9/ 12th, 2011 | Author: Ken |
「去年マリエンバートで」
「去年マリエンバートで」。ストーリーはあるようでない。ストーリーを追うこと自体が無意味である。人は映像や言葉に時間の因果関係を結びつけ合理的解釈を無意識に行ってしまう。だから観客による想像力がストーリーやそれに伴う感情起伏を作ってしまうのだ。まあそれによって映画や文学も成り立つているとは言えるのだが…..。
バロック風の巨大で不気味なホテル、果てしなく続く廊下、足音は絨毯に吸い込まれ …… まるで耳自体が …… 古い時代の回廊 …… 大理石 …… 黒ガラス …… 黒っぽい絵、円柱 …… 一連の回廊、交差する廊下は無人の広間に …… 広間は古い時代の装飾過多、無人で静かで冷たく装飾過多で ……
男の独白で続く画像は押さえたモノトーン で限りなく美しい。「芸術のための芸術」があるのかどうかは知らないが、「映画のための映画」「映像のための映像」が存在してもいいはずだ。「去年あなたに会った」「知らない、憶えていない」…こんな会話が繰り返される。…
まるでホテルも装飾も人物も凍りつき無限循環を繰り返すように。…いや全ては死に絶え、かすかな記憶の底に亡霊となった建物と人物が彷徨い歩いているのだろうか。何が現実であり何が真なのか?果てしない問いだけが繰り返される。過去と現在、真と偽、現実と想像が混在し何が真実かは解らない。男は主観的な体験を語るが、執拗に描写すればするほど不確定になり、観客は理解しようとすればするほど理解できない世界が現れるのだ。男は客観性の外観を装いながら、実際には記憶、夢、想像にしか過ぎないものを語っている。もしかしたら、粒子の位置と運動量は同時に両方を正確に測定することができない量子力学の「不確定原理」が根底にあるのかも知れない。
そう、真の現実とは映画館、フィルムと映写機、それは暗闇の中で、単なる光と機械と一時間半の時間にしか過ぎない。
それを知りながら目に映る映像、科白、音楽、フィルムに焼き付けられた映像を、想像力が擬人化し時間の因果と不合理の渦に落ち込むのだ。それを狙った手法はシュレアリスムそのもでありSFなのだ。凍りついた庭園のシーンはルネ・マグリットやキリコを彷彿させるし女はポール・デルボーを思い起こさせる。ヨーロッパには超現実主義の芸術運動が背景としてあるから、シナリオ、映像、音楽でそれを作ろうとしたのだろう。古くは1928年にルイス・ブニュエルとダリが「アンダルシアの犬」を作っている。そして写真家マン・レイがいた。…シュレアリスムは見る者、観客の想像力を刺激するものであり、異様であればあるほど不思議な世界に誘われてしまうのだ。
有名なロートレアモン伯爵の「解剖台 の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会い…」ように。
ロブグリエは語る「あの映画は記憶に救いを求めることを一切不可能にする、永遠の現在の世界である。彼らの存在は、映画がつづく間しか持続しない。目に見える映像、耳に聞こえることば以外に、現実はありえないのである」と。
もう半世紀以上も前の話だ。田舎出の生意気な高校生であった僕は何か知的なものに非常な憧れがあった。デザイン・美術系の学校であったせいもあるだろう。その頃ATG・アート・シアター・ギルドという創造的な映画を観賞する会が出来た。大阪北野シネマだ。第一回はイエジー・カワレロウィッチの「尼僧ヨアンナ」(1962)だったと思う。難解だったけれど映像が素晴らしく美しかった。そして安部公房作「おとし穴」監督:勅使河原宏…田中邦衛の殺し屋が不気味だった。丁寧な言葉使いで「わかりましたね…」なんて。
ジャン・コクトーの「オルフェの遺言」…鏡の中へ入っていくシーンなどCGなど皆無の時代だからフィルムの逆回しや鏡は水に手をいれて、それを縦にしたのだろう。..ATGではタルコフスキー、ワイダ、ベルイマン、トリフォー、カコヤニスなどを知った。そしてアラン・レネの「去年マリエンバートで」。記憶が曖昧なのだが、確か高校生で見たと思ったのだが日本公開は1964年、東京オリンピックの年である。記憶とは当てにならないものだ。レネは「ゲルニカ」(京都市美術館で見た)「夜と霧」(ヴィクトール・フランクル:みすず書房を古本屋で見つけ衝撃を受け、学校の課題のポスターを作った思い出がある)、「二十四時間の情事」も知っていた。
