3/ 13th, 2014 | Author: Ken |
オンディーヌ … 名も無きセーヌの少女。
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毎日僕がその前を通りすぎる石膏店の、入り口の横に、二個のマスクがかけてあった。一つは死体収容所でとった若い溺死女の顔だが、なかなかの美人で、しかもその顔は微笑していた。自分で微笑の美しさを意識しているような虚飾の笑い方だった。マルテの手記 (新潮文庫) : リルケ/大山 定一/訳 リルケは続いてベートーヴェンのマスクに移るのだが…。これは1880年頃、セーヌ川で自殺した少女のものと言われる。「名も無きセーヌの娘」…名前はおろか年齢も身元も一切が不明である。いや、ある職人が自分の娘のライフマスクを採った、それであるとか…..。世界一美しいデスマスクと言われるその顔は、愛らしく、あいまいで、神秘的で、その細く小さな身体に悲しみに満ちた不幸を感じるのは何故なのだろう。まるで水の精オンディーヌのように….。微笑みと言えばダ・ヴィンチの「モナリザ」の神秘の微笑みが超有名だが、この少女の微かな微笑みが、かくも不思議に迫るのだろう。(僕は本物のデスマスクは見たことがないのだが、写真を参考に赤チョークでデッサンしてみた。お笑いを)20世紀初頭には複製品が拡がり、その謎めいた微笑に魅せられた文人たちの居間を飾ったという。あの「異邦人」のアルベール・カミュも所持していたそうだ。
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話は展開し1960年代に心肺蘇生法の訓練用マネキンに彼女の顔が使われ、「レスキュー・アン」と呼ばれ世界各地で何万体と製造された。よって「世界で一番キスされた顔」として、現代に蘇ったのだ。水に漂う女性ならハムレットの「オフィーリア」となるのだが、有名なラファエル前派のミレー「「オフィーリア」だろう。ずーっと前にこの絵の前で立ち尽くした覚えがある。そして、何と言ってもビル・エヴァンスとジム・ホールの「アンダーカレント・暗流」(1962)だ。まずジャケットに魅せられた。LPジャケットには、大きさ、重さ、質感、期待と想像力を刺激するものがある。音楽が一枚のディスクに込められ、人間大のアナログの暖かさがある。針を落とした時に最初に流れる音の響きと美しさ……。不思議な写真だった。トニ・フィリセルという女性フォトグラファーがファッション雑誌、ハーパーズ・バザーに載せるために撮影されたものだ。伝説の編集者、ダイアナ・ブリーランドがいた頃だろうか。あの頃はファション誌が写真アートを牽引していた。さまざまな試みと冒険とアヴァンギャルドと…。レコードの内容も素晴らしいのだが、このカバー写真の美しきインパクトがエヴァンスの叙情性と相まって、より「暗流」を名アルバムにしたのは間違いない。「暗流」とは人の心の奥底に流れ漂う「生と死」の あわいのイメージなのだろうか。
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「デスマスク」人生の最期の瞬間を型採った石膏面は「生と死」「現実と虚構」「生々しさと不気味さ」、そして本人が決して見ることができない顔のフェイク物。…僕たちの想像力はその固形化された顔に、その人の人生やドラマを見て取る故に異様な胸騒ぎを覚えるのか? 「デスマスク」に関する本や映画を思い出してみると…
●「デスマスク」岡田温司:岩波書店 ●「屍体狩り」小池寿子:白水Uブックス ●「とむらい師たち」野坂昭如(1968)そして映画のとむらい師たち( 1968) 大映/ 監督:三隅研次 主演:勝新太郎。高度成長期において人の「死」と「葬儀」が隠蔽され、荘厳さや凄みが無くなったと嘆く隠亡の息子であるデスマスク師の”ガンめん”(勝新太郎)は、葬儀のレジャー産業化を図る葬儀演出家たちと70年に迫る万博に対抗して「日本葬儀博覧会」を目論み執念を燃やす。”ガンめん”が地下から這い出すと原水爆戦争で焼け野原、その破滅的な世界を見てつぶやく….「これがほんまの葬博やー」。おどろおどろしくもシニカルなユモーアの傑作である。
