し続け、モード、インド音楽、フリージャズへと荒修行僧のように己を高め、憑かれたように疾走した。そして「神」と出会ったのか「至上の愛」を発表。ぼくは戸惑った。むしろ「神」を否定してほしかったのだ。60年代は革命の時代だ。革命は暴力を伴い、旧体制を焼き尽くし、既成概念からの脱却こそ今の世界意識だと(若かったのですね。お恥ずかしい)。だがトレーンの抽象的革新への挑戦は留まるところを知らない。
ドルフィーとの「インプレッションズ」「アセンション」「メディテーション」そして「エクスプレッション」へと…。1966年だった。トレーンが来日したのだ。無理をしてフェスティバルホールのかぶりつきを手に入れた。激しく、烈しく、劇しく、壮絶な音の洪水、サウンドの奔流。ソロが終わると打楽器で休む暇無く複合リズムを創り出して行く。迸る汗と真摯すぎる熱の全力疾走なのだ。これがトレーンの世界だ!。濃密過ぎるサウンドの渦に溺れながらぼくは感じた。彼は「死」を意識しているんだ。
だから「神」に近づき、修行僧となり、己を燃焼し尽くしたいのだ。いくら演奏しても限りがないのだ。「生と死」の凄絶なまでのプレイなのだ。…..トレーン帰国後、彼の訃報を知った。ああ、だからあそこまで….。幸せに満ちて神の園へ昇天できたのだろう。
●来日メンバー:ジョン・コルトーレーン(ts・ss)、ファラオ・サンダース(ts)、アリス・コルトレーン(p)、ジミー・ギャリソン(b)、ラッシッド・アリ(ds)
8/ 28th, 2010 | Author: Ken |
WE INSIST! 我々は主張する!….此の1枚。
60年代の前半だった。パックス・アメリカーナに陰りが見え始め、ケネディ暗殺、ヴェトナム戦争、公民権運動….そしてモダンジャズが最高にクールな時代だった。「WE INSIST!」我々は主張する。
http://www.youtube.com/watch?v=Un9EOjbUWVA&feature=related
マックス・ローチのLPを手に取った時、その写真に一触即発のヒリヒリするようなスリリングな空気を感じた。振り返る黒人たちの向こうにボウタイをつけたバーテンダーの冷たい視線がある。マックス・ローチは黒人運動の闘士であった。それだけにLPの中身が濃く壮絶なのだ。時代は冷戦の真只中、アフリカに次々と植民地から民族独立のイデオロギーが芽生え内戦が多発した。その黒人たちの自由への世界がテーマなのだが、とにかくにも音楽の過激性に驚愕したのだ。
… 今から思えば若いということは暴力的過激さを好む。ゲバルトという言葉が現れる少し前だったか。
そして「WE INSIST!」を引っ提げてマックス・ローチが来日したのだ。コンサートでは圧倒された。アビ・リンカーンが質素な(ブルーシャンブレーだったと思う)ドレスで歌う。悲鳴、絶叫、凄まじい叫喚にローチの爆発するドラミング。レコードとライブとはこんなにも違うものか!打ちのめされた。 http://www.youtube.com/watch?v=85M7LTbCl-0&feature=related
この「祈り」「抵抗」「安寧」のドラマをYOU TUBEでぜひ見て欲しい。ショッキングで限りなく静謐で美しい。マックス・ローチはバップを作った巨人の一人だ。ブラウニーやロリンズとの素晴らしいとしか言いようの無い名盤が数多くある。知的で正確無比のドラミング、リズム楽器が歌うのだ。あのクールな彼が、ローチが…..。熱い日々、熱いジャズ、音楽に主張があった熱い時代。高校生のぼくには刺激が強過ぎた。当然として益々ジャズにのめり込んでいった。そして4大ドラマー世紀の対決、ドラム合戦にもローチが来たのだ。これは別の機会に。
”We Insist!” Tears For Johannesberg / Driverman Triptych / All Africa / Freedom Day