いま半世紀ぶりに見直した。このCG全盛時代に全く古びていない。当時の新しい映画技法を駆使し、二重焦点レンズ、オーバー露光、サブリミナル、移動撮影、洗練、品性、高センス、インテリジェンス….そしてシュール。幾何学的庭園に立つ人物たち、長い影は地面に描いたそうだ。もしかしたら写真家の植田正治を知っていたのでしょうね。いまこんな映画が作れるだろうか?……
9/ 7th, 2011 | Author: Ken |
Box Art / 後退翼の闘い。
もう半世紀以上も前の遠い話である。朝鮮戦争が激しさを増した頃、親たちが新聞記事を前にかっての街の思い出を語っていた。引揚者である我が家は新義州という街に住んでいたそうだ。「鴨緑江の橋や新義州も爆撃で壊滅したみたいだ。水豊ダムもやられたようだ…..」。「あの日本中を焼け野原にした憎たらしいB公もソ連のミグにバタバタと落とされているそうだ」。…そんな話だった。
…当時はニュースといえばラジオ、映像は新聞写真、動画は映画館のニュースでしかなかった。その時だ新聞に北朝鮮軍のパイロットが亡命( どうも当時の米軍は、Mig15を持ってきたら10万ドルの賞金 を出すと共産軍相手に宣伝していたようだ)。兄が雑誌「航空情報」を買って来た。見とれましたね。その写真の鮮烈な事といったら!無造作に断ち切ったような先端のインテーク、太い胴体、鋭角な後退翼、巨大な尾翼、37ミリと23ミリの機関砲…。直線翼のF80シューティングスターや米海軍のF9Fパンサーじゃ歯が立たなかった。後退翼のジェット戦闘機、それだけでその言葉に昂りを感じたものだ。早速、木切を削ってミグのソリッドモデル作りだ。
アメリカ軍もミグに対抗するため後退翼のF86セイバーを投入、北朝鮮上空でドッグファイトを繰り広げた。ノースアメリカンF86はP51マスタングをそのままジェット化させた観があった。ミグの無骨さと対照的に全てにバランスの取れた美人なのだ。そしてミグを16機撃墜したエース、ジョゼフ・マッコーネルの映画が公開された。「マッコーネル物語・Tiger in the Sky」。なーに、映画は詰まらない英雄物語なんだが、主演はあのシェーンのアラン・ラッド、相手役がジューン・アリソン(彼女は何故か軍人の若奥様役が多い。ジェームス・スチュワートの戦略空軍命令とか…。当時のアメリカ人の家庭なんて敗戦国の貧しい日本人から見たら輝くようだった。キッチンにはギンガムチェックのカーテンなんぞがあってね)。…その映画ではミグとセイバーの空中戦シーンがたっぷりあって、ミグにはF84Fサンダーストリークを使っていた。まだサイドワインダーもない時代で、ブローニング50口径機関砲で勝負なのだ。
他にもウィリアム・ホールデンのトコリの橋、第8ジェット戦闘機隊、ロバート・ミッチャムでF86の追撃機というのもあった。あれは確か僕が小学校に行く前だったから1950年頃かな?甲子園の親戚の家に行く途中、国鉄の貨車に銀色に輝くドロップタンクが山積みされていた。あれが朝鮮特需だったのだ。
そして日本の航空自衛隊もF86を導入、曲芸飛行隊のブルーインパルスを結成、東京オリンピックで大空に五輪の輪を披露した。そして「ゴジラの逆襲」や「ラドン」なんかの怪獣映画に登場するのもF86だった。…..B29の絨毯爆撃、グラマンやP51の機銃掃射に追われ、敗戦。あの敗北を抱きしめた日本人、戦争体験者はどんな気持ちで見たのだろうか? 日本人は案外気にしないんじゃない。切替ることが上手なんだよ。PTSDが軽いんですよ。悪く言えばアイデンティティが希薄?大和魂もそんなものか!「鬼畜米英」から「親米」へ、「戦後はデモクラシーやからネ」「よくここまで復興した」と軽く変身したのでしょうね。
8/ 28th, 2011 | Author: Ken |
シャーロック・ホークスの肖像研究