2/ 5th, 2014 | Author: Ken |
乱歩幻影
正月に「江戸東京博物館」に行った。暗い展示室を漫ろ歩いていると浅草十二階「凌雲閣」の前に出た。見上げていると急に床が揺らいだ。地震?お屠蘇が効いた?立ち眩み?両眼を押さえてしゃがみ込んだ。ゆっくりと立ち上がり頭を振り眼を瞬いていると風景が一変しているではないか!揺らめく蜃気楼のように夜の浅草十二階の下に立っていたのだ。……黒いインバネスを羽織った背の高い男が話しかけてきた。
顔は細面で、両眼が少しギラギラしすぎていたほかは、一体によく整っていて、スマートな感じであった。そして、きれいに分けた頭髪が、豊かに黒々と光っているので、一見四十前後であったが、よく注意してみると、顔じゅうにおびただしい皺があって、ひと飛びに六十ぐらいにも見えぬことはなかった。その黒々とした頭髪と、色白の顔面を縦横にきざんだ皺との対照が、はじめてそれに気づいた時、何か非常に無気味な………そう、違和感があった。
「あなたは十二階へお登りなすったことがおありですか?ああ、おありなさらない。それは残念ですね。あれは一体、どこの魔法使いが建てましたものか、実に途方もない変てこれんな代物でございましたよ」。
それだけ言うと黒い風呂敷包を持って、背後の闇の中へ溶けこむように消えていったのである。彼は何者なのだ?押絵と旅する男か?遠く曲馬団のジンタの響きが漂ってくる。帝都の暗闇に蠢く陰獣、黄金仮面、怪人二十面相、豹男、道化師、一寸法師、…おどろおどろした乱歩の世界に不気味さと不快さを持ちながら耽溺したものだ。まあ、紅色彩りエログロと奇形的好奇心を猛烈に刺激するのだ。乱歩の美学を表したものは「火星の運河」だろう。白昼夢とも幻影ともとれる小品だが、彼の美意識の告白なんだろう。
…鬱蒼とした森の奥、その暗闇に暗く淀んだ沼がある。岩島があり全裸の美女がいる。その白い肌を爪で掻き毟り流れだす鮮血の赤、それが火星の運河のように、黒い背景に白い肌と無数の赤い溝の対比を映し…こんな世界だ。
十二階「凌雲閣」は明治23年(1900)に建てられ大正12年9月1日(1923)の関東大地震で崩壊した。だから「怪人二十面相」(1936)は登場しないんですね。「怪人二十面相」はアルセーヌ・ルパン、明智小五郎はシャーロック・ホームズを彷彿させるし、少年探偵団はベイカー・ストリート・イレギュラーズだ。昭和31年に始まったラジオ放送では興奮した。テーマ曲は今だって歌えるのだ。
〜ぼ、ぼ、僕らは少年探偵団 勇気りんりんるりの色 望みに燃える呼び声は 朝焼け空にこだまする ぼ、ぼ、僕らは少年探偵団〜
少年探偵団に入会するとBD(Boy Detectives)バッジが貰えるのだ。痛烈に欲しかった!あれから57年…あの少年よ、いま何処……
1/ 16th, 2014 | Author: Ken |
君はこの衝撃に耐えられるか?
新年早々恐縮だが、さる知人から「5ページ以上読んではいけない!」という本を見せていただいた。その衝撃たるや!ディープ・インパクトだ!開いた瞬間、今は昔、薄暗いタイ料理の店でスープを啜っていると何やら浮かんでいる。具だと思い噛み締めた瞬間、声にならない悲鳴とともに口中に火炎迸り焦熱地獄もかくや?….おかげで後半の料理はパス、氷を頬張るしかない苦しみと、割り勘負けの悔しさの記憶が蘇った。(尾籠な話だが学生時代にスポーツ病に罹った。そうインキンですよ。チンキを塗ったら股間に燎原の火の如く炎が走りその熱さたるや!ひたすら団扇でパタパタ。覚えがあるでしょ、御同輩)。それ以来の仰天である。「と」もここまで来たか!
