7/ 26th, 2011 | Author: Ken |
戦艦大和・Box Art
「ボックスアート・Box Art」、プラモデルの箱に描かれた絵である。それがとてつもなく勇ましくてカッコいいのである。何時の日にか俺も描いてやろうと決心して半世紀が経ってしまった。最初は「少年」なんかの雑誌の巻頭見開きに描かれた小松崎茂の戦争画だった。真珠湾奇襲の絵なんて今でも眼前にありありと浮かぶ。97式艦攻が海面すれすれに魚雷を放ち、戦艦ウェストバージニアやテネシーに炸裂する巨大な水柱、轟音と機銃音が聞こえてきそうだった。模型を作りたくって木を削ってソリッドモデルを真剣に作ったものだ。
そしてアメリカからプラモデルが登場した。レベルやモノグラム製のパッケージの素晴らしいことといったら!P51マスタングが唸り、スピットファイアが蒼空を駆けるのだ。高くて買えないけれど店頭で見惚れましたね。
日本でもプラモデル時代になりタミヤ模型が小松崎茂に頼んだそうだ。「先生、是非」「わかった、ぼくが会社を救ってあげよう」それが「パンター戦車」だった。そう、プラモデルはパッケージの箱絵で売れるのだ。そのアートが決めてなのだ。完成した喜びへ誘うのだ。作りたいッ!と。
その点小松崎茂にはドラマがあるのだ。飛行機や軍艦が生きているのだ。僕も彼のボックスアートに魅せられて幾つも買った。一番の印象は艦上偵察機「彩雲」だ。「我に追いつく敵機なし」その電文が聞こえてきそうだった…..。彼は「戦艦大和」がライフワークだっという。火を噴くヘルダイバー、爆発するアベンジャー、奮戦する大和。だが、今見るとポスターカラーで描かれたそれはどぎつく妙に明るいのだ。大和の悲劇性や慟哭が感じられないのだ。
そうこうするうちにペーパーバックの表紙絵に生頼範義が現れた。泰西名画を憶わせる暗く粗いタッチの背景、短縮法を取り入れた異常に圧縮された軍艦、悲劇性のドラマの幕開けだ。まるで「橋の上のホラティウス」なのだ。…..早く橋を落としてくれ、私は仲間とともにここで敵を食い止める。さあ、私の横に立ち橋を守るのは誰だ?…….
カラヴァジョが太平洋戦争を描けばこうなる。そんな気さえしてくる。ああ、僕にはとてもそんな絵は描けないし時間もない。だけれど描いてみたい。できればキャンバスに油で、いやアクリルカラーでもいい。ドラマを呑んだ存在感ある軍艦や飛行機を…。
やっと半世紀ぶりに描いてみた。それも大部分はPCというキャンバスで。でも描く過程は普通の絵と同じ。マウスという筆でタッチを利かせてサッサッさと。やはり平筆や面相筆で息を凝らして塗る方が楽な気もするが、手が汚れないし筆を洗う必要も無い。その点はイージーだけれど、マ、いいか。黒鉄の威容、聳える艟艨、鋼鉄の夢、そんなのが少しは描けたかしら。
7/ 18th, 2011 | Author: Ken |
果てしなき道 ・ “Every Step of the Way”
カルロス・サンタナを知ったのは映画「ウッドストック」だった。ぼくは生意気にもそれ以前にモダンジャズの洗礼を受けていたからロックはどうも…(ほらいるでしょう、ジャズの方が知的で音楽性が云々、ポップスを小馬鹿にする輩。ビートルズなんかヘンッ!
