9/ 2nd, 2010 | Author: Ken |
Giant Steps…..此の1枚。
もう半世紀近くも過ぎてしまったとは自分でも信じられない。まだ振り絞るサウンドと限界に挑戦するトレーンの姿が目に浮かぶ。ジョン・コルトレーンの「Giant Steps」。LPに針を下ろした。スニーカーを投げ飛ばすほど素晴らしい。音が切れ目なく高速で織り紡がれるシーツ・オブ・サウンドに飲み込まれてしまったのだ。まさに偉大なる一歩、ジャイアント・ステップスだ。
特に「Mr.P.C.」の目紛しいインプロヴィゼーションに興奮した。PC(パソコンじゃないよ)とはコルトレーンの盟友ベーシスト、ポール・チェンバースのことだ。彼の大胆で強力、太い響きが僕の心臓の鼓動と重なりより興奮が嵩まっていく…。その兆しは「ブルー・トレーン」「ソウル・トレーン」にあった。超スピードで展開するロシアン・ララバイなんて!そりゃあ…。
そしてトレーンのひた向きな音楽姿勢に深く魅了されていった。トレーンは模索し続け、モード、インド音楽、フリージャズへと荒修行僧のように己を高め、憑かれたように疾走した。そして「神」と出会ったのか「至上の愛」を発表。ぼくは戸惑った。むしろ「神」を否定してほしかったのだ。60年代は革命の時代だ。革命は暴力を伴い、旧体制を焼き尽くし、既成概念からの脱却こそ今の世界意識だと(若かったのですね。お恥ずかしい)。だがトレーンの抽象的革新への挑戦は留まるところを知らない。
ドルフィーとの「インプレッションズ」「アセンション」「メディテーション」そして「エクスプレッション」へと…。1966年だった。トレーンが来日したのだ。無理をしてフェスティバルホールのかぶりつきを手に入れた。激しく、烈しく、劇しく、壮絶な音の洪水、サウンドの奔流。ソロが終わると打楽器で休む暇無く複合リズムを創り出して行く。迸る汗と真摯すぎる熱の全力疾走なのだ。これがトレーンの世界だ!。濃密過ぎるサウンドの渦に溺れながらぼくは感じた。彼は「死」を意識しているんだ。
だから「神」に近づき、修行僧となり、己を燃焼し尽くしたいのだ。いくら演奏しても限りがないのだ。「生と死」の凄絶なまでのプレイなのだ。…..トレーン帰国後、彼の訃報を知った。ああ、だからあそこまで….。幸せに満ちて神の園へ昇天できたのだろう。
●来日メンバー:ジョン・コルトーレーン(ts・ss)、ファラオ・サンダース(ts)、アリス・コルトレーン(p)、ジミー・ギャリソン(b)、ラッシッド・アリ(ds)