◎「ドラコニアンvsレプティリアン これが 〈 吸血と食人 〉 の超絶生態だ!」
高山長房・著:ヒカルランドこれ真面目なの?それとも面白がって?ゲーム攻略本?SF?、何となく「エイリアン対プレデター」という映画を思い出しますネ。….ところが真面目というか、思考がトンでるというか、小学低学年が書いたゲーム世界というか、要は地球は宇宙人に侵略されている。だから「地球人類救済」のために東奔西走(当本清掃?)しているんだと。お決まりの宇宙人陰謀論だ。ネットからパクった写真が満載で、何やらデータらしき図やら科学用語使い、歴史学、国際政治、軍事、進化、次元、もちろんオーパーツやら何でもありなのである。ところがこの著者、科学用語を全く理解できていないんじゃないんですか? 著者のプロフィールを見ると ●第59代宇多天皇家35代、高山右近大夫長房16世、その他、国際科学研究所顧問だとか並べた、中年太りのオジサンの写真がある。でも、5次元なんて言葉満載だけど、著者の次元は相当に?(失礼、低次元の話は止しませう)
◎「光の五次元にアセンション、2012年の奇跡」中丸薫・著:あ・うん
著者は国際政治評論家で「21世紀の偉大な思想家2000人」に選ばれたそうなあの端正な悪役で映画俳優の故中丸忠雄さん(電送人間やゴジラ、そして岡本喜八映画には欠かせない人だった)の奥方だそうだ。著者によれば「光」のエネルギーがアセンションへと導く….私が現在、さまざまなところから得ているインスピレーションや情報では、フォトン・ベルトの突入によって、地球は「光の五次元世界」にシフトするようです。……私たちの存在は、もともとすべてが「光」であり「電気的」なものです。ですから、ある波長に達すると光のエネルギーによって高次元に移るのです。これに備えて、私たちが準備しなければならないのは、「愛のエネルギー」です。無償の愛のエネルギーが「心の浄化」を進めて、アセンションに連動することができるようにしてくれるでしょう。そして、ある時間帯にそのアセンションに連動するように心の波動を合せればいいのです。….とある。
真面目に物理学を勉強してみませんか?できれば図書館に行って「宇宙」「物質」「量子力学」「統一理論」なんか、分かる分からないを別にして、20冊ぐらい読んでみませんか?現代最高の物理学者が数式もほとんど使わずに、ほんとうにわかりやすく解説してくれています。数百円も出せば「素粒子から宇宙」の本が手に入りますよ。この方、本当にジャーナリスト?この程度の知力で世界を歩いているの? それにしてはリテラシーがあまりにも…..もうお笑いツッコミだって疲れそうだ。
◎そして、あのエル…カンターレ、総裁様の本だ。もう、笑う気にもなれぬ。「と学会」も疲れるだろうな。
まあ、この方々は「波動」「次元」「光」なんかが好きですね。(哲学、宗教的意味でのアナロジーとしての物理用語を使うのであれば、まだ許される気もするのだが….)、どうもそうではない。何でも銀河系宇宙連合体のクエンティとかいう35000歳の地球を守る方とコンタクトしているそうな。そして陰謀論だ。ワンパターンですね。(昔VSOPが流行った。ヴェリースペシャル・ワンパターンだ。そんな詰まらないジョークを思い出さすなよ)。このような本が巷に溢れている。図書館にだって真面目な研究書や啓蒙書の隣に並んでいるのだ。そしてこれらの著者には有名国立大学の教授様まで書いているのだ。みんな老人になれば死期を考えてしまう。どこかに救いが欲しいのでしょうか?論理や正常識をそれこそワープして「と」になってしまうのだ。あるマジシャンが言っていた「科学者をダマすのは簡単です。だって彼等は奇術に無知だから」とね。知性や理性って何だろう?正常と異常、常識と非常識、信じている人にとってそれが「真実」なんだから。何を言っても、もう、笑うしかないか……。まあ、カウンターにもたれてのヨタ話、ホラ話、楽しいですね。
(注!)真面目な啓蒙書であるノーベル賞物理学者の「物質のすべては光」フランク・ウィルチェック著、 吉田三知世訳・ハヤカワ書房と本のタイトルが似ているからって、一緒にしないでね。一般読者向けの優しく書いた最先端物理学の解説書です。ヒッグス粒子も認められたことだし。宇宙のセンス・オブ・ワンダーを知ることは楽しいですね。
1/ 1st, 2014 | Author: Ken |
あけましておめでとうございます。
12/ 21st, 2013 | Author: Ken |
秘密?…..それは秘密です。
戦前、戦中には「治安維持法」「大本営発表」「思想犯」「憲兵」「特高」「言論統制」「非国民」…。こんな言葉がまたぞろ聞こえてきそうだ。何たることぞ! まるでオーウェルの「1984」か、ブラッドべリの「華氏451」か、マッカーシズムか、嫌な足音が聞こえてきそうだ…..。
「特定秘密保護法案」
★「その漏えいが我が国の安全保障に著しく支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であるもの」を行政機関が「特定秘密」に指定する。
★秘密を扱う人、その周辺の人々を政府が調査・管理する「適性評価制度」を導入する。
★「特定秘密」を漏らした人、それを知ろうとした人を厳しく処罰する。そしてその秘密を管理している当の行政機関が「特定秘密」に指定する。
秘密保護法とは、秘密指定され、それが政府によって隠され「何が秘密」にされたのか、国民には知る術が無いのだ。また、日本版NSCは議事録を取らないという。政府答弁議事録を作成は公文書管理法に従って管理後に公開が義務づけられるが、最初から議事録が無ければければ公開する義務も生じない。これは現在と将来の歴史家は検証できなくなることを意味する。後世への歴史的責任はどうなるのか?….記録こそ後世に史実として存在し歴史があるのだ。そして「最長60年の原則を超えて期間延長できる秘密を7項目に限定し、それ以外の項目は遅くとも60年後には公開。また7項目は秘密指定を延長できる。」だと?