Max Roach (ds) Booker Little (tp) Coleman Hawkins (ts) Abbey Lincoln (vo) Michael Olatunji (conga) other 1960
8/ 17th, 2010 | Author: Ken |
直立猿人… 此の一枚。
ベースが重く暗いピッツイカートを刻む。深い原初の森を歩く足音のようだ。低くホーンがユニゾンで高まり、突如ホーンが咆哮する。
マクリーンのアルト、引き攣ったようなソロ、ホーンがアブストラクトに交錯する。「ピテカントロプス・エレクトス/直立猿人」だ。1956年録音とあるからその頃だろう。初めて聞いたとき驚愕した。なんてパワーだ、極太いのだ、激しいのだ、破壊的なのだ。
チャールズ・ミンガスのベースが吠え、フリージャズの熱気と激しいコントラストと高らかに歌いあげるソウルがあるのだ。そしてマクリーンの即興演奏には哀切がある。…ミンガスの解説によれば、Evolution(進化)→ Superiority Complex(優越感)→ Decline(衰退)→ Destruction(滅亡)の4部構成の組曲である。人類の歴史と文明社会を風刺し、黒人の社会意識の高まりとブラックパワーの宣言とも感じた。そして1971年に来日したのだ。ぼくは大阪サンケイホールで聴いた。メンバーは変わっていたがミンガスの力強いベースが牽引するサウンドは分厚く凄みがあった。あの頃はジャズに真摯に向っていた。レコードとジャズ喫茶とコンサートと。
….熱い年齢だった。それより「ハイチ人戦闘の歌」「水曜の夜の祈りの集い」「フォーブス知事のおとぎ話」とミンガスサウンドに打ちのめされたものだ。
●「PITHECANTHROPUS ERECTUS」チャールズ・ミンガス(b) ジャッキー・マクリーン(as) モンテローズ(ts)マル・ウォルドロン(p) ウィリー・ジョーンズ(d)
5/ 13th, 2010 | Author: Ken |
あの娘はルイジアナママ
ジャズのルーツを訪ねたくてニューオリンズに行った。といえば聞こえはいいが、いや単なる観光気分さ。ハリケーン・カトリーナのずーっとずーっと前のことだ。N.Y.からのフライトで隣は典型的レッドネックのビジネスマンだ。やたらとジョークまじりで話しかけてくるんだが、こちとら英語は不調法なものでね。早速アイオープナーだといって、ブラディメアリーを奢ってくれる。で、こちらも奢り返す。差しつ差されつ何杯飲んだかね。でふらふらになって到着した。オッサンは「じゃまたな!シーユー・レター・アリゲーター」なんてセリフで去っていった。気のいい南部人だ。
ニューオリンズだ。冬だというのに蒸し暑い。「朝日のあたる家」がかってあったのだ。「欲望」という名の市電が走っているのだ。茶濁したミシシッピーにスチームボート、ジャズ発祥の地だ。何だかんだで老若男女の大観光地なんですね。生牡蠣、蟹、ロブスター、ポーボーイ、ジャンバラヤ…ケイジャン料理は美味しいし、街角にはギター弾きがブルーズを。ン、これがミシシッピー・デルタ・ブルーズか!少年のタップダンス、デキシーランドだね。
そりゃみんな浮かれますよ。夜ともなればフレンチ・クオーターへ。まあ、ストリップと観光ジャズ、土産物屋の大賑わい。うーん、こんなはずじゃなかった。ぼくは真面目にブルーズをトラディショナル・ジャズを聞きたかったのに…。まあ来た以上プレザベーション・ホールに行こ!ここは何と本当の土間なんだ。そこに座り込んで今夜は「スイート・エマ・バレット」。クリオールの女性で若い頃は可愛かったんだろーな。大婆さんだが膝に鈴をつけて弾き語り。ウーン、ビリー・ホリデイのルーツはここにあるか!ブルーズは泣き笑い。明るく楽しいのにブルーで悲しい。ジェリーロル・モートンを彷彿させる酒場のトラディショナル・ジャズだ。歴史だね。
彼女を聞けたのはラッキーだった。遠い昔のスイート・エマという「ルイジアナママ」に会ったのだ。
何と!You TubeにSweet Emmaがあるじゃないか!
