4/ 9th, 2013 | Author: Ken |
廃墟の美。… 滅ぶからこそ美しい。
人は何故廃墟に惹かれるのだろう。最近では長崎半島の沖に浮かぶ「軍艦島」や神戸にある「摩耶観光ホテル」などが有名だ。栄枯盛衰、興亡と光芒、かってが栄耀栄華が壮大であるほど廃墟は沈積した寂寥を漂わせるからか。人も死ねば廃墟となるのか…。
「平家物語」は滅びの美を語り、「方丈記」は時の流れの無情さを写す。また…. 鎌倉時代の「九相詩絵巻」には美しい女性が死に体が腐敗風化していく順に九相が描かれている。変色し、膨張し、腐敗し、鳥がついばみ、獣が喰い、ついには白骨の野ざらしになる。
…いろは歌も涅槃教も諸行無常と…..。谷崎潤一郎の「少将滋幹の母」には、美しい妻を失った老大納言が、未練を絶つために都の外れに行き 死体を眺める。それは不浄観という修行で、いかに美しくとも死んで朽ちればば醜くなることを 悟ろうとするものだ。
…一度生を享け、滅せぬもののあるべきか …されば、朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。…野外に送りて夜半の煙となし果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。
廃墟に拘った画家としては16〜17世紀のモンス・デジデリオだろう。夢の中の宮殿、崩壊する神殿、地獄の炎、時間が凍り付いた建築物はいかなる幻想から生み出したのか。同時代のピーテル・ブリューゲル「バベルの塔」を何度も描いている。18世紀イタリアの画家・建築家であるジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージもローマの古代遺跡の版画で新古典主義の建築に大きな影響を与えた。その流れがナチの建築家アルベルト・シュペーアだ。ニュルンベルグ党大会の会場設計と演出、これはリューヘンシュタールの「意志の勝利」に見る130本のサーチライトによる光の大聖堂。彼は「廃墟価値の理論」を持ち込み、ローマの廃墟のように1000年後の遺跡さへも美しいという巨大な建築群を建てたが敗戦とともに愚行と嫌悪の声に埋もれた。そしてドイツロマン主義を代表するカスパー・ダーヴィト・フリードリヒだ。古代の巨石墓、崩れた僧院、墓地、枝がのたくる樫の木、荒涼と静寂、その風景は宗教的挙崇高さへ感じる。
映画監督のA・タルコフスキーの描く廃墟も美しい「ストーカー」「ノスタルジア」、それらは記憶、魂と救済へのオマージュだ。人は何故廃墟に惹かれるのか? 死への不安か? …人は必ず去らなければならない無常観か?… 時の鑢が現世を削るペシミズムか?
土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲「荒城の月」〜 今荒城の夜半の月 変わらぬ光誰がためぞ 垣に残るはただ葛 松に歌ふはただ嵐〜
詩人立原道造は「優しき歌」の「薄明」で
…はかなさよ ああ このひとときとともにとどまれ うつろふものよ 美しさとともに滅びゆけ!…と。何かシューベルトが聞こえてきそうですね。
4/ 1st, 2013 | Author: Ken |
僕はここにいます。… 記憶と時間
ぼくが僕であるためにはぼくが僕を認識しなければならない。つまりセルフ・アイデンティティ:自己同一性と言う訳だ。アプリオリのDNAや肉体はあるとして、ぼくが僕であるのは記憶というものがあるからだ。記憶喪失になれば自分で自分が分からなくなるから記憶が私を作っているのだ。じゃ、記憶って何なんだろ?それをいままで得て来た時間って何なんだろうか?
