2/ 15th, 2017 | Author: Ken |
Choco bord
ヴァレンタイン・デーですね。この日は、こんなキーボードを使ってネ。いや、チョコボードとチョコマウスだ。使っているとネバネバするので、ときどき指をしゃぶると苦みと甘味が・・・。困ったな、食べてしまったら仕事ができないし・・・。
6/ 30th, 2011 | Author: Ken |
時計を捨てよ街に出よう。
男の唯一といっていいほどのアクセサリーはリストウォッチだ。昔は成人になるとまず時計を親から貰ったり無理して買ったものだ。
とても高価なものだったし豊かさの象徴でもあった。古い強盗漫画には腕時計を巻き上げるシーンがよく描かれていたし、旧満州で進駐したソ連兵が日本人から取り上げ腕に何個も時計を巻いていた。なんて話も聞いたことがある。
「腕時計・リストウォッチ」その精巧な機械仕掛けに感嘆し、左腕に輝く光沢を誇らしく感じたものだ。いまでもメンズマガジンでは「時計特集」をやると部数が増えるそうだ。まあ男の子はメカニズムが大好きだし、女性がジュエリーに目がないのと同じだ。
そして超高価なブランド物をジャラつかせて、どうだ!という自己顕示欲も満足させるしね。ぼくにはそんなお金はないからもっぱらアンティーク?と言えば聞こえはいいがジャンクばっかりしか身につけたことがない。おまけにほとんどが手巻きだ。いつも修理で困ったものだ。だけれどクォーツにはない人間的というかゼンマイや歯車の機構に魅せられていたのかも知れぬ。
……そしてもう16年前にもなる阪神淡路大震災があった。仕事はすべて吹っ飛んじゃったし生活の不安やら、もう明日が見えないから口を開けて笑うしかなかった。そう、バブルが弾けリストラという言葉が大流行りだった。Restructuring・再構築、そうだ自分自身をリストラしよう。まず車を止めた。友人は何十年も乗っていた者が止められる訳はないと笑ったが….。ゴルフも止めた。仕事柄ゴルフのウェアやグッズなんかの仕事が中心の癖にね。そして時計を外した。何か時間というものに、習俗というものに、束縛され、自分とっての時間が掴めなかったからだ。震災の後何をしていいか解らない。そのくせ仕事もないのに毎日半壊の事務所に通う……
いったい何をやってんだ?車を止めたら駐車違反にビクビクすることもなく、お酒も飲めるしかえって行動範囲が広まった。時計を止めても携帯電話もあることだし不便はなかった。だが自分だけに流れる、自分の時間なんて掴めなかった…….が。
…..抽き出しを整理していたら錆び付いたのが随分出て来た。もう修理してくれる人も少ないだろう。正確な時間を刻むならハイテクはトンでもない時計を生み出した。GPSなんかアインシュタインの相対性理論を使い時間の遅れを調整しているし、セシウム原子時計なんか9,192,631,770Hzのマイクロ波を作り。これが1秒の定義となっている。誤差は1億年に1秒(10の-15乗)だそうだ。
最近では「光周波数コム」でセシウム原子時計の1000倍の「300億年に1秒」の精度だとか、いやイッテルビュウム171光格子時計もあるとか。黒体輻射や核スピン影響が少なく周波数は518,295,836,590,864 Hzだと…….。ウーン、最後はプランク時間なんだろうか。
その値はプランク長さと真空中の光速度によって定まり国際単位系で5.39121x10のマイナス44乗だそうだ。
時間っていったい何なんだろうね。
7/ 30th, 2010 | Author: Ken |
パノラマ島?パラノイア?キッチュ?