http://www.youtube.com/watch?v=xhtG5YrQ-lY
http://www.youtube.com/watch?v=V41xvvRJk3o&a=roZdL9IrLEw&playnext_from=ML
3/ 11th, 2010 | Author: Ken |
アルペジョーネ・ソナタ
この切なさや何ならむ…。シューベルトを聞くと何やら胸が痛む。暗く哀しく美しく、見果てぬ夢というか、憧れというか、切ないのである。通俗的にロマン派と言切っては軽いのだ。1848年、31歳で夭折した天才の晩年に作曲されたアルペジョーネ・ソナタは弦楽四重奏曲「死と乙女」同じ頃の作品である。抑鬱症だろうか楽曲は暗澹たる表情に満ちているが、第二主題の明朗で軽やかな旋律と対照的に歌われ、叙情的でひたすら美しい哀しみなのだ。
アルペジョーネとはチェロを小ぶりにしたような楽器と聞くが写真でしか見た事がない。この曲をフルートで演奏することも多いのだ。
ぼくもフルートで次はこの曲をやります。と先生に相談してひたすら練習したのだが、練習途中に阪神大震災が起った。練習どころじゃなかったし、何故かフルートへの愛着が薄れてきた。それでも発表会に出たり仲間とのレッスンにも参加していたのだが、新しい事務所を作ったりしているうちに止めてしまった。いまでも時々は吹いてみるのだが10年のブランクは大きい。…見果てぬ夢である。
アルペジョーネとピアノのためのソナタイ・短調(a-moll)D.821 オーレル・ニコレ(フルート) 小林道男(ピアノ)
3/ 4th, 2010 | Author: Ken |
Modern Jazzの黎明と衰退。
こんな雑誌が出てきた。フリスコの古本屋で買った古い記憶がある。エスクアイヤー誌の別冊、ジャズブック1945〜47年号だ。ビバップの夜明けは戦時中のミントン・プレイハウス。まだマイルスが20歳前、パーカーやガレスピーたちが始めた新しい音楽だ。
ここからモダンジャズが始まった。45年はまだスィングの時代。プレイヤーも大人、みんなタキシードやイブニングで演奏、クラブのダンス音楽の観がある。紳士とレディが楽しむエンターテイメント音楽だ。ディユーク・エリントン、ベニー・グッドマン、ビリー・ホリデイ、ダイナ・ショア…。日本では腹を空かせて闇市をうろつき、笠置シズ子がブギウギの女王と呼ばれていた頃だ。
そしてノーマン・グランツのJATP(Jazz at the Philharmonic)が世界を巡り、日本では進駐軍のためにやって来たのが戦後ジャズの始めと聞く。もちろん僕は幼児だったから名前さえ知らない。でも日本のジャズブームを巻き起したのはジョージ川口を始め、渡辺貞男、秋吉敏子、松本英彦など、みんな米軍キャンプから育った人たちだ。
日本の第二期ブームがアート・ブレイキーとジャズメッ・センジャーズだ。僕はこれに洗礼を受けた。それにハマったね。随分とLPにコンサートに行った。おかげでいつもピーピーしていた。そして68年にマイルスの「ビッチェズ・ブリュー」。もうワクワクして、凄い!来るべき音楽と感じた。しかしだ、興奮は長くは続かなかった。プレイヤーが歳を経ていつのまにかジャズにエネルギーと創造性が無くなってきた。僕は何とか80年頃までジャズにお付き合いしたが…。あのマイルスがだよ!大阪の扇町プールでライブしたんだ。「マン・ウイズ・ザ・ホーン」の頃かな。事故で痛めた脚を引きずりながら弱々しい音で、見るのが辛かった。あの英雄が…。
