11/ 17th, 2010 | Author: Ken |
ダークエネルギー
♬ 木枯らしとだえてさゆる空より 地上に降りしく奇しき光よ ものみないこえるしじまの中に きらめき揺れつつ星座はめぐる
ほのぼの明かりて流るる銀河 オリオン舞い立ちスバルはさざめく 無窮をゆびさす北斗の針と きらめき揺れつつ星座はめぐる
ウィリアム・へイス作曲/堀内敬三訳詞・作詞
夜毎、人気の無い夜の公園の中を通って帰る。ベンチに腰を降ろしひと時夜空を見上げるのが習慣になっている。宇宙を意識したのは何時のことだったのだろうか。宇宙の向こうには何があるの?地球もあの星から見たら同じに見えるの?その星にも人が住んでいるの?こんな質問をされた大人も困ったことだろう。
その渺々たる広がりと神秘を想像するだけで、気の遠くなるような荘厳さと無窮の不思議さに恍惚となってしまう。いまここにいる私、宇宙137億年のなかで、たかだか何十年かの刹那を生きて来、いま宇宙を意識している私。これって何だ! 偶然の一致が過ぎるではないか! 何故ここに居るんだ? 何故だ? 何故だ……?
ところが宇宙を観察してみると私たちの体、輝く星々、数千億の銀河などの物質はたったの4%。銀河や銀河団を満たしている正体不明の暗黒物質が26%。そして宇宙全体に広がった真空(暗黒)エネルギーが70%。なんと96%が不明なんだという。
真空エネルギーは宇宙開闢から10のマイナス25乗秒に生みだされ、密度はプランクエネルギー密度と比べ120桁も小さい。そしていま真空エネルギーが物資エネルギーを追い越し宇宙を加速し始めているのだそうだ。と、いうことは銀河も星も原子も素粒子も斥力で空間が拡大し未来には存在できなくなる?……..ぼくの体も原子だ。原子も核子と電子の間は真空だ。ということは真空が膨張している?
かってアインシュタインは、宇宙の大きさが永遠に変わらない定常宇宙説ために、一般相対性理論の方程式に、わざわざ「宇宙定数」という斥力の項目を導入した。存命中に「わが生涯最大の過ち」と悔やみこれを撤回した。ところが、最近、最新鋭の望遠鏡を使って得られた観測結果から、やはり宇宙定数は存在するようなのだ。
私たちは物質が存在しない空間を「真空」と呼んでいるが,それは空っぽに見えるだけで,そこには常に「真空のエネルギー」ともいうべきものが潜んでいるらしい。遠方の超新星を高精度で観測してみると「現在の宇宙には真空のエネルギーが満ちており,それによって今,宇宙は加速度的な膨張を始めている」のだと。その真空のエネルギーは,空間そのものがもつエネルギーなので,いくら宇宙が膨張してもエネルギー密度は変わらない。一方、物質密度は膨張によって低下し続ける。観測結果を信じるなら、宇宙は今、再び真空のエネルギーが宇宙を満たすエネルギーの主役となり、第2のインフレーションが始まっていることになる。ホモサピエンスが生まれて10万年、人類の出アフリカ記が5万年前、文明らしきものが1万年前、科学が数百年前、相対性理論が100年前、だれもがPCを持ち始めて20年前、ウエブがここ…….。
たったこれしか経っていない、いまこの時期に、なぜ宇宙は加速度的に膨張を始めたのだろうか?
●「宇宙96%の謎」佐藤勝彦 著/角川学芸出版
●「宇宙の暗闇・ダークマター」ジョン・グリビン/マーティン・リース著 佐藤文隆・佐藤桂子 訳 ブルーバックス
10/ 21st, 2010 | Author: Ken |
時計じかけの兵士たち
第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、人間に危害を与える危険を見過ごしてはならない。
第二条 ロボットは人間の命令に従わなくてはならない 。ただし第1条に反する場合はこの限りではない。
第三条 ロボットは第1条、第2条に反するおそれがない限り自分を守らなければならない。
これはあまりにも有名なアイザック・アシモフによるロボット3原則である。そしてロボットの名の由来はチェコスロヴァキアの作家カレル・チャペックの戯曲「R.U.R./ロッサム万能ロボット会社」1921年に始まる。 ところがだ、最近、人間に奉仕? するはずの機械が人殺しの道具となって現れてきた。「時計仕掛けの殺し屋」だ。いや、ちょっと待てよ。ギリシャ神話に始まり人造人間の歴史は人間以上の強力兵士を作る事に情熱をかけてきたのではないか?