嗚呼…..!夢、狂気、妄想、幻想、妖美、サディズム、エロティシズム、グロテスク….。江戸川乱歩の「パノラマ島奇談」(1926)はパノラマと言うよりパラノイアだ。主人公人見広介を現代のディズニーランドやラスベガスに連れて来たら何と言うだろう…。
このお話を読んでいると何かボッシュの「悦楽の園」を彷彿させるね。まあ、公共という名の下に日本列島がパノラマ化しているが。かって神戸六甲にも「二楽荘」(写真右上)なる西本願寺22世法主・大谷光瑞が建てた白亜殿があった。インドのアクバル皇帝時代の建物やタジマハールを模し、英国室、支那室、アラビア室、インド室、エジプト室、などがあり、大谷探検隊の収集品も展示されていたそうだ。
明治41年から大正3年までの短い命でありその後売却され昭和7年(1932)焼失した。建築からわずか25年のことであった。ケーブルカーや冷気を六甲山から引くパイプなど、贅の限りを尽くしても1〜2年で建てたというから張りぼて臭いが…。
いま「歎異抄」がブームだそうだが親鸞が見たとしたら何と言っただろう。その顔を見たいものだ。….ボクも他力本願で行こ…狂王ルートヴィッヒ2世のノイシュバンシュタイン城、バブルに沸くドバイの建築群、規模は姑息だが我が国のバブル期にも全国にバブルの塔が現れた。人間は金力と権力さえあれば、古今東西この手のワンパターンの人になる。利己的な遺伝子が己の種を残すためというより、顕示欲と執拗な不安に苛まれるんだろう。己を顕現させる永遠の象徴が欲しいんだ。ヒットラーなんて陥落寸前のベルリンの壕のなかでゲルマニアの夢を見ていたし、ファシズムの独裁者は巨大な建築物を欲しがる。スターリンも、チャウセスクも北朝鮮も…。
キッチュというか俗悪というか一つ間違えば悪趣味のオンパレードだ。ギトギト、ゴテゴテ、これでもか!これでもか!….。
我が国の政治家もお役人さんも負けてはいないですよ。田舎に突如バッハホールだとか美術館とか、公共物と称する巨大建築物…。それがステロタイプのガラスと打ち放しのコンクリート。ポストモダンだってさ。H鋼に梅干し色や青リンゴ色塗っちゃって…。
悪口になてしまったが、この「シュヴァルの理想宮」は特別だ。1879年フランス南部は片田舎オートリーブにおいて郵便配達夫であるフェルディナン・シュバルは奇妙な形の石に躓いた。インスピレーションだ!それから石を拾い、庭先に積み上げ、1912年まで33年間宮殿を作り続けた。奇ッ怪でユーモラスで執拗。夢に取り憑かれた一人の男の人生。凄い迫力だ。(写真左下)
後にシュールレアリスムのアンドレ・ブルトンが絶賛。私が知ったのは栗田勇の「現代の空間」という本だった。その異様な写真に見とれたものだ。サンボリスムという言葉もガウディのサグラダファミリアもロスにあるサムの塔もね。…いつかその前に立ちたいものだ。
5/ 27th, 2010 | Author: Ken |
空を見ろ!鳥だ!飛行機だ!
弾丸よりも早く、力は機関車よりも強く、高いビルディングもひとっ飛び。彼は1938年に生まれた。彼はスーパーヒーローのアダムである。彼がいなければ後の世界も随分と変わっていただろう。’88年にはTIME誌が「スパーマンお誕生日おめでとう」のイッシューを組んだ。
さて、ここに登場するのは3歳の頃からスーパーヒーローに憧れ、描き続けて来た画家アレックス・ロスだ。こんな本を見つけると嬉しくなって見境もなくいっぱい買い込んでしまう。おかげで重いバッグを引きずり超過料金を取られるところだった。
ページを捲るごとにデッサン、コンテ、ドラマ、エナジーが飛び出してくるのだ。「カッコいいー!」その画力に圧倒され、ダイナミズムに参ってしまうのだ。画家は技術、制作過程、その全てを曝け出している。
「こうやって描いているんだよ。…真似できるならやってみな!」と。….本物のプロフェッショナルだ。世に言う芸術などという青ざめた抽象論なんか糞食らえだ。
リキテンシュタインやウォホールが超高価で取引されるのを見ると芸術って何だ?…..確かにポップアートという概念を打ち立てたことは凄いと思う。でも正直にぼくには分からない。街中至る所にある愚劣な彫刻やオブジェと称するもの。あれ高いんだろーなー。下らねーなー。奇妙なポーズをした裸のブロンズ女性がいっぱいいるね。あれってセクハラじゃないの?また巨大なウンコにしか見えないものが芸術だってサ。それよりCPUの微細な基盤や世界同時に繋がっているネットの複雑さ、カミオカンデやスペースシャトルの打ち上げを見る方が、世の芸術なぞとホザクものより、比べるべくもなく圧倒的に美しく人間の叡智を見るけどね。….閑話休題、彼のアトリエの写真を見ると、何と!マダム・タッソー蝋人形のスーパーマンがいるではないか!うーん、こまでやるか!
アレックス・ロス、非常なる非凡なる偉大なる才人である。
●「MYTHOLOGY」ALEX ROSS pantheon Books. New York 2003
4/ 30th, 2010 | Author: Ken |
Aaaaaa Aaaaaah Aaaaaaa…….