結局モダンジャズも50〜60年代と20〜30年位しか続かなかった音楽だ。僕は同時代、全盛期に当たったのが幸せだ。今のジャズシーンはほとんど知らないが、懐メロジャズとチマチマしたジャズみたいだ。ジャズがエネルギーを失ったらお終いだ。
「古き良き時代」とか遺恨には陥りたくはないしね。強烈に「始めてだ!こんな音楽、サウンド!」「これぞ新しい音だ!」
そんな興奮する音楽はもう生まれないのだろうか。
1/ 23rd, 2010 | Author: Ken |
インタープレイ
ジャズを聞かなくなって久しい。78年頃まではまだレコードを買ったり、ライブにも出かけた。いつのまにかジャズにクリエイティブが消え失せ懐メロに聞こえ始めた。プレイヤーが歳を取り時代の音では無くなったのだ。あの前衛性が消えたのだ。エネルギーを失った音楽は聞けない。ジャズから創造性が失われれば、それは通俗になるのだ。現在のジャズシーンは知らないが、時々友人がジャズバーなんかに誘ってくれる。お決まりの鼻声で「A列車で行こう」だ。またスパーマーケットのBGMでマイルスが流されている…。
そのなかでも古びない緊張感を聞かせてくれるのがビル・エヴァンスだ。音の一つひとつが美しい。リリカル、知的、スリリング、クリアな色彩、抑制、それでいてダイナミック。そして何よりも美意識。ビル・エヴァンス独特のスリルが漲る世界、その間に見える叙情性がたまらなく好きだ。初期のスコット・ラファロ(b)とのイマジネイティヴなトリオの絡み合い絶妙さ、チャック・イスラエル(b)とのインタープレイ。お互いの刺激がより高い音楽性に高まるのだ。モントゥルーの凄みあるライブ、ラストコンサートの鬼気迫る演奏、死を意識していたのだろうか。
来日時はエディ・ゴメス(b)、マーティ・モレル(b)だった。内奥的なリリシズムに酔った。
1/ 12th, 2010 | Author: Ken |
冬の旅
これはテオ・アダム「冬の旅」のコンサートのカタログなのだが、表紙はフリードリヒの「雲海の上の旅人」だ。シューベルトは「…それは飛行船の操縦士だけが見る事のできる絵だった。彼がその乗り物に乗って厚い雲の上に飛び出し、霧のベールの切れ目から濁りなく青い空が見えるまで上昇したときに…」と書いた。霧を突き破った無限の空間のなかでの純化と浄化、自我が消滅し無となる。…山頂に屹立する人物の後ろ姿はツァラトゥストラか!
「冬の旅」はわたしの”独白”による24曲の歌曲である。「おやすみ」に始まり「凍った涙」あの「菩提樹」「鬼火」「からす」「まぼろし」「幻の太陽」そして「辻音楽師」へと続く。重く陰鬱なさすらいを重ね、透明な虚無へ近づいてゆく若者の姿である。”村はずれにライエルを奏でる狂った老人がいる。凍った地面を裸足のままで、誰一人聞こうとはせず、誰一人目も止めない…犬が唸っている…不思議な老人よ、お前についてゆくことにしようか?わたしの歌とお前のライエルで”…。この狂った辻音楽師とは何者か?もしかしたら死神か? ライエル弾きとは「夜の画家」と呼ばれるジョルジュ・ラ・トゥールが描いたような人物か。
「冬の旅」フィッシャー・ディースカウ、テオ・アダム、ピーター・シュライヤー… どれも名唱だ。
Liederzyklus: Winterreise D.911 Musik: Franz Schubert 作曲:フランツ・シューベルト
Text: Wilhelm Mueller 作詩:ヴィルヘルム・ミュラー