その手合いだったのですね、お恥ずかしい)…だった。ファッションはスクエアなトラッドにはまっていたからイージー(カジュアルという言葉がまだ無かった)な格好やパンタロン(ラッパズボン・懐かしいね)、ロングヘヤー、トンボメガネは好きじゃなかった。でも同時代の空気を吸っていたからこの映画に新しい時代を感じたものだ(マルチスクリーンによる映像が典型だった)。あの頃のロックの単調な8ビートは退屈だったし、妙なメッセージ性が鼻につき、また和製フォークなんぞに喜ぶ同年齢の奴らが?だったからだ。 まあ、ジミー・ヘンドリックスも何か嫌みに感じたしジャニス・ジョプリンの凄絶なまでの狂乱ぶりは面白かったけれど…..。
サンタナはサウンドが厚く複合リズム、即興性、楽器中心の音楽であり、ジャズ的で何か他とは違っていた。そして「天の守護神」だ。まずジャケットに参った。マイルス・デイビスの「ビィチェズ・ブリュー」を描いたアブドゥル・マティ・クラーワインだ。その超現実の不思議な絵に吸い込まれそうになった。もちろん”ブラック・マジック・ウーマン”は率直に喜んだヨ。
60年後半から70年代初期はエネルギーに満ちた混沌、混乱の時代だった。泥沼のヴェトナム戦争、反戦を契機にニューエイジが盛んになり、これが東洋思想・瞑想に繋がり、サンタナもシュリ・チンモイの宗教への傾倒していく。アメリカの空港や街に黄色い衣のクリシュナがたくさんいたし、ヒッピーやコミューンがムーブメントだった。。日本でもその影響によるフーテンやカウンターカルチャー、アングラなんぞが大流行だった。そしてあの陰惨で猟奇的な連合赤軍事件があり、映画「エクソシスト」73年、「オーメン」76年、オカルトやニューエイジもあの時代だったからこそ流行ったのだ。現代文明を享受しながらその矛盾に絶望し、一部の人々はスーパーナチュラルに傾倒していった…。マイルスを始めジャズも面妖なオカルト系のタイトルが多かった。リンボーだとかソーサラーとか。
1973年にヴォーカルにレオン・トーマスを迎えて初来日。それからだサンタナが来日する度にライブに行った。「哀愁のヨーロッパ」の泣きギター、うねるようなギターに「セクシー」と言った女性もいた。あのリズムに身を委ねる快感、サンタナ・サウンドに酔ったのだ。73年ジョン・マクラフリンとの「魂の兄弟たち」…コルトレーンの至上の愛を、76年「アミーゴ」、まあぼくも70年代末までは新譜やライブにつきあったのだが、時代が替わり、いつのまにか聴かなくなってしまった。
そうだ、1981年復帰したマイルス・デイビスを聴いた。大阪扇町プールを干した特設ステージだ。足を引きずりながらのショボいサウ
ンド….痛々しかった。ああジャズも時代も終わったと。サンタナが傾倒していたマイルスも亡くなり…….。それからサンタナの健在を知ったのがバルセロナ・オリンピックの時だ。パコ・デ・ルシアとサンタナ(ドミンゴとフリオ・イグレシアスの舞台もあった)。
いまyou tubuで見るとあの頃の微かに熱を持った残り香が込み上げてくる。 じゃ、サンタナ最高作は何だろう? ぼくは1972年に発表された「キャラバンサライ」だ。インストゥルメンタル中心で、よりフュージョン化し複雑で抽象性へと進んでいく。マイルスやジャズへの拘泥、スピリッチャルへの傾倒、多様な打楽器陣の複合リズム、キーボード、激しい息遣い、これぞサンタナサウンドだ。
音楽とは時代そのものを呼吸しているのだ。ぼくも歳を喰ったせいか、悔しいがあの時代に聴いた熱さは二度と還ってこない。
7/ 14th, 2011 | Author: Ken |
青春の挽歌・Chet Baker
舞台のダウンライトの下に老いさらぼうた男がいた。刻まれた深い皺、トランペットを抱え椅子に乗った姿は疲れた老人そのものである。それは時間の残酷さだけではない。長年のドラッグ漬がジャズ界のジェームス・ディーンと言われたハンサムな男を無惨にも変えたのだ。ゆうに70歳を超えているように見える。が、彼はまだ56歳である。1986年3月、大阪厚生年金ホールだった。彼が歌い始めた。トランペットはあくまでもスィートで消え入りそうなトーン、目をつむって聴くとあの時代が蘇ってくるのだ。あの中性的な少年のような声、青春の挽歌、… 嗚呼、チェット・ベイカーだ。1954年、あの頃はウェストコースト・ジャズが全盛だった。ハードバッパーの名手がひしめく時代に、なにしろクールでお洒落でカッコいいのだ。人気投票で、あの帝王マイルスを押さえトップに立ったこともあるのだ。甘く、せつなく、やるせなく、レターセーターにオックスフォード・シューを履いた女の子が靴を脱ぎ跳ばすほどの人気を誇っていたのだ。