さる昔、倫敦・トッテナムコートの寂れた骨董屋でこの絵を見つけた。埃を拭ってみると端正な男の肖像ではないか。どこかで見た事がある顔だ。そう、あの世界初の諮問探偵シャーロック・ホームズのイメージに酷似しているではないか。嬉しくなって因業な親父と交渉、値切に値切って手に入れた。どうせ偽物だろうサ、そうに決まっている。
….イコノロジーなどと大袈裟なものではないが学者の友人にも頼み分析を試みた。まずキャンバスと木枠、ともに相当古く一世紀は経っているだろう。炭素C14による年代測定では1899年誤差5年と出た。また絵具による時代測定も当時の顔料であると分析された…..。ということは100年前の材料を見つけてきて現代に描いたものだろうか。いや本当に当時に描かれたものか?….謎は深まるばかりだ。まず、この肖像画の男はあまりにも聖典通りである。秀でた額、鷲鼻、尖った顎、長い指、パイプ、微かに左隅にはストラディバリらしきものも見えるではないか! 当時は肖像画の時代だ。何かの記念に描いたものではないか? もしかしたらホームズがレジオン・ドヌール勲章を受章した時か、それとも1900年サーの称号云々の時か。ホームズが辞退し絵だけが残った? 絵から読み解けば年齢から見て40代の顔である。恐らくライヘンバッハの滝から3年の時を失踪、その帰還後だろう。なぜなら思索に耽る時に両手を合わせるのは、彼がチベットのラサでダライ・ラマと親しく会話してからその癖がついたという。それでは肝腎の画家は誰か?出版代理人の父親?またリチャード・ドイルとは明らかに世界が違う。それではシドニー・パジェットか?彼なら描いただろう、しかしタッチが違うし油絵を描いた記録もない。それとも当時の無名の肖像画家か? いやワトスンか? …彼には文学的才能はあるが芸術的センスはないし、まして絵筆を握るなんて….。
不可能なことを排除していけば、そこに残ったものが、どんなに信じられないようなことでも、真実なのだ。…
推理と熟考の末、ホームズ本人が描いた自画像であろうとの結論に至った。そのためには決定的な証拠が欲しい。X線による鑑定、そして汚れを丹念に落としてみれば何と署名が出て来たではないか。S.Hoaksとある。ははーん、これこそ彼のやりそうなことだ。ホームズに発音が似ているしHoaksは、Hoax(でっち上げ)である。ホームズは芸術家ヴァルネの血を引き画才もある。ヴァイオリンも巧みに演奏する。まあ、贋作云々を論議してもはじまらないが……。とにかくFoaxを楽しむことに尽きるのだよ。
8/ 28th, 2011 | Author: Ken |
Box Art / P51 Mustang
「ボックスアート」、そう、プラモデルの箱絵でぜひともに描きたいものがあった。ノースアメリカンP51マスタング、野生の悍馬というより鍛え抜かれたサラブレッドである。特にバブルキャノピーに変えた決定版ともいえるD型以後、その流麗でバランスの取れたシルエットはWWⅡの最高傑作機と呼ばれるに相応しい。まさに機体の美しと洗練の極みのデザインである。高速度、運動性、長大な後続力、B17をエスコートしてドイツ深部にまで侵攻し、太平洋ではB29を護衛して長駆、硫黄島から飛来、空戦して帰るのだから大したものである。日本軍はその無塗装の銀色に輝く機体と五月蝿さから「銀バエ」と揶揄したという。
この「銀バエ」はただ者ではなかった。層流翼の採用、高高度性能に優れたパッカード・マーリン・エンジン、胴体後方下部に置いた冷却器、ちなみにキ61三式戦「飛燕」も同じ位置に付けているが、その整形や乱流を避けるインテークなどP51が遥に洗練されている。また中国前線で鹵獲したP-51Cに搭乗した陸軍航空隊の黒江保彦によると(彼はビルマ前線でP51Bと戦っている)P-51を駆って、仮想敵機として日本各地で模擬空中戦を行った。「味方が自信を喪失しないため手加減した」と語っている。「速度は計器通り700km以上は出るし、急降下速度も優れている。運動性も良い。これに乗ったらどんな敵機だって勝てる」と。そして末期には見越し射撃角がいらないジャイロ付K14照準器を備え飛躍的に撃墜率が上がったという。カタログデータではキ-84「疾風」が戦後アメリカ製プラグとハイオクタン燃料で689KMを出した云々と贔屓をしたいところだが、粗製濫造による稼働率の悪さ、燃料、潤滑油、活用方法、あの末期的状況では到底勝ち目はない。