…この法案に関わった者たちは誰も生きていないではないか!もちろん僕も。無責任極まる。
まるで憲兵かゲシュタポが見張っている世界が近づいているかのようだ。自由という言葉を使えない、嫌な世の中の最たるものである。そして「集団的自衛権行使」「共謀罪」「NHK支配」「教科書検定制度」「改憲」「愛国」….。無責任国家になりたいのか。僕もこの国に生まれた以上、国を愛している。それは自由で開かれているからだ。ついこの間も「愛国無罪」と叫んで暴虐を尽くす映像が流れた。
「愛国は悪人の最後の拠り所」サミュエル・ジョンソン。まさに……
12/ 2nd, 2013 | Author: Ken |
ゥワーッ!大好きだ!Mr.ハリーハウゼン。
いま映画はCG全盛である。何だって造れるのだ。ここ数年でとうに亡くなった俳優が完璧なCGで蘇るのではないか …?でも、どうしてCG映画ってあんなに退屈なんだろう? 確かに見たこともない怪獣や変身やスペクタクルは満載なんだがほとんどが印象に残らないのだ。「ああ、またか」で終わってしまう。3D映画も 3DTVも「だからどうした」になってしまうのだ。名作「キングコング」(1933)だって何回も作られているが、やはり本家に止めを刺すのだ。動きや合成はチャチかもしれないが「センス・オブ・ワンダー」があるんだ。「真珠湾攻撃」も数々の映画が作られたが「ハワイマレー沖海戦」(1942)がオリジナルだ。「パール・ハーバー」(2001)なんて、CGは凄いのだが、くだらんを超えて退屈極まりない極低のものだった。特撮(この言葉、古いネ)は面白い。しかしそれを超えた「ドラマ」があってこそ特撮も生きる。しかしだ、特撮を見せる映画もある。
そこで、大好きな映画に「アルゴ探検隊の大冒険」原題: Jason and the Argonauts(1963)がある。楽しいの何のって!確かにB級映画かもしれないが、特撮監督のレイ・ハリ−ハウゼンの形を1コマずつ撮影するモデルアニメーション手法に嬉しくなってしまう。そして人形と俳優が一体となって動く「ダイナメーション」、俳優の演技に合わせてコマ送り人形を動かすのだ。つまりマニュアルなんだ。手作りなんだ。もう、必然性のない撃ち合いやカーチェイスは願い下げだし、CGで都市を破戒したり怪物がゾロゾロ出てきてもアクビしっか出ないもんね。「アルゴ探検隊の大冒険」は彼の最高作だろう。青銅の巨人タロス、もうワクワクするではないか!動きは稚拙だが驚きの映像だ。踵の蓋を開けると溶岩のような熱湯が吹き出し倒れるなんざ….。吠える岩もいいね。 狭い海峡を船が通ろうとすると岸壁が崩れてくる。突如ポセイドンが現れ崩れる崖を抑えて船を通すのだ。大きな魚の尻尾が現れたりするリアルさが何とも最高!そして龍の歯を撒くと大地を割って7人の骸骨剣士が現れる。そしてチャンバラだ。クリーチャーのあの動きったら!もう!
今年5月レイ・ハリ−ハウゼン(92歳)が亡くなった。昨年に逝ったレイ・ブラッドベリ(91歳)とは高校時代からの友人だそうでである。ブラッドベリもハードSFではない。ファンタジーというか、少年の眼だ。….ハリーハウゼンもそうなのだ。現代のCGは遥かにリアルでありスピードと驚きの動きがある。しかし昔のダイナメーション動きは稚拙なのになぜ強烈な印象を与えるのか?