投石機、銃砲、軍艦、戦車、飛行機、ミサイル、おまけに戦場ロボだ。そういえば洋の東西を問わず甲冑武者はロボットにそっくりだ。つまり装甲人間だ。秦の兵馬俑なんて人造人間兵士の夢だね。だが、ハイテクの恐ろしいほどの発達により21世紀に入ると形相がガラッと変わった。Robot War、Nintendo Warと呼ばれる現代の戦争はゲームと酷似してきた。
何しろアフガニスタンでは無人偵察攻撃機、プレデター(捕食者)やリーパー(刈り取り機、死神)が上空から監視攻撃する。これはなんと12,000kmも離れたアメリカ本土からコントロールしている。まさにTVゲームだ。ということは人を殺してもゲームと同じで心が痛むはずがない。喜々としてゲームを楽しむんじゃないか?地上でもロボット兵器が這い回り人間に替わり危険任務を遂行するのだ。宗教という原理主義にあまりにも忠実、神という抽象性を信じる人間、この精神主義的人間を駆り立てロボットに自爆テロで対抗する。これもテロリストを洗脳でロボット化しているのではないか。
日本だって偉そうには言えない。太平洋戦争末期には精神主義をお題目に「神風特攻隊」や人間爆弾「桜花」、人間魚雷「回天」、モーターボート爆雷「震洋」、人間機雷「伏龍」、人間地雷「肉薄攻撃・爆薬を担いで戦車のキャタピラに身を投げる」、他にも特攻兵器の数々….。こんな攻撃を命じた指揮官ほど非人間的存在はない。死ぬことが目的と化した作戦で何が国体護持なんだ。こんな記録を読む毎に見る毎に怒りで胸が痛む。
まあ。鉄人28号だって究極の兵器として戦争末期に研究・誕生した。とで始まる。…….ロボット。力強く愛らしく、友人としてのアシモフのロボットや鉄腕アトムというロボット、そんな話は夢でありセンチメンタリズムなんだろうか。「からくり儀右衛門」(田中 久重寛政11〜明治14、久重が創設した田中製造所は後年、東芝となる)のお茶汲み人形なんてそれはもう!…..と言いながら世の中、ロボットみたいな思考の人間が増えているとか。……ン!携帯依存症ネ、あれって携帯電話に人格依存しているようにも見えるがなー。
「ロボット兵士の戦争」 P・W・シンガー/日本放送出版協会。先日NHKでも放送されたハイテク兵器と軍産複合体をレポートする。
「日本ロボット戦争記-1939〜1945」井上晴樹/NTT出版。第二次大戦中の世界のロボット兵器をSF、技術、風俗、小説、漫画から
解説する。その克明に調査した資料たるや!海野十三と挿絵の伊藤幾久造、この「地球要塞」なんか挿絵の完成度が凄い。
そして詩人、佐藤春夫がVI兵器に寄せた詩「流星爆弾」なんて!〜我は世界の怨恨を先端に秘め….闘志と天意とを両翼として報復の舵機あり…
…携帯電話、PC、あまりにも当たり前のハイテク機械に埋まって自覚することもなく日々凡々と過ごす私。これでいいのかね?
5/ 20th, 2010 | Author: Ken |
予言
オルダス・ハクスリーの「素晴らしき新世界」1932年とジョージ・オーエル「1984」1949年を読み直してみた。両方とも近未来のSF小説なのだが、「素晴らしき新世界」はまるで現代のバイオテクノロジーを見るようだ。当時、核酸にはDNAとRNAの2種類あることは発見されていたが、DNAが遺伝物質であることが確認されたのが1952年、そして1953年、J・ワトソンとF・クリックが二重らせん構造を明らかにした。1996年にはヒツジのクローン、ドリーが誕生した。
小説では人間は受精卵の段階から培養ビンの中で製造・選別され、α、β、γ、δ、εと階級ごとに知能も容貌も体格も違う。まるで遺伝子操作によるデザイナー・ベイビーのようだ。彼らは睡眠時教育で自分の階級、社会に全く疑問を持たないように教育され、人々は個々の生活に完全に満足している。落ち込んだときはブロザックのような「ソーマ」と呼ばれる薬でハイになれるし、人々は常に安定した精神状態であるため、社会は完全に秩序を保っているている。「すばらしい世界」は「愚者の楽園」である。そのなかでβでありながら蛮人保存地区で生まれ育つたジョンは文明社会に行き、挫折し自殺する….。 現にいまぼくたちが食べている肉も野菜も遺伝子による選別がなされている。ES細胞、iPS細胞の研究も進んでいる。遺伝子の螺旋階段を登るのように「すばらしい新世界」を目指してきた人間、その「天国への階段」の先にはどんな未来が待っているのだろうか?