そしてP-51Hは新型のV-1656-9エンジンを積み、自動スーパーチャージャ制御を備え、水メタノール噴射によって最大出力は2,000HP (1,490 kW)に達した。機体軽量化・出力の増加・ラジエーター形状や機体のリファイン、P-51Hは高度7,600 m (25,000 ft)で784km/h (487 mph)に達した。当時世界一速いレシプロ戦闘機となった。「Fw Ta152H-1」や「J7W1-震電」と比較したいところだが、時代はもうジェット機の時代になりつつあった。
ボックスアートというと何故か第二次大戦機になる。まだ操縦者の腕や人間が制御する機械としての魅力があるのだ。殺伐とした戦争にロマンも何もあったものではないが、飛行服やマフラーに大空の騎士を見てしまうのだろうか。
8/ 24th, 2011 | Author: Ken |
Box Art「太っちょ」
航空機の設計には空気力学上、合理的でスマートな形状になるはずなのに、そこには設計者のコンセプトやデザイン性、美意識といったものが現れている。ここに登場するのは短躯、寸詰まり、太っちょのユニークな機体たちだ。それを醜いと感じるか美しいと見えるかは見るものの感性だろう。
まず、空飛ぶビア樽、ジービー・レーサーだ。1932 年の「トンプソン・トロフィー・レース」に出場したグランビル兄弟の設計だ。当時の大馬力のエンジン、ワスプを搭載し、強引に引っ張る設計思想で異形の姿となった。異様に太い胴体、短主翼、垂直尾翼なんて付け足しみたいだ。そのR-1は東京初空襲で有名なジミー・ドゥーリットルが操縦し優勝。飛行性能はスピードのみ、恐ろしく不安定だったそうだ。だが473.82km/hの陸上機世界速度記録も樹立した。ユーモラスにも感じる飛行ぶりは強烈な印象があり何か心に残るのだ。R-2レプリカ機の飛行ぶりはYoutubeで見る事ができる。
これも相当短躯な猪武者である。ジービーの影響があるのではないか?旧ソ連のポリカルポフI-16(И-16 イー・シヂスャート)は、ソヴィエト連邦・ポリカルポフ設計局開発の戦闘機だ。スペイン内戦から第二次大戦初期にかけて労農赤軍の主力戦闘機だった。世界最初の引き込み脚、カウリング・シャッター、短排気管、防弾、重武装、時代に先駆けた革新機構だ。配備当時世界最速を誇ったが各国の高性能の機体が現れ陳腐化していった。1939年のノモンハンでは我が97式戦と対決、初期には抜群の運動性を持つ97式戦に格闘戦に持ち込まれ惨敗したが、後半には一撃離脱戦に徹し日本空軍に苦戦を強いたという。
お次はブリュースターF2Aバッファロー、アメリカ海軍戦闘機だ。これも空飛ぶビア樽と呼ばれた。英国に輸出されメッサーシュミットBf109と対決したが歯が立たず、極東の日本軍相手なら勝つだろうとマレーやシンガポールに配備されたが、1式戦「隼」や海軍の「零戦」には手もなく捻られた。映画「加藤隼線戦闘隊」には鹵獲したバッファローと隼の実写空中戦シーンがある。
また黒江保彦がシンガポールで2式戦「鍾馗」の圧倒的な性能差でバッファローに勝利する様が活き活きと描かれている手記もある。この愛嬌さえ感じられる肥満系の猛禽たち。どうも日本人の繊細な神経ではとてもデザインできない太い線がある。その「太っちょ」の形態故、ボックスアートの絵になるだろうナ、と長年思い続けてきた。….スリムな美人も素敵だけれど、丸ぽちゃで豊満過ぎの彼女も魅力的だね。
8/ 18th, 2011 | Author: Ken |
ヨハネは何を指差すか。
レオナルド・ダ・ヴィンチ最晩年の作と言われる「洗礼者ヨハネ」、その不思議な微笑と天を指す指先は、いったい何を示しているのだろう。