そう言えば … 近松門左衛門が語ったと言われる「虚実皮膜論」というのがあった。
「虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰が有るもの也」。微妙な「虚」と「実」の間に芸があり観客を魅了するのだ。
何と江戸期に「人形浄瑠璃」で喝破している。太夫、三味線、人形使いの「三業」による三位一体の演芸である。誰だって人形なのは知っている。人形を操る三人も丸見えだし、絵空事であることは分かり切っているのだ。なのに何故、涙を誘うのだ。知らぬ間に人形だけに集中し、あたかも人形に心あるように見えるのだ。それは観客の集中力と想像力というものに依拠しているのだ。人形に感情移入し状況に同化するのだ。…..小説しかり、音楽しかり。注意を向ければ、自分が見たい聴きたいものだけが、見え聞こえるのだ。人形の向こうにドラマを見るのだ。ハリーハウゼンもその辺をよく知っていたのだろう。
11/ 24th, 2013 | Author: Ken |
虎よ!虎よ!
Tiger! Tiger! burning bright 虎よ、虎よ、赫々と
In the forests of the night, ぬばたまの森に燦爛と燃え。
What immortal hand or eye そもいかなる不死の手はたや眼の
Could frame thy fearful symmetry? ああああああああああああ造りしや汝がゆゆしき均整を?
AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA「無垢と経験のうた:虎」ウィリアム・ブレイク
「虎よ、虎よ!:Tiger! Tiger!、あるいは「わが赴くは星の群:The Stars My Destination)1956。アルフレッド・ベスター、邦訳は1964年。SFによるデュマの「モンテ・クリスト伯」のような復讐譚だ。半世紀ぶりに読み直してみた。….当時、その壮大なスケールや異常なる世界にワクワクドキドキしたものだ。舞台は24世紀、ジョウント効果(テレポテーション)で飛び回り、内惑星連合と外惑星連合との打ち続く戦争…主人公ガリヴァー・フォイル。ただ一人で漂流する宇宙船を見捨てられた彼は、サルガッソ小惑星群(スターウォーズもこのへんからアイディアをいただいていますね)の科学人に拾われ額にN♂MADと虎のような刺青を入れられる。後に手術で刺青は消すのだが怒ると顔に模様が浮かび上がるのだ。奥歯にある加速装置を起動するとコマ落としのように通常の何倍ものスピードで行動できたりハード仕立ては無視だ。….彼は絶望と復讐心を糧に見捨てた奴らに挑むのだ…..と。いま読むと荒唐無稽、御都合主義で、フーンという感じですね。暴力描写だって、当時ミッキー・スピレーンのマイク・ハマーが45口径を轟かし大流行だった。あの頃はパックス・アメリカーナを謳歌する時代だったんですね。終わりの方にタイポグラフによるデカイ活字表現なんかあって実験的だったんだ。でも、やはり時間が経てば古びるというか、パラダイムというか時代性ってそんなもんですね。映画化の話もあったそうだけれど若きシュワルツェネッガーだったら似合うだろうな。もうCGづくしのドンパチ・カーチェイス・ハリウッド映画なんて食傷気味ですが….。
アメリカのペーパーバックの表紙が大好きだ。リアルでダイナミックで毒々しく、日本人が描くと劇的でないのだ(生頼範義は別格)。見ているだけでワクワクしてくる。特にフランク・フラゼッタなんざ……。だから描いてみました。お笑いを。
11/ 18th, 2013 | Author: Ken |
リメイク考。
リメイク流行りである。アイディアが枯渇したか、わざわざ映画館に足を運んだのに、あまりのチャチさ雑さ作品に呆れたり、怒ったり、映画の衰退をまざまざと実感してしまう。これだけ映像技術やレンズ、CGが発達しても作り手のセンスやアイディアが無ければ所詮、駄作でしか出来ないのだ。そこでリメイクだ。まあ、お手軽なのである。「椿三十郎」のリメイクを見たが学芸会じゃあるまいし、その劣化性は鼻白むというより、苦笑しかないではないか! モノマネ以前の問題だ。黒澤明監督に失礼である。