ターザン、カンボ、ゴルゴ、タルマンガニ、ロタ。何語かお分かり? そう、訳すると「ターザンは密林の野生の人で笑う」。とこうなる。
生まれは由緒正しきグレイストーク卿の忘れ形見である。類人猿カラに育てられターザンとは「白い皮膚」という類人猿から蔑まされた呼称である。そして語学の天才、何しろ亡き父親の小屋で発見した絵本で言葉をマスターし読み書きもできるのだ。
フランス語もアラビア語も類人猿語も…。そして、あの雄叫び。アーアーアーの咆哮に痺れてしまうのだ。ぼくたちに流れる原始の血が騒ぐんですね。超人的身体能力、悪を憎み、血湧き肉踊る活躍、トンデモ荒唐無稽、支離滅裂SFであってもスパーヒーローなのだ。
エドガー・ライス・バローズ先生に拍手喝采だ。1912年生まれのターザンがいなければ少年王者も少年ケニヤもいなかった。
映画では6代目ジョニー・ワイズミュラー、10代目レックス・バーガー、ジョック・マホニー、クリストファー・ランバートしか知らないが、元オリンピック水泳で5つのゴールドメダリスト、ワイズミューラーが最高だ。できたらシュワルツェネッガーもターザンに出演してほしかった。まあ、ハワード原作の「コナン」には出ているけれど。
そして、コミックではバーン・ホガースだ。漫画家・イラストレーターでありながら「美術解剖学」の著書もあり20世紀のミケランジェロとの異名を持つ。これがまた素晴らしいのだ。克明な描写力、的確な筋肉図、ダイナミックな肉体表現、ダヴィンチ的解剖図から生まれたデッサンだ。ぼくも憧れて随分真似したものだがモノにならなかった…。永遠のヒーロー、ターザンに乾杯!
4/ 17th, 2010 | Author: Ken |
少年ケニヤだ!
〜大密林にとどろくは少年王者の叫び声、黒いひとみにバラのほほ、翠の髪をなびかせて天にそびえる大木を、枝から枝へと飛びまわる、少年王者の勇ましさ〜
始めてこの少年に会ったのは、ぼくがこの少年より小さかった頃だ。興奮したなー、血湧き肉踊り眠れなかった。でもみどりの髪というのは理解できなかった。真吾、すい子、アメンホテップ、魔人ウーラが入り交じり万能薬「緑の石・マキムリン」を求めて大活劇。もちろん歌詞は憶えているが歌えない。メロディーなんて知る由も無かった時代だ。
そして「少年ケニヤ」だ。友達ん家の産経新聞を毎日見せてもらっていた。ワタル、ケート、老ゼガ、巨像ナンター、大蛇ダーナ。恐竜は出てくるわ、タンガニーカ湖を泳いでわたるは、巨獣との格闘、原住民との戦い、特に克明なペン画による躍動する動物の迫力、酔いしれた…。毒々しいと思えるほどの表紙だった単行本を何冊か持っていたのだが、時は過ぎ復刻版が出たので迷わず買ってしまった。やはり記憶にある猛獣のデッサンが素晴らしい。でも、山川惣治先生はケニヤに行ったのは相当の高齢になってから初めてアフリカの大地を踏んだのだそうだ。連載の頃にアフリカなんて遠い夢でしかなかった。想像力だけで描いたのだ。
まあ、お手本としてエドガー・ライス・バローズのターザンがあった。映画ではジョニー・ワイズミューラーがアーアーアー!コミックではバーン・ホガースが最高だ。….ぼくたちも木の上に家を作ったり、ロープを垂らしてジャンプ、池に飛び込んだり、弓や槍を作ったり少年ケニヤみたいな時代だった。残念ながらあんなカッコいいナイフではなくて「肥後の守」だったけれど…。
そうそう、リヴィングストン探検記も忘れてはいけないね。スタンリーとの邂逅の感動的場面なんて。そりゃ、もう!
4/ 15th, 2010 | Author: Ken |
ボーイデアル…美しき理想。
1933年に創刊されたEsquire(エスクァイア)誌。「趣味がよく、スタイル感覚に優れ、そして優れた品質を尊重する男」というBeau Ideal(美しき理想)がドグマだった、と編集長アーノルド・ギングリッチが述べている。まあ、そのダンディなことといったら!「キリマンジャロの雪・1936」ヘミングウェイやフィツジェラルドが掲載され、ヴァーガスのピンナップ、そして何といってもルイス・フェローズが描くファッション。男が輝いていた時代だった。パーティからアウトドアライフまで、着こなしと洗練、豊かさに満ち溢れ、当時大活躍していたフレッド・アステアやボビー・ジョーンズの世界にタイムトリップしてしまう。60年代に初めて大判のエスクァイアを古本屋で見つけ感激した。あの天才アートディレクター、ジョージ・ロイスの素晴らしいとしか言いようのない表紙に眩惑されたのだ。そして中身の豊かさとカッコよさ、洋画と同じく文明の衝撃だった。
いつしかメンズ・ファッションの仕事をするようになって、サンフランシスコの古本屋で30年代のエスクァイアを見つけた。ナックナンバーすべてを揃えて欲しいとその場で注文した。….400冊余が届いた。ページを繰る度に正直唸ってしまった。「ここにすべてがあるじゃないか!」「30年代に完成していたんだ!これがベーシックなんだ!」…。大事にファイリングしていたのだが、あの阪神大震災で消えてしまった。落胆この上ないのだが、幸いにも表紙、フェローズのイラスト、素敵な広告や特集記事はポジフィルムに納めてあった(いまならPCにデータ保存できたのにクヤシイね)。いつしか小型版になり日本版も出版されたが2000年を境に買う事も止めてしまった。仕事もパソコンになり、情報もインターネット中心になったからだろう。でも、ずっしりと手応えのある大判の重みはLPジャケットを手にしたときと同じく忘れ難い。
3/ 19th, 2010 | Author: Ken |
砂漠の魔王だ!