「記憶とういうものがあるのは分かっているのだが、あらためて聞かれると分からなくなる」….時間についてのアウグスティヌスの有名な言葉と同じである。頭の中にあるのは確かなのだが、実態はないし極めて曖昧な霞のようなもので、脳のハードウェアはタンパク質や脂質、水、神経繊維や微量の化学物質と微弱電流等々である。…つまりミートウェアだって訳だ。こんな物質で出来たものからどうして記憶、思考、意思、判断、喜怒哀楽、空想、あるいは情報が生まれるのだろうか?コンピュータのように1と0のデジタルじゃないし、どんな形で記憶を貯蔵しているのだろう? ニューロンの回路が形成されて、それが記憶になる?いやペンローズの仮説ではチューブリンの中で量子力学的な「ゆらぎ」があり、脳はその不確定性を用い、これが「判断、意志、心」であるというが … 。
ぼくたちは色々な本を読み、映像を見、音を聞き、匂いや触覚を覚え、雰囲気を感じる。それら様々な体験が一方向に記憶量を増加させている。ということは過去・現在・未来という「時間の矢」に乗っているのだ。記憶があるから過去、記憶が無いから未来なのか。ぼくたちは食物というエネルギーを取り込んでネゲントロピー資源によって生きている。これは熱力学第二法則に反している訳だが、記憶も秩序性をもたらすのだからこれもエントロピーの減少なのだろうか?
本を読んでも詩を読んでも、映画を見ても、見ている傍から忘れてしまう。もちろん言葉や映像は微かに朧にあるのだが、実態は掴めない。試験勉強みたいに無理矢理覚えても、それは記号を覚えているだけだ。ただ記憶というそれらが薄らと積み重なり人格になり、思い出や追憶という過去へ飛び、未来や空想という飛躍の糧になっている。… 僕にとって少年の頃や過去はこの脳のなかに実態無く存在している。写真や過去の道具を見る度に、それは確かに有ったのだが、しかし過去とはとっくに無くなったものだ。あたかもあるように覚えるのは脳が作り出している幻だ。記憶とは幻想にしか過ぎない。時というのも錯覚だろう。時計があるから「時」なんだ。よくビデオを逆回しすると、映像的には割れたガラス片がグラスになり過去に戻る。映像タイムマシンだ。だが待てよ、それが10秒の映像なら僕の時計では10秒の時間が過ぎて未来に行っているんだ。記憶や時間って何なんだろうか?
虚空から一粒の砂がわき出し微細な流れとなって落ちて行く。砂時計のくびれた部分が現在だ。そして静かに降り積もり降り積もり、今は過去を背負い今は未来を……。
3/ 27th, 2013 | Author: Ken |
Mr.T.Shigeji
繁治照男氏が三月二十六日のお昼に旅立たれた。デザインの世界を一気に駆け抜けられた生涯だった。
先週までベッドでビールを飲み、煙草をふかし、意識の混濁が始まってもデザインを考えていたそうだ。
「ワシはデザインも何も好き放題をやってきた。それでいいんや!」彼の言葉が耳に残る。…….
…..初めてお会いしたのは半世紀ほど前で僕がまだ高校生で、あの特異な風貌と鋭い目で睨まれたときには少し怖かった。
彼のデザインはまるで手品だった。どうしたらあんな発想が浮かぶのだろう…。とにかく新鮮だった。他とは全然違った。カッコいいのである。繁治氏は「NEW JAPAN」の宣伝課長だった。彼はサウナの概念を変えた男だ。それまで何となく如何わしいイメージがあったサウナを健康的で明るくしたのだ。「健康な人をより健康に」と。マクルーハンが流行ったとき「マクルーハン理論を実践しよう!」これがなんとキャバレーの案内状だ。他にも「割烹日本」「メンズジャパン」など数々の革新的なデザインをし、そして独立した。
「日本ブレーン・センター」NBCだ。ぼくはメンズウェア会社で企画・デザインをしていたので、彼のサブとしてディレクションをする機会が多かった。ぼくたちの会議はいつもバーだった。「こんどのカタログ、どんなテーマや?」「50年代のボールドルックで行こうかと」「そやな!表紙はイラストで行こ、おまえ描けや」それで終わり。ぼくの頭の中にはイメージができていたから直ぐに見せた。「ええやんか!」。「次何やね?」「ハードボイルで行こうかと」「アイディアあるか?」酒を飲みながら会話が続く。「探偵事務所のドア越しに狙ったら?どうでしょう」「「オモロいなそれ行こ」。
早速業者にドアを発注、シルクスクリーンで I Don’t Sleepなんて…。「おい、次は宝物の争奪戦のテーマで行こや、何がええ」「そうですねー、マルタの鷹みたいに….」
「OK! 鷹どうするねん」「作ります」早速、紙粘土を買い塑像作り。夜中にふとん乾燥機を回し庭で金色のスプレーをした。翌日の撮影ではまだネバネバしていたネ。彼には酒の飲み方も教わった。北、南、神戸、チェーンスモーカーで酒は底なし。とても追いていけない。「ジョージ・ロイスが先生やったからなー。あれワシらの原点やで。デザインはエンターテインメントなんや」。
「この人間という生き物、人間が対象やワシらの仕事は。人間らしくやりたいな、これやで!」。
3/ 17th, 2013 | Author: Ken |
飛行するデザイン….トンボ、秋津、蜻蛉、蜻蜓。
スイ、スイー….。この表現はトンボのためにある。ホバリングから加速、またホバリング。その飛翔姿は美しい。古来日本は秋津洲と呼ばれた。秋津とはトンボ、古事記によると日本列島は蜻蛉の形をしているからだと….。おいおい宇宙から見たのかね?