【一命】嗚呼、時代劇の最高作を何としてくれる。何か汚された気がするのは私だけだろうか。おまけにカンヌ(とっくに何とか賞なんて地に落ちて宣伝用としか感じないが….)に出品するなんて恥ずかしい限りだ。前作【切腹】とは品格、質、重量感、比べるのも烏滸がましい限りである。原作は滝口康彦『異聞浪人記』である。作者は『明良洪範』にある短い話からきっかけを得たそうだ。
そこでネットで検索してみた。あるんですね。http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/990298/91 巻之十二にある
「其頃は浪人甚だ多くして諸侯方ヘまで合力を乞に出たり 或日井伊掃部頭直澄居屋敷へ浪士一人来りて永々浪人致し既に渇命に及び候間だ切腹仕度候 介錯の士を仰付られ下さるべしと云 直澄聞れて其武士は吾家に抱へられ度き望みか或は大分の合力でも受たき望か内心に在んなれど左様は言はずしてわざと切腹致たくと言ふならん 其言ふ所に任せ切腹さすべしと云 是に因て食事をさせ切腹致させけるあとで直澄後悔しけると也 又神田橋御殿へ浪人推参し飢に及び候間だ御合力下さるべし 左様なくば御門内を汚し申さんと云 此時詰居たる者は大久保新蔵伊那傳兵衛など名高きしれ者ばかり詰居たれば幸ひ也 新身刀のためしにこやつを切て見んなど云けるを其浪人もれ聞て忽ち迯去しと也 是より諸侯方へ浪人の推参する事止みけると也」と………
【切腹】1962 ●監督:小林正樹 ●脚本:橋本忍 ●音楽:武満徹 ●撮影:宮島義勇 ●受賞:カンヌ国際映画祭(1963年 審査員特別賞)、ブルーリボン賞(主演男優賞:仲代達矢、脚本賞) ●キャスト:仲代達矢(津雲半四郎)、三國連太郎(斎藤勘解由)、
丹波哲郎(沢潟彦九郎)、石浜朗(千々岩求女)、岩下志麻(美保)、その他。監督はあの「人間の条件」を作った人であるから当然として、橋本忍の脚本は原作を深く解釈して無駄がない。時代考証も整い、武士の歩き方、角の曲がり方など卒がない。半四郎と勘解由との丁々発止の緊張感、「武士に二言は無いな」…半四郎は黙って脇差を少し抜き、ビシッと収める。言葉以上の言葉を見せるのだ。宮島義勇の映像も重く美しい。音楽の武満徹も鶴田錦史の薩摩琵琶の迫力ある響きで緊張感が胸に迫る。主演の仲代達矢は当時29歳だが五十歳台の半四郎を演じている。丹波哲郎(彦九郎)の端正で冷徹な演技、冷酷で底意地の悪い家老を演じる三國連太郎、この両者の対決こそが肝心なのだ。武士道の「面目」という儀式に象徴される「切腹」、武士の魂たる大小まで売り渡し、竹光など手挟む求女は、武士の風上にもおけぬ輩なのである。求女のそれが竹光であったと知った時、半四郎はいまだに大小にしがみついてていた己に愕然とし、刀を叩きつけ「このようなものに」と慟哭するのだ。だからこそ所詮は人間であるからこその「生きる痛み」を知ろうとしない井伊家の「武士道」「面目」「虚飾」という立前を糾弾するのだ。映画作りの生真面目さと緊張感、スタッフの意気込みがひしひしと伝わる、映画史に残る不屈の名作である。
【一命】2011 監督:三池崇史、脚本:山岸きくみ、音楽:坂本龍一、市川海老蔵(半四郎)瑛太(求女)、役所広司(勘解由)脚本は随所に橋本忍の剽窃が見られる。また時代考証も甘く、現代言葉が出てきたりして…..海老蔵の半四郎はとても戦国武士の成れの果てとも思えない弱々しさである。囁くような声、おまけに若すぎる。これではまるで兄弟ではないか。瑛太の求女も頭の鈍い高校生じゃないか!とても四書五経を教える寺子屋の師匠にはみえないし、三両を!と絶叫したり、落とした卵を地面に口を添えて啜るなんざ….見たくないですね(それが狙い?)。音楽も平板で全く印象に残らない。玄関の衝立も「切腹」では虎、「一命」では牛、苦笑しましたね。冒頭、終わりの表玄関、赤備えの甲冑….パクリじゃないか!