「1984」は偉大な兄弟・ビッグ・ブラザーのもと、見ざる、聞かざる、言わざるの安定した社会である。「偉大な兄弟」は国民が敬愛すべき対象であり、到る所に「偉大な兄弟があなたを見守っている」(BIG BROTHER IS WATCHING YOU) というスローガンともに彼の写真が張られている。国民は毎日、テレスクリーンにより監視下に置かれ、私的生活は存在しなくなっている。それに疑問を持つ事は許されないのだ。
戦争は平和である (War is Peace) 自由は屈従である (Freedom is Slavery) 無知は力である (Ignorance is Strength)と。
まるで現代のマスコミとインターネット社会を彷彿させる。知らなきゃ幸せなんだよ。ほらケータイとゲームで遊びなさい。でも毎日、知らないうちに監視カメラに写され、高速道路でも、免許証、保険証、パスポート、ドメイン、GPS、他にもいっぱいいっぱい、個人情報なんて集めようと思えば幾らでも…。それにしても優れたイマジネーションは未来を予言する。
行く末はユートピアか、それとも反ユートピアか?
●「すばらしい新世界」オルダス・ハックスリー、 松村 達雄 訳:講談社文庫
●「1984年」ジョージ・オーウェル、新庄 哲夫 訳:ハヤカワ文庫
●「未来世紀ブラジル」1985 監督・脚本テリー・ギリアム(あのモンティパイソンのメンバー)。1984やカフカが下敷きにある。
音楽:マイケル・ケイメン、Bachianos Brazil Samba。これを書いていると「神戸祭」でオフィスのまわりが無茶苦茶うるさく騒がしい。何がサンバだ。
….率直には喜べない。祭りとは民族の、民衆の、庶民の、人間の、畏怖の、喜びの、土着の、長い時間から生 まれたアニミズムみたいなものが「心」だろう。無理に行政とその取り巻きが作り上げた祭りとは…。
2/ 6th, 2010 | Author: Ken |
トリノの聖骸布
不思議という気持ちが心に浮かぶことが不思議である。いぶかしい物を知りたいと思う好奇心である。なぜこんなものが人間の心に組み
込まれているのかが不思議である。ご存知だろうか「トリノの聖骸布」いう布を。シンドン、聖ベロニカのベール、マンデリオン、オソ
ニア、スダリュウムなどとも混同されて呼ばれるが、これにはイエス・キリストの遺骸を包み込んだ布であると伝えられ、その風貌、身
体全体の前後が写されているのである。それが不思議なことに描いたのではなく、写真の陰画(ネガ)としてあり絵具や染料のように生
地に染み込んでいないのである。1353年に始めて文献に表れ、これまでおよそ700年にわたり真偽が問われてきた。ある者はキリスト存
在の紛れもないもない証拠であるとし、そして懐疑派は誰かが捏造した偽造物であるとして無視してきた。
….この布の由来を追求すれば表の歴史に現れる以前はどうであったのか。年代記録者ロベル・ドゥ・クラリが1203年に十字軍に関して
書いている。「ブルケルネの聖母という修道院があり、そこには我等の主を包んだ布があった。…その後、その市が陥落した後は布の行
方は誰も知らない」。これが果たして聖骸布だったのだろうか。そしてオット・ドゥ・ラ・ロッシが第四次十字軍(1201〜1204年)に
聖骸布をコンスタンチノーブルから東南フランスのブザンソンに持ち帰り、1353年にシャルニ伯爵・シャンパーニュ貴族のジョフロウが
フランスのリレーの聖堂にこの遺物を贈った。1503年にシャンベリー市で火災に合い、その焼けこげが残っている。そしてサヴォア公が
1578年にトリノに持って来、現在は聖ヨハネ大聖堂に保管されている。これが簡単な聖骸布の沿革である。
事態が一変したのは1898年のことである。その年、セコンド・ピアという人が初めて聖骸布の写真を撮影すると、その写真のネガに驚嘆
する映像が映し出されていたのだ。それはキリストの姿だったのである。聖骸布はポジ・ネガの反転だったのだ。ネガにして初めて実像