…神話を信用したとしても、高々二千年くらいだ。その点トンボは約三億年前の石炭紀には存在していた。それも70cm以上もある怪物のようなトンボ、メガネウラだ。その化石を見ると現在のトンボとほとんど変わっていない。よっぽど基本設計が優れていたのだろう。
タンデム複葉の羽は超軽量で強靭、桁に網目構造、透明の膜。これを平米に直したら何と11g。厚さ1mmのジュラルミンなら重量は2.8kg、トンボの羽と軽さだと0.004mmの箔になってしまう(佐貫亦・鯨飛べより)。そしてアスペクト比(縦横比)の大きい主翼は効率が良い。昆虫のような小さなものにとって飛行速度と空気の粘性力(レイノルズ数・慣性力と粘性力の比)はスープのように濃く無視できない。だから滑らかな断面を持つ層流翼は小さな飛翔体にはかえって纏いつき粘りつくのだ。そこでトンボは翅の断面を非常に薄く形状は凸凹にしたのだ。何と!凸凹翼は上面の前縁から整った渦列を作り、纏いつく空気を逃がし、抵抗を小さく揚力を大きくしているのだ。つまり揚抗比が大きい主翼は優れているのだ。ヤンマは時速50〜90kmで飛翔するというし、急加速、減速、ホバリング、旋回といった運動性にも優れた特性を発揮するのだ。その飛翔姿は攻撃ヘリコプターに酷似している。残念ながら生物なので回転翼じゃないが背中に負った4枚羽、巨大な複眼は1〜2万個がビッシリと並び動かすことによりほぼ全周が見渡せる。まるでヒューズドアレイ・レーダーかTADS(目標捕捉・指示照準装置)ようだ。強力な顎はM230チェーンガンか!獲物を見つけると抜群の運動性と高速に物を言わせ、飛んでいる蚊、アブ、ブヨなどを空中戦で捕まえる。害虫を捕るので益虫と呼ばれるがトンボは猛虫なのだ。
…ヤンマは低空を直線飛行でテリトリーをパトロールし巡回するので、比較的捕まえやすい。子どものころヤンマを狙って川辺で補虫網を振ったものだ。そっと指でつまむとオニヤンマは黄と黒のラグビージャージを着たみたいだし、オレは危険なんだぞという警戒色を見せつけているのだ。グリーンにギロギロと輝く大目玉の幾何学的模様、羽ばたきは恐ろしいほど力強いのだ。ギンヤンマのグリーンとブルーに輝く体は煌めく宝石のようだ。その美しさは生物というより人工物のようだ。太陽に透かし見蕩れていた….。
秋になるとアキアカネの群飛が美しい。(旧軍の複葉練習機はオレンジに塗装されていたので「赤とんぼ」の愛称で親しまれた。)色が濃くなるとまるで唐辛子かネオン管のようだ。……「赤とんぼ」、何か郷愁を誘うイメージが強すぎるが、これは陳腐なサスペンス刑事ドラマで使われ過ぎたせいだろう。安っぽいシナリオ、その罪は大きい。….昔、播州赤穂に友人がいてイチゴ狩りなんかで遊びに行くと夕刻ともなれば有線放送で「赤とんぼ」が流れるのだ。〜夕焼け小焼けの赤とんぼ 負れてみたのはいつの日か…(ずーっとトンボに追われたと誤解していたが)。三木露風・山田耕作先生にイチャモンをつけるわけではないけれど、この曲のメロディーは、ロベルト・シューマンの「序奏と協奏的アレグロ ニ短調 op.134」の中で何回も繰り返されるフレーズに酷似していますね….。
3/ 7th, 2013 | Author: Ken |
コケカキィキィーッ!… メディアはメッセージである。