「The Thrill Is Gone」スリルは去った、スリルは去った。君の目の中にそれを見ることができ。ため息の中にそれを聞くことができる。
「 But Not for Me 」They’re writing songs of love But not for me A lucky star’s above... 愛についての歌はたくさんある。でも、ぼくのためじゃない。見上げると幸運の星が輝いている。でも、それはぼくのためじゃない … 。
極め付きは「My Funny Valentine」僕の可愛いヴァレンタイン 、愛しくお茶目なヴァレンタイン、 … ずっとそのままでいて 君といると毎日がヴァレンタイン・デイだ。… 不細工だけれど可愛い彼女へのラブソング。(you tubeにたくさんあります)
そう、あるんだよ。下手だのに何か心に響く歌って。
時は流れ、旧友のマリガンがチェットの復帰を願っての「カーネギーホールでのライブセッション」1974年、チェット・ベイカー(tp)、ジェリー・マリガン(bs)、ボブ・ジェームス(p,key)、ジョン・スコフィールド(g)、ロン・カーター(b)、ハービー・メイソン(ds)、デイヴ・サミエルス(vib,per)、エド・バイロン(tb) という気鋭たちの熱い演奏だった。「Sunday at the Bearch」のスリルに満ちた乗りといったら….。
そして、ブルース・ウェーバーが作ったチェットのドキュメンタリー映画、「Let’s Get Lost・レッツ・ゲット・ロスト」。B・ウェーバー、希代の映像作家。彼の映像の素晴らしさは、あのラルフ・ローレンの写真だ。そう、リネンとコットン、クリケットのガードをつけた青年と少年の群像。おお!このシーン、品性、商品…。チクショー、やりやがる。….砂浜でホワイトとネイビーのマリーンスタイルの若者たち、遠い1930年代の憧憬、まるでフェローズが描くエスクアイアー誌そのものじゃないか!グレート・ギャッツビーじゃないか!優雅で、知的で、贅沢で、…..。ぼくも随分とあんな写真が欲しいと願い、カメラマンに無理難題をふっかけたものだ…..。
閑話休題。1988年チェットは宿泊先のアムステルダムのホテルの窓から転落して謎の死をとげた。部屋には、ヘロインが残されていたという。チェットの破綻した人生には甘さとはかなさ、破滅的な退廃が漂っている。だからよけいに青春の香りがするのだろうか。愚かで醜い晩年をさらけ出して歌う。でも憎むべき男ではない。人間誰しもそんな一面があるのだから。ぼくも歳を取り白髪が増え、自分の年齢に愕然とすることがある。ああ、いつまでも少年でいたかったんだよ。… 俺も人生の失敗者じゃないのかってね。
7/ 10th, 2011 | Author: Ken |
地中海の舞踏・Mediterranean Sundance
あの革新的で先端であったジャズも懐メロと化し、通俗という陳腐な音楽になってしまった。いまやバーのBGMにすぎない。ああ激しく熱く知的でスリルに満ち、いままで聴いたことがない音楽はないものか…..。 80年代初期、午後4時頃であった。仕事場に友人から電話があった。 「今、今すぐFMをかけて!急いで!」。慌ててラジオをつけた。凄い、このギターは何だ!… 熱い、そして超絶技巧、熱波が強烈に迫って来る。終わるとすぐに友人に電話をした。「いいねー、凄いね、演奏者は誰?」「いいでしょう、FM局に電話して聞いてみる」。それがパコ・デ・ルシアのスーパー・ギター・トリオによる「地中海の舞踏」だった。
そうこうするうちにパコ来日という小さな記事が目に留まった。尼崎のアルカイックホールだ。友人と連れ立って、期待に胸弾ませいそいそと出かけた。「パコ・デ・ルシア with チック・コリア」だ。ぼくはあまりチック・コリアは好みじゃなかった。まあ、マイルスとのセッションや「リターン・トゥ・ホーエバー」もレコードは聴いてはいたし、ライブなんかも行ったことはあるのだが…。しかし