一言で言えば「カラーでのリメイクの作りよう、どんなものかと得と拝見仕ったが、やはり見苦しい」。
五十年という時が過ぎ、時代性というか製作者たちのパラダイムが違い過ぎるのですね。「切腹」は監督、スタッフ全員が戦争を超えてきた世代である。人間が生きる最低限を見てきた世代である。だから凄みがあるのだ。じゃ、現代人はどうすれば良いのだ?それは想像力である。誰も江戸時代に生きたことはない。所詮は作り事である。フィクションである。しかし、その時代を考証し深く知ることによりイメージを練り上げ、映画上に創造さすのだ。・・・だけど「現代の観客には武士言葉なんて分からないから現代語で話すのだ」と。それなら髷も付けなさんな。…武士道物しか描かない極めつけの劇画家平田弘史氏なら何と言うだろうか。彼は「武士道無残伝」だったか「切腹」を克明に劇画化していた。台詞も顔も同じである。VIDEOもDVDも無い時代である。何回映画館に通ったのだろう。たぶん「一命」なんぞ切って捨てるだろう。いや武士として「恥を知れ!」と。そうそう、名作「子連れ狼」の劇画脚本家、小池一夫氏が昔テレビで言っていた….「切腹」こそ時代劇の最高峰だ!と。…..僕も18歳からいままで20回以上は見ている。いやこれからも見るだろうな。台詞もシーンもすっかり覚えてしまったが、良い物は何回見ても見飽きないのだ。
9/ 12th, 2013 | Author: Ken |
華氏451度
火の色は愉しかった。ものが燃えつき、黒い色に変わっていくのを見るのは、格別の愉しみだった。……. 何十年ぶりに何度目かの「華氏451度」を読んでみた。時代が何か画一化され、ネットだスマホだゲームだ。「風立ちぬ」だ、「倍返しだ!」「あまちゃん」だ「東京オリンピック」だ…..。先日も「花は咲く」が流れ始めたのでTVを消すと、愚息が「オヤジ、人前ではせん方がええで」と抜かしやがった。電車の中で小難しそうな本を開いたり、ぼくはこんな本を読んでいますとは言い出せない。だからブログで吐き出しているんだ。別に「花は咲く」が悪いんじゃない。そのお手軽さと、”いかにも”が気持ち悪いんだ。ほら、”音楽エイドとか ”愛は地球を救う”なんて…..言葉だけでご勘弁をと言いたくなる。それを毛嫌いする奴は反社会人だ!のイメージ。………ぼくだって「阪神淡路大震災」で相当な….。大阪市長「中年H」の言動、「ヘイトスピーチ」の醜悪さ、嗚呼!「腹立ちぬ、いざ怒りめやも」だ。
本を持っても読んでもいけない社会。国旗や国家を強要する社会。権力が威張る社会。「自分」という眼を閉じる社会….。華氏451度(摂氏233度)は紙の燃えはじめる温度である。本書は、Fahrenheit 451(1953)はレイ・ブラッドヴェリのベストスリーに入るのではないだろうか。当時のアメリカに吹き荒れていたマッカーシズム、赤狩り、その忌まわしさと恐怖が書かせたのだろう。
「禁書」権力が有害と見做した書籍、いや、国民に知恵と理性による疑問を持たせないために政府が仕組んだ陰謀である。かって歴史には度々行われ、特にナチによる1933年の映像は有名である。これは記録フィルムで見ることはできるが「インディ・ジョーンズ」でもこのシーンを再現していた。火炎の持つ異様な興奮と高揚、ぼくもあの場にいたら思わずジーク・ハイル!と言ったかも………。
小説ではサラマンダー(火蜥蜴)のシンボルを戴く焚書官(ファイアーマン・fireman)である。蔵書や読書が反社会的であり、焚書官は本を火焔放射器で焼き尽くすのが任務だ。密告が奨励される相互監視社会である。家庭で人々は3DTVを彷彿させる映像に浸り「家族」と呼ばれる番組が主婦を虜にしている(あの….流ドラマを思い出しますね)。耳には海の貝と呼ばれるイヤホーンを四六時中差し込んで….。権力者は国民が馬鹿であるほど好都合なのだ。知らず、聞かず、語らず、考えず、自由を求めず、与えられたものだけで満足する愚民こそが必要なのだ。ディストピア(反ユートピア)の近未来を描いている。権力者が作った虚妄の番組で、思考停止にさせ、 戦争という危機を煽る社会なのだ。かって、ハックスリーの「素晴らしき新世界」があった。オーウェルの「1984」があった。日本でも現実として治安維持法があり思想的書物を持つ人たちを特高や憲兵が残酷に取り締まった。戦争中には「大本営発表」という捏造で人々を煽りながら、書
物による個人の直感、洞察力、認識力の高まりを抑えたのだ。非国民!と叫んでね。