コケカキィキィーッ! この怪鳥の叫び声が耳の底に残っている。おどろおどろした異形と妖怪の世界だ。夕暮れともなると拍子木の音が聞こえる。紙芝居だ!タダ見は後ろ! 「黄金バット」「水星魔人」「墓場奇太郎」そして「コケカキィキィ」だ。ストーリーも絵も忘れてしまったが、話は荒唐無稽で絵だって今見れば毒々しい泥絵具でぞんざいなものだろう。当時は紙芝居の絵は手描きで、もちろん印刷なんてしやしない。作者が適当に話を展開するから矛盾だらけだ。…それでよけいにシュールな味を出したのだろうか。
しかし、紙芝居のオッサンが頭のてっぺんから発するコケカキィキィーッ!の奇声はいまだに鳴り響くのだ。この辺を知りたくて姜 竣著「紙芝居と(不気味なもの)たちの近代」青弓社:を読んでみたのだが、その成立背景はなんとなく分かったのだが…。
当時はメディアはラジオ、新聞、リーダーズ・ダイジェスト日本語版、怪しげなカストリ雑誌であり、子ども向けはあったのだろうがなかなか手に入らなかった。「少年」「少年倶楽部」「冒険王」「譚海」….もう!ボロボロになるまでページを繰ったものだ。「紙芝居」も、そんな「好奇心と怖いもの見たさ」と「情報」を運んで来たのだ。まさに「メディアはメッセージ」なんですね。
60年代の中頃にマーシャル・マクルーハンが「人間拡張の原理…メディアの理解」だったかで語った言葉だ。僕も早速買って読みましたね。「機械の花嫁」とか「グーテンベルクの銀河系」なんかね。名前からしてカッコいいんだ。でも分かったような分からないような…まだPC、携帯電話、スマートフォンなんて夢かSFの世界だった。しかし、彼は現代のワールドワイド・ウエッブ時代を予見していたのだ。いまじゃメディアと簡単に言うけれど本来の意味は「媒体」や「中間」でmediumには「霊媒」という意味もある。まあ情報を伝達したり記憶するCDやUSBなどの道具もそう呼びますね。
….マクルーハンの言いたかったことって何なんだろ?メディアとはマトリョーシカみたいに入れ子細工になっていて、過去のテクノロジーやハードウェアが新時代には内容としてのソフトウェアになっている。と言いたかったのか?テクノロジーの発達が人間の能力の拡大・延長となりインターネットで世界同次元、同時刻にリアルに伝達・体現できるということか?
彼は「人間は電子のスピードで変化する答え、それも数百万という答えに囲まれている。生き残れるか、コントロールできるかは、正しいところにあって正しい方法で探査できるかにかかっている」。と言うが ….PCが人間的になった?…感性?
…感性工学…だからアイコン?…ユルキャラ?「それは感性の復活に他ならない」。感性という電気メディアで「あなたの感覚はマッサージされているのかもしれない」。止しておくれよ!そう装っているだけジャン!だれがアイコンごときで変わるものか!お遊びじゃないか!「いま頭骨の外部に脳をもち、皮膚の外部に神経を備えた生命体にふさわしい、完全に人間的な穏和と静寂を求めている」。だって?「人間は、かつてカヌー、活字、その他身体諸器官の拡張したものに仕えたときと同じように、自動制御装置のごとく忠実に、いま電気の技術に仕えなければならない」。ふーん、かって「紙芝居は教育に悪影響を及ぼす」と言った。「TVは一億総白痴化になる」と流行った。「ゲームは思考力を無くす」と。「ネットは中毒になる。携帯電話は会話を無くす…真の人間関係が崩壊する」とも。…それで街中にマッサージ屋が蔓延る訳か!正に「メディアはマッサージである」。…いやアンドロイドは電気羊の夢を見るのか?