15世紀半ばから16世紀初頭という当時の世界観から言って恐らく神と解釈するのが妥当なのだろうが、果たしてダ・ヴィンチは敬虔な信者だったのだろうか。あの時代においてあれほどの科学的観察、描写力、客観性、合理的思考、想像力を持ってしても、それ故に未知に対しての謎と好奇心は尋常ではなかったはずだ。人智の及ばぬ永遠の謎を指先に込めたのではなかろうか。
ここ一世紀ほどの間に人間は未知に対して驚異の発見をしてきた。ビッグバンに始まり宇宙を支配する4つの力、量子力学、原子に内在するエネルギー。そしてその核力を引き出したのが66年前だ。それより「ヒロシマ」「ナガサキ」「ビキニ」「チェルノブイリ」「フクシマ」。人間は何というものを作り出してしまったのか。
…だがそれは原初からこの宇宙に組込まれていたものを単に人間が取り出しただけなのか? 宇宙に物質が生まれ、凝縮し太陽となり、その核融合で重い物質が生成され、それが超新星爆発を起し、より重い物質が生まれた。私たちの身体もそれらの星屑から出来ている。現に地球の内部では今も放射性物質の崩壊熱によるマントル対流が地殻を動かしそれが地震を起こす……。
放射性物質というのも不思議なものだ。地球46億年の時間に半減期を繰り返し今も残っている。ウラン235の半減期は約7億年だ。ルビジュウムの半減期は490億年、フェルミニュウム244は0.0033秒である。ある量が半減する時間は解っているのに目の前の物質一つがいつ崩壊するかは誰にも分からない。1秒後か1億年後か….?(アナロジーとして人間は必ず死ぬ。これは必然である。しかし誰がいつ死ぬかは分からない。でも寿命はだいたい決まっているのに)。そして人間は地上に残る希釈されたウラン235を人為的に濃縮し爆弾や原子炉を作った。それがいまコントロールが利かない状態に堕ちいっている….。宇宙の法則を知った積もりの人間の傲慢さから来ているのだろうか….。
ぼくは無神論者だがこの宇宙の秘めた永遠の「Enigma・謎」を知りたいと思う。
そこで恥知らずにもダ・ヴィンチの「ヨハネ」のパスティーシュ(作風の模倣)を試みた。モデルは嫌がる豚児に頼んだ。安易だね。メタルロック小僧、茶髪、ロンゲ、おまけに洗礼名はほんとうにヨハネである。「おい、もっと真剣な顔しろや」「こんなアホなことやってられっか!」
8/ 15th, 2011 | Author: Ken |
8.15
8/ 5th, 2011 | Author: Ken |
装丁・「被爆者医療から見た原発事故」
「フクシマ」。医師から見た原発事故の脅威。私たちは被爆者から学び、何を引き継いでいかなければならないか。
子どもたちのために、次の世代のために。いま正確な情報がない状況下で、加害者として自らの責任の自覚を求めることは
過酷かもしれない。しかし、原爆の経験を自らのものとできないまま、この地球を放射線汚染の脅威に曝すようなことは
避けなければならない。私たちは決して、加害者になってはいけない。….医師・郷地秀夫(ごうちひでお)
1947年 広島県賀茂郡西条町(現東広島市)に生まれ、1973年 神戸大学医学部卒業後、精神科、神経内科、
リハビリテーション科、一般内科、緩和医療等に携わりながら、被爆者医療に取り組んできた。
2003年から神戸健康共和会・東神戸診療所 所長、兵庫県保険医協会副理事長「核戦争を防止する兵庫県医師の会」に
創設時から参加し、現在、運営委員。東神戸診療所と東神戸病院の外来で、
約250人の被爆者の主治医として日常健康管理を行っている。東神戸病院では被爆者特診外来を、年2回の
被爆者検診では約700人の検診を担当している。これまで兵庫県下の2000人の被爆者と関わってきた。
●被爆者医療から見た原発事故…..被爆者2000人を診察した医師の警鐘/郷地秀夫(ごうちひでお)著
かもがわ出版 定価/本体1000円+税
8/ 3rd, 2011 | Author: Ken |
冷たい夏。装丁・「原爆症」
あ年目の夏が巡って来る。原爆とは人類が犯した最大の過ちである。核戦争は個人の死だけではなく人類という種の滅亡である。この46億年の地球、生命の歴史、ホモサピエンスの歴史、それらが潰えるのだ。 いままた核の恐怖が福島で起っている。