そうそう、TVが始まった頃に「一億総白痴化」という言葉が流行りましたね。いまならネットで「七十億総白痴化」か!…..使い方次第だと思うけど。北朝鮮や中国ではネットを規制しているけれど….。「私たちにはキングもエンペラーもいらない。…..緩やかなアクセスと動いているコードがあるだけだ」。
「書物」とは知的財産なのだ。活字(いまはフォントといいますね)を文法というルールに従って並べれば文章というものになり、そこには想像力という映像(クオリア)を見る。なぜ記号の羅列から「喜び、好奇心、泣く、笑う、同情、怒り」などという情動が喚起されるのだろう(ぼくは古いのかモニターで見ても頭に残らない。消した瞬間に大半は忘れる。想像や感情が湧かないのだ。なぜなのだろう?)。「数学」は物理現象を記号で書き表し、「音楽」は楽譜という記号から美と快感と情動が起こり、「映像」は視覚記録と幻影を作りだした。いまや、すべてはビットという単位で作られ、データという電子で構成されている。
このウェブ時代に入りPCや携帯電話もたかがここ十数年のことなのだ。スマートフォンは携帯PCだし、どこまで行くのだろう。面白いことに、かって勤勉のシンボルであった二宮金次郎の銅像ね。背には薪を背負い、寸暇を惜しんで読書している。〜手本は二宮金次郎〜だ。でも街を歩いたらバックパックを背負いスマホを見ながら歩く人々が多い。あれっ?二宮金次郎と同じ格好だ。
9/ 3rd, 2013 | Author: Ken |
「種の起源」とダーウィン。
人類の知性が著した革新的思想の本といえば、古代ギリシャから現代まで無数にあるが、その中でもパラダイムシフトを起こした本といえば、ニュートンの「プリンキピア」、ダーウィンの「種の起源」、アインシュタインの「相対性理論」だろう。・・・は間違っていた!という本をたくさん見かけるが(コンノケンイチさんなんて凄いですね。そのトンデモ度合に嬉しくなります)特に多いのが「アインシュタインは間違っていた」が多い。物理学者にもこの手の手紙が多いそうだ。そこで物理学者は「それを数式で説明してくれますか?」(ちょっとイヤミ)という返信を出したら、絶対に返事はないそうだ。ニュートンやアインシュタインはポパーのいう反証可能性と再現性と実験、数式で証明できるが、進化論となると誰でも進化論者になれる。だから、150年以上論争が続き、いまだに喧々諤々である。
……「種の起原」。今まで引用や部分的にしか読んだことがないからこの際通読してみた。エッどこが? 僕たち日本人にとっては教育のせいもあるだろうが、極めて自然に受け入れられる。やはり背景にある文化が論争を呼ぶのだろう。アメリカではいまだに「進化論」を教えるな!教えるのなら「創造論」も同等に教えろ!とか、科学的を装って「ID・インテリジェントデザイン」だ!と喧しい。「アダムの臍論争」もそうだ。アダムにヘソがあれば母から生まれたのであり、神が作ったものではない!(どうして男にも無用の乳首があるのでしょうね?)と。また気をつけたいのは書店や図書館にこの手の「創造論」の本が鎮座ましましているから気を付けたいものだ(それなりに面白いが最後に某宗教団体の名があるから?ですね)。僕だって花カマキリや木の葉虫の擬態には驚嘆するし、蜂や蟻の社会性、べっこう蜂の戦略、植物と昆虫の適応など、この絶妙とも言える生物の生態はダーウィン説だけではとても説明できるとは思われない。19世紀にはまだDNA二重螺旋もゲノムも知られていなかったけれど…。
しかし、現代がそれを知ったかといってダーウィン説を否定できる証拠もないし、あまりにも未知が多すぎる…..。「種の起源」を読んでみても、今までこんなことに誰も気づかなかったのか!と言う気がする。1859年11月24日はキリスト教社会には激甚の日だったのですね。ダーウィンの「種の起源」の本意を大きく分ければ、
1)進化論そのもの 2)共通起源説 3)種の増殖説 4)漸進説 5)自然選択、性選択 という所だろう。
いまだに論争が絶えないのだが、その中でもリチャード・ドーキンスは「創造論」批判の急先鋒だ。利己的遺伝子論で「自己複製する実体の生存率の差によって全ての生命は進化する」「無神論者は誇りを持つべきだ、卑屈になる必要はない、なぜなら無神論は健全で独立した精神の証拠だからだ」「無神論は進化を理解することの論理的な延長である」と、鼻息が荒い。……まあ、科学と宗教は別次元の話だし、神を信じなくても人生において「哲学としての心の慰め」に宗教は大きな力を発揮する。ぼくは八百万の神々は迷信だし、創造論は神話だし、「原罪」だなんて何のことだかわからない。「ああ、神様!」と言うこともあろうが、ダーウィンからドーキンス(どの本も本当に面白い)の考えに強く惹かれますね。