2/ 28th, 2013 | Author: Ken |
飛行するデザイン…Shinden Racer
終戦間際に初飛行した「J7W1・震電」。1号機は戦後、アメリカに送られ、現在もスミソニアン・国立航空宇宙博物館の倉庫に眠っている。
ほぼ完成間近にあった2号機はどうなったのだろうか。破棄された。いやこれもアメリカに運ばれた。様々な説があるが、亡霊探し(ゴースト・ハンター)たちが遂に突き止めた。1999年、アメリカ・ユタ州、ソルトレーク・シティ郊外の個人飛行場の倉庫にガラクタやスクラップ機体の下にあるのが発見された。破損は酷く約50%が原型を辛うじて止めていた。個人収集家は亡くなっていたが遺族と交渉の末取得、GAF(Ghost Air Force)と協力し、レストアすることとなった。降着装置、機銃、キャノピー、計器、外板も大きく失われていた。プロジェクトチームの意見は二つに分かれ「完全にレストアする」、「いや一層のことレーサーに改造しリノのエアーレース・アンリミテッド・クラスに出場さすべきだ。
そこで大空を自由に翔させてやりたい」。….失われた大部分を制作する以上、新しい「震電」としてレースを目指す方向に決定した。機体構造、エンジン・延長軸はほぼ揃っていた。全てを分解し各パーツ毎に丹念に修理、失われたものは製作し、剥がれた外板も当時と同じ工法で製作し貼り着けるのだ。分解、掃除、修理、再組み立てが果てしなく続いた。降着装置はベルP63キングコブラの脚を改造代用、最大の問題はエンジンだった。大馬力のP&W R-2800ダブルワスプ、またはライトR-3350サイクロン18に装換したいところだが重量・直径が大きく根本的設計変更が必要となるので諦めた。
そこで三菱MK-9D改(ハ-43-42)を徹底的にオーバーホールして使用することになった。電気・油圧系を刷新、高性能加給機、高オクタン燃料により2450hpを発揮、水メタノール噴射により短時間なら2800hpが可能となった。計画馬力より約2〜4割の増加、MK-9の秘めたる力を引き出した。
ガバナーとプロペラはA1スカイレーダーのスクラップから集めた。直径が大きすぎるので脚を延長。機銃その他装備品が無くなるため重心位置調整には苦労の連続であった。翼内タンクを撤去、胴体内タンク増設、潤滑油タンク、水メタノールタンクの前方移動、先端部にバランサーを設置した。
徹底した重量軽減策により空虚重量は2,950kg、500kg以上の軽減を達成した。サンドブラストで磨き上げた機体、軽い機体に強力なエンジン。…..プロジェクト・チーム発足より十数年が過ぎていた。いま、まさに飛び立とうとする猛禽類を思わせる
「震電」。そのエンジンの咆哮と、銀翼を煌めかし大空を飛翔する勇姿を見るのも近い。P51 、F8F、ホーカー・シーフューリー、スーパーコルセア….。願わくばあの伝説のレーサー、ダリル・グリーネマイヤーの記録と競いあいたいものだ…..。
2/ 25th, 2013 | Author: Ken |
飛行するデザイン…震える空
見よ、紅蓮に染まる帝都上空を高速で翔る異形の翼があった…震電だ!B29のガナーたちも前後が逆になって迫る姿には戸惑った…。