いかに平和利用とはいえ「核」はあまりにもリスクが大きいダモクレスの剣だ。それを思うだけで背筋に冷たい戦慄が走る。世界はいまだに2万発以上の核兵器を持ち続け、原子炉を内蔵した廃艦も含めて数百隻の原子力を動力とする空母や潜水艦、そして431基の原発が地上に存在する。人間が作り、それを制御できるという思い込み、それは人間の傲慢としか言えないのではないか。
ここに一人の医師がいる。郷地秀夫氏だ。30年余り被爆者を診続け、原爆症認定集団訴訟の証言台に立った医師が、被爆者の実相と生き様を描き出す。また、「原爆症」の実態を浮き彫りにし、国の厳しい認定基準を告発する。そこには、医師であるがゆえに、誰にも言えなかった被爆者たちの心の奥底からの叫びが聞こえてくる。彼は語る
「暗闇を恨むのをやめて、一本のろうそくに灯をともそう」矛盾だらけの現実に、先の見えない暗闇の愚痴を行っても何も変わらない。たとえわずかな灯でも、自分の心のろうそくに灯をともそう。行動すること、自分が変わること、信じること。そして希望を持つこと…そして、今、これまで私に託された、たくさんの被爆者の思いもこの火と一緒になって、手に持つ筆を燃やし、紙面を焦がしながら文を焼きつけていく。多くの被爆者は高齢となりつつある今、この灯火が消える前に私たちが継がねばならない」と。
ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ、未来に悲劇を、禍根を残さないためにもいま「核・原発」への決断が迫られているのではないだろうか。….数年前になるが縁あって郷地秀夫氏の「原爆症」の装丁を頼まれた。やはり「人間とその内面」を表現しようと悩んだ末に描いたのがこの絵である。少しでも著者の「重さ、深さ、メッセージ」が表現できただろうか。
●「原爆症」罪なき人の灯を継いで…..郷地秀夫/著:かもがわ出版
7/ 31st, 2011 | Author: Ken |
Box Art「零戦」
今でもプラモデルで人気の双璧は「零戦」と「大和」だろう。戦後65年も過ぎたというのに本屋のミリタリーコーナーには大量の「零戦」の写真集、図版、解説本がある。もう語り尽くしたとも思えるのに続々と新刊がでるのだから好きな人が多いのですね。やはりアメリカ的な強引とも思える設計思想より、日本という持てざる国だった象徴、その栄光と悲劇の生涯が人気を呼ぶのだろう。僕もかって人後に落ちない時代があった。中学生の頃「大空のサムライ」坂井三郎空戦記録に感動したのだ。ラジオで「海軍零戦隊」という朗読もあったし、坂井三郎がTVで血染めの飛行帽を前にガダルカナルからラバウルまでの苦闘を語る番組も見た記憶がある。「零戦」…重慶上空の完全勝利から真珠湾、ソロモン、そして落日、最後は特攻機として飛び立った悲劇性に性能や形態を超えたドラマを見る。僕も本物はNZオークランド博物館の22型、ロンドンのワーミュージアム、靖国の遊就館、国立博物館、昔、地方デパートの屋上で巡回展示を見た事もある。精悍というより薄いジュラルミンが弱々しく、よくもまあこれで過酷な空中戦が出来たものだと妙な感動を憶えたことがある。設計者堀越 二郎のコンセプトが優れていたからだろう。たった1000馬力で、その長大な航続距離、重武装、優れた格闘性能、連合国の戦闘機に対し圧倒的な勝利を収めた。連合国パイロットから「ゼロファイター」の名で恐れられたという。 しかし所詮は貧乏国日本の技術の粋も、2000馬力という倍のエンジン出力を持ったF6FやF4Uの大群には勝てなかった。アメリカで見た事があるがヘルキャットもコルセアも何しろゴツい、重量級ボクサーだ。軽量零戦を力と数でねじ伏せてしまう思想だ。そして見るからに流麗な悍馬P51Dマスタング、横綱級巨体P47サンダーボルト、最後はレシプロの極限F8Fベアキャット……。もう新しい時代に入っていたのだ。その「零戦」の最後の姿を描いてみたかった。描くに当たって機体を何にするかで迷った。世の中にはトンでもないオタクがいて簡単に間違いを追求するから写真などで厚木の302空としたが、いや52型、いや甲だ乙だと言われると全く自信がない。