3/ 4th, 2010 | Author: Ken |
Modern Jazzの黎明と衰退。
こんな雑誌が出てきた。フリスコの古本屋で買った古い記憶がある。エスクアイヤー誌の別冊、ジャズブック1945〜47年号だ。ビバップの夜明けは戦時中のミントン・プレイハウス。まだマイルスが20歳前、パーカーやガレスピーたちが始めた新しい音楽だ。
ここからモダンジャズが始まった。45年はまだスィングの時代。プレイヤーも大人、みんなタキシードやイブニングで演奏、クラブのダンス音楽の観がある。紳士とレディが楽しむエンターテイメント音楽だ。ディユーク・エリントン、ベニー・グッドマン、ビリー・ホリデイ、ダイナ・ショア…。日本では腹を空かせて闇市をうろつき、笠置シズ子がブギウギの女王と呼ばれていた頃だ。
そしてノーマン・グランツのJATP(Jazz at the Philharmonic)が世界を巡り、日本では進駐軍のためにやって来たのが戦後ジャズの始めと聞く。もちろん僕は幼児だったから名前さえ知らない。でも日本のジャズブームを巻き起したのはジョージ川口を始め、渡辺貞男、秋吉敏子、松本英彦など、みんな米軍キャンプから育った人たちだ。
日本の第二期ブームがアート・ブレイキーとジャズメッ・センジャーズだ。僕はこれに洗礼を受けた。それにハマったね。随分とLPにコンサートに行った。おかげでいつもピーピーしていた。そして68年にマイルスの「ビッチェズ・ブリュー」。もうワクワクして、凄い!来るべき音楽と感じた。しかしだ、興奮は長くは続かなかった。プレイヤーが歳を経ていつのまにかジャズにエネルギーと創造性が無くなってきた。僕は何とか80年頃までジャズにお付き合いしたが…。あのマイルスがだよ!大阪の扇町プールでライブしたんだ。「マン・ウイズ・ザ・ホーン」の頃かな。事故で痛めた脚を引きずりながら弱々しい音で、見るのが辛かった。あの英雄が…。
結局モダンジャズも50〜60年代と20〜30年位しか続かなかった音楽だ。僕は同時代、全盛期に当たったのが幸せだ。今のジャズシーンはほとんど知らないが、懐メロジャズとチマチマしたジャズみたいだ。ジャズがエネルギーを失ったらお終いだ。
「古き良き時代」とか遺恨には陥りたくはないしね。強烈に「始めてだ!こんな音楽、サウンド!」「これぞ新しい音だ!」
そんな興奮する音楽はもう生まれないのだろうか。