if もしも? 震電が実用化されていたら … その先進的形態にはいかにも高性能・異様の美という魔性の力がある。第二次大戦末期、従来のレシプロ機の限界が見え始めた。エンジンも2000〜2500馬力を超え、これ以上の出力は多気筒化や過給器の改良などをもってしても困難だった。いかに突破するか、設計者は画期的な性能を機体の形態に求めた。各国は様々な試作機を飛行させ、日本海軍も戦争の激化に伴い高々度で侵入する超重爆B29を阻止するために強力な火器を搭載、上昇力と高速の局地戦闘機を求めた。それら数多くの試作機のなかで、一際異彩を放っているのが「J7W1震電」だ。基本計画は海軍空技廠、詳細設計以降は九州飛行機が担当、前翼(カナード)またエンテなどと呼ばれる形式である。小さな前翼は開閉式スロット翼。重心位置のため主翼は前縁で20度の後退角を持つ層流翼。降着装置は前輪式、装備は小さい機体にぎっしりとが詰め込まれ、後部のエンジンからプロペラまでの延長軸、エンジンの冷却という問題を抱えながらも、30ミリ砲4丁という重武装、速度は400ノット(750km/h)を狙っていた。
海軍航空技術廠の鶴野正敬少佐(当時大尉)昭和18年から「前翼機」風洞実験を繰り返し、実証するためにモーターグライダー・MXY6前翼型滑空機でテスト、そして「十八試局地戦闘機」として試作が発令された。「震電」は昭和20年6月に試作機完成、同年8月に数度の試験飛行を行い終戦。ついに実戦には間に合わなかった。その貴重な飛行フィルムが現存しYou Tubeで見る事ができる。VDM 定速6翅(量産型では4翅に予定)推進式プロペラ。そのために緊急脱出の際はハブ内に火薬爆破式のプロペラ飛散装置を備える予定であった。生産性を考慮して構造・工法も合理性を徹底、厚板応力外皮構造、プレス機による外板成型、スポット溶接などを採用した。戦争という極限の時代に各国とも同じような形態を模索したが、成功した機体はほとんど無かった。
もうジェット機の時代が始まっていたのだ。仮に完成し量産させていたとしても空襲で疲弊した工業力、素人による生産技術力では到底、戦力にはならなかっただろう。そして700kmを優に超すP51Hマスタング、P47N、グラマンF8Fベアキャット、P80ジェットまで現れていたのだから…「震電」は夢にしか過ぎなかった。戦争による情報が遮断の時代に技術者たちが必死で考えたことは、不思議にも各国による多地域同時発生という、発想と思考が同調するのは不思議なことだ。…人間、考えることは似たようなものだ。
2/ 18th, 2013 | Author: Ken |
飛行するデザイン…前翼形、折り畳み可変翼。
進化とは不思議だ。自然は様々な姿を試しているように見える。我々脊椎動物の基本形はいつ決まったのだろう。1個の頭部、中枢神経、分節化した骨格からなる胴体、手足が4本、指が5本など、基本ボディプランは同じなのに驚くほど多様な形態を生み出して来た。
この地上には重力があり空気がある。その空気を利用して飛行する…どこで発生したのだ。たぶん高所から飛び降りるのに適した種が淘汰され膜や翼を発達させた…と進化学は教えるが、本当?じゃ最初からその萌芽を持っていた?
そしてだ、鳥は前肢が進化し羽毛という翼を形成、モモンガやムササビは脚の間の膜が発達し、コウモリは掌と指の骨を非常に長く発達させて、その間の膜で飛行し、翼竜は極端に長くなった薬指1本で滑空する。翼を持たなかった共通祖先から、翼を持つ系統が別個に進化し、よく似た形態になる。
収斂進化というそうだ。その中にはとんでもない奴もいる。後肢に張られた飛膜で滑空するシャロヴィプテリクス(Sharovypteryx:シャロフの翼)は三畳紀初期に現れた爬虫類で、まるで第二次大戦末期に現れた前翼機だ。日本海軍の戦闘機「震電」ソックリじゃないか!2億年以上前に生物は様々なスタイルを試していたのだから驚きだ。
そしてトビトカゲ属(Draco)はなんと!左右に5-7本ずつ肋骨が伸長し、その間の扇状の皮膜で滑空するのだ。(天使や悪魔は背から翼が生えているがあれも肋骨から出たのだろうか?)だがその中間段階じゃ邪魔なだけじゃなかったのか?