この凄い絵を見てくれ!「砂漠の魔王」だ。いまは昔「少年」「少年クラブ」「譚海」「冒険王」などの少年雑誌に心をときめかした。
漫画や工作模型がいっぱい付録にがついていてね。その中でも冒険王の「砂漠の魔王」には仰天した。そのカッコ良さなんてもう!
当時の漫画の概念と全然違うんだ。冒険、探検、怪奇、神秘、神話、怪獣、新兵器、奇想天外、荒唐無稽、縦横無尽、リアリズム、エキゾチシズム、極彩色、新鮮、苛烈…。敗戦の廃墟のなかから忽然と魔王が現れたのだ。
腹を空かせた少年にとって空想の世界こそ輝いていたからね。描いたのは福島鉄次先生だ。いまならアメリカン・コミック影響だと言えるのだが、まだ劇画という言葉も生まれていなかった時代に、こんな凄いデッサン力を持った人がいたのだ。ため息が出ますね。
それから小松崎茂の西部の少年シリーズ、山川惣治の少年王者と続いて行く。ああ、リンゴ箱に一杯こんな本を貯めていたのにどこかへ消えてしまった。本当に惜しい事をしたものだ….。今見ても昂りますね。
2/ 25th, 2010 | Author: Ken |
Decoy
デコイ。この奇妙な響きは何だ? 狩猟に使う囮のことだ。鴨が仲間がいると思って降りてくる。そこを狙うのだ。狡いやり方だね。僕は猟なんてやらないが、置物としてのデコイに凄く魅力を感じた。海外のスポーツ店に置いてあるのが本当に欲しかったね。電気スタンド、小物入れ、ハンガー、風見など野鳥のモチーフがいっぱいあるんだ。笑っちまうのもあった。大きな帽子みたいにデコイを頭に被り鴨を騙そうとするのなんか、その姿を想像するだけで滑稽感が伴う。
そして、1970~80年代に日本にアウトドア・ブームが巻き起こった。ウィルダネス、ワイルドなんて言葉が流行り、LL BeanやEddie Bauer、Red wingに憧れたもんだ。それと一緒にデコイも輸入されたり自作のキットなんかもあった。どうせならヨシ!作ってやろうじゃないの!バルサなら簡単なのだが近所で改築工事をしていたので柱の切れ端をもらって来た。
ノコギリ、鉋、鑿、彫刻刀、サンドペーパー…。形はできた。しかし問題がある。目玉はどうするんだ?アクリル板を熱で曲げたが小さな凸レンズが作れない。そうだ!知り合いに剥製師がいた。いそいそと出かけたら、なんだ、ガラス玉の半球をくれた。「いいかい、エナメルを一滴垂らして眼の色は小さな布を入れるんだ」。「ふーん、ナルホド」。
ペイントが楽しいんだね。最初はカナダグース、これは太り過ぎだ。次はダック。まあ、こんなもんダロ。次はグースの飛び立つスタイルだ。だんだん構想が膨らみ、それが大きくなり過ぎて止めてしまった。いまも玄関の隅に転がっている。
2/ 20th, 2010 | Author: Ken |
Toy Box … Sports Figure-3
ラグビー、エイト、リンドバーグ、クリスマス、ワッチマン、ローンボールと、あれやこれやと色々作ってみたが、面白く無くなってきた。飽きてきたんだね。そうしたら阪神大震災だ。人形どころじゃ無くなったから止めてしまった。サファリで子ライオンなんか抱っこしたのも作ったのだが、震災でどこかに行ってしまった。他にも真っ赤なジャケットのフォックス・ハンティングやスキー、カーリングなんかも考えていたのだが…。