として表れたのだ。それも二次元に三次元の映像として。それは聖書の記述にある通りの姿だったのである。手首と足に釘打たれ、肩に
は十字架を担いだ傷があり、背には鞭痕、額には茨の冠から流れた血、右脇腹には槍傷、血は本物である。偽物であれば聖書に基づいて
制作したのだろう。だがどうやってネガで描いたのか。写真術の概念は古くはアリストテレス、中世にはダ・ヴィンチなどが暗い部屋か
らに針穴からの光が倒立画像が写る原理は知っていた。16世紀にカメラ・オブスキュラの原理が作られ、1826年にニエプスが世界初の感
光版で撮影に成功した。それが14世紀にどうして写真が写せたのだろう。
現代の科学を使った最新の調査は1988年に行われた。科学者らは聖骸布の一部分を切り取り、布片を考古学調査などで用いられるC14・
炭素年代測定にかけた。オックスフォード大学、アリゾナ大学、スイス連邦工科大学の3機関においての結果は、この布自体の織布期は
1260年から1390年の間であると推定された。 しかし、これらの調査結果については異論も多い。過去の修復作業時に付け足された部分
をサンプルとした測定ではないか?、布はバクテリアによって生成されたバイオプラスティックで覆われていて、大きな誤差が出たな
ど、検査方法の有効性や信憑性を疑う批判がされている。…..それにしても不思議である。ぼくは科学信奉者だから人工物と思うのだが
割り切れないものが残る。次のトリノ(チューリン)の聖骸布公開は2025年という。その頃の未来技術では果たして…。
●「キリストの遺影」マッケヴォイ/小田部胤明 中央出版社/1948:ぼくが15歳頃、姉が教会から頂いてきた本だと思う。きわめて真面
目に取り組んでいる。キリストが鞭打たれた鞭は先端に亜鈴のついたフルグラムという鞭だったとか。…..衝撃だった。
●「トリノの聖骸布の謎」リン ピクネット、クライブ プリンス 新井 雅代 訳 白水社:これはレオナルド・ダ・ヴィンチが写真術で
作ったものだという。それを実験で証明した。….でもねえ、そうとう無理があるよねー。
●「聖骸布の陰謀」ホルガー ケルシュテン, エルマー・R. グルーバー 宇佐 和通 訳 徳間書店:これはローマ・カトリックの陰謀で科学
調査の結果、キリストが生きていれば復活劇が破綻する。そうすると信仰の根本が変わる。だから布サンプルをすり替えた。陰謀説。
●「最後の奇跡 トリノ聖骸布の謎」イアン・ウィルソン著 木原武一訳 文藝春秋:「聖骸布=マンデリオン」説を主張。確信派。
このドキュメンタリー・ヴィデオもある。 ….何しろ二千年前のことだ。解らないからミステリーなのだ。その他「イエスのDNA」
「イエスの棺」など、たくさんの本がある(怪しい本も多いがそれも楽しい)。謎は深まるばかりだ。
2/ 2nd, 2010 | Author: Ken |
火星人の解剖学
レオナルド・ダ・ヴィンチはエイリアンの解剖図を描いていた?…これは嘘。この絵はアイザック・アシモフの科学エッセイ「生命と非生命のあいだ」早川書房、「IS ANYONE THERE?」1967にある「火星人の解剖学」だ。仮に「火星には知的生物がおり、その形はだいたい人間の格好をしている」という前提に基づいて空想の翼を広げた楽しい話だ。火星の重力は地球の五分の二、地球の百分の一の希薄な大気、昼夜の温度差、循環器は乾燥に耐え、紫外線をエネルギーの糧とするために折畳み式光線吸収ケープを背に持ち、それは輝き…..。空想の結末は天使か悪魔の姿とあまり変わらなくなった。(アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」もエイリアンは悪魔の姿だったね)…実に楽しい知的お遊びだ。それを当時一流の男性誌エスクアイヤーがニコラス・ソロヴィオフ描くイラストレーションで掲載したのだ。ダ・ヴィンチ風にするところが何とも心憎い。その巧みさとエンターテインメント、惚れぼれしますね。ぼくもいつか空想生物解剖図鑑(嘘八百の)なんか作ってみたい。