手持ちの材料で作る … 進化に「目的論・toleology」は神様が出てきそうで….通用しないが「機械論・mechanism」だけで説明できるかね。おいおいカントなんて持ち出すなよ。哲学的形而上学じゃないんだ進化は現実なんだよ。スティーブン・ジェイ・グールドの「パンダの親指」では、パンダには一見すると6本の指があるように見えるが、実は親指にあたるのが撓側種子骨という小さな骨が異常に発達したものだという。つまり手近かな材料で作ったのだと。…. 進化とは不思議だ。ニッチを求め、突然変異というスーパーな奴が現れたりして、その隙間に適応する個体がより有利な方向へと進み子孫を多く残す、だから……。そうかい。でも何故なんだ!
2/ 12th, 2013 | Author: Ken |
TV、そしてボクシングに昂る…そんな時代も。
街から人と車が消えたことが何度かある。1969年7月20日、アポロ11号の月面着陸だ。そして1974年10月30日、コンゴ(当時 ザイール共和国)の首都キンシャサで闘われたWBA・WBC世界統一ヘビー級王座ジョージ・フォアマンにモハメド・アリが挑んだ一戦だった。
もちろん僕も期待と興奮で待ち望んだのだ。ほら吹きクレイことカシアス・クレイの”Float like a butterfly, sting like a bee” (蝶のように舞い、蜂のように刺す)華麗なフットワークと鋭い左ジャブは大男で鈍重なヘビー級の概念を変えたのだ。そしてモハメド・アリに改名、激しくなったベトナム戦争を背景に徴兵を拒否、ヘビー級王座を剥奪され、3年7か月間ブランク、そして実力で王座奪還を果たし復帰、折から高まった公民権運動にも積極的に参加、黒人差別への批判的な言動を繰り返した。
その頃のチャンピオンは「象をも倒す」と言われたジョージ・フォアマンだった。年齢的に最良の時代に試合が出来なかったアリはもう全盛期を過ぎたと見られていたのだ。…試合にはイライラさせられた。アリはロープを背にガードを固めてひたすら打たれるだけ。あの軽やかで派手な闘いぶりを期待していただけに、フラストレーションが積もり悪態をつきながら…..ラウンドが過ぎていった。
フォアマンも打ち疲れた。8ラウンドだった。一瞬の隙をつきアリのワンツーが炸裂、フォアマンが崩れた。あっけないKO勝利だ。これを「キンシャサの奇跡」と呼ぶそうだが、アリはクレバーな ” rope a dope ” という戦法だとうそぶく。フォラマンは一服盛られたのだという噂もあるが(そういえばdopeには麻薬の意味もあるね)、アリは奇跡を呼ぶ男として名声を不動のものにした。
60年代、エスクアイア誌が輝いていた。あの名アート・ディレクター、ジョージ・ロイスのアイディアと機智に富んだ表紙に驚いた。僕はデザイン学校に通っていたのだが、英語も分からないくせに古本屋で見つけては眺めていたのだ。どうしたらこんな発想ができるんだ? それ以来、学校の課題も稚拙な頭で考え制作提出した。成績は悪かったですね。日本のデザインの世界には、こんなデザインは通用しないのだ。レイアウトもノンデザインに見えて、実はダイナミックで神経が行き届いているのに。アリに矢が刺さった表紙なんて、 グイド・レーニかソドマの「聖セバスチャンの殉教」だ。それが「モハメッド・アリの受難」!このウィット! 脱帽だ!
TVが熱かった。ボクシングが燃えていた。そんな時代だった。ファイティング原田 vs キングピッチ戦に万歳を叫び、カミソリパンチの海老原、黄金のバンタム、エデル・ジョフレ、ロープ際の魔術師ジョー・メデル …..いつかアリも猪木と闘うモンキービジネス化し、ボクシングもマイク・タイソンの頃から試合を見なくなった。いまは全く見ない、いや見たくないのだ。まず階級が多すぎる。いつのまにこんなに増えたのだ。だからやたらとチャンプが多い。おまけにK兄弟だなんて…..フッ!。デフレ現象、低品質の安売りのオンパレードだ。スポーツもエンターティンメントだと分かってはいるさ。しかし、プロレスもキックボクシングもK1もいつしか消えていった。いろいろと問題も多いが「相撲」はまだ歌舞伎と同じく、あの古式に法り命脈を保ってはいるが….。どうだかね。
2/ 7th, 2013 | Author: Ken |
夢の魔法箱、あるいは一億総白痴化電波BOX。
リキ行け!空手チョップだ!ぶっ殺せ!….なんであんなに興奮したのでしょうね。TVを初めて見た時の不思議ったら!空中を電波が飛んでくるのだが、この魔法の箱から人間のいちばん人間らしい好奇心(野次馬精神)というものが吹き出すのです。同時性というかドキュメンタリー性というか、同次元、同時刻に事件やら臨場感や何やらが居ながらにして楽しめるのです。TV放送が始まって少し経った頃、プロレスに日本中が興奮したものだ。田舎ではTVがあるのは村に一軒きりだったから、プロレスの日になるとみんな集まって声援を飛ばし、敗戦国の悲哀と狡いアメリカレスラーに、怒りの力道山の空手チョップに託して溜飲を下げたのだ。その頃はまだ憎いB29とレーダーに負けたのだという会話が日常で話されていたのだ。僕はガキだったが村はずれの怖い夜道を通って見にいったのだ。でも、薄々は感じていましたよ。筋書きのあるドラマだって。だってなぜいつもレフリーのユセフ・トルコのTシャツが破られるのだ。拳固の反則を取られると大げさな身振りでオー!ノー!とか、豊登の脇をパコーン!なんてね。しかし、ルー・テーズと力道山の対決は身体が震えるほどだった。….いつか我が家にもTVが入り「番頭はんと丁稚どん」なんかヘラヘラ笑って見ていたものだ。
それからはアメリカ製ドラマにはまりましたね。ほとんどが西部劇だった。「ローハイド」ローレン、ローレン、ローレン….「ライフルマン」Staring Chuck Connorsバキューン!ウィンチェスターを片手で回すのだ。….箒なんかで真似していたよね、ご同輩。
ぼくは「アンタッチャブルズ」に夢中だった。そのタイトルのカッコいいこと!The Untochables ロバート・スタック as エリオット・ネス、そのナレーションは30年代に活躍したウォルター・ウインチェルだったのですね。日本では黒沢良だった。ネスのストイックなスリーピース姿、チョークストライプ・スーツにスパッツ、ギャングスターのお洒落度(まるで当時のエスクァイア誌みたいだ)や場面のクロスカッテイング手法の素晴らしさに「オお!」。いまだにハードボイルドが好きなのもその影響でしょうか?
「西部のパラディン」も大好きだった。Have gun will travelなんてチェスのナイトを印刷した名刺を出すんだ。「スタンドバイミー」で少年たちが線路を歩きながら歌っていたね。Paladin, Paladin, Where do you roam?
そしてだ、ロッド・サーリングの「ミステリー(トワイライト)・ゾーン」ああ!もう一度見てみたい!
「ヒッチコック劇場」何たって原作からして凄いんだ!ロアルト・ダールの「南から来た男」とかドロシー・L・セイヤーズやジョン・コリア、ヘンリー・スレッサーなんて名手たちの名作揃いなんだから….。ああ、切りがない。情報が新鮮で輝きTVがTVであった時代…今年は放送開始60周年だそうだ。…ン?いま?大きな50インチの板だけれどTVなんてほとんど見ないね。だってあまりにも詰まらないんだから。媚びと追従と醜悪とオツムの弱そうなタレント?が面白くもないのに…憮然とするしか。
…おっと!60年前に大宅壮一が言ったっけ「一億総白痴化」って。
まあ、「進め一億火の玉だ!」とか「一億総懺悔」とか、一億って語呂がいいんですね。「〜讃えて送る一億の歓呼は高く天を突く〜」…もういいよ。つまりぼくも歳を喰ったってわけだ。といいながらPCでYou Tubeなんか見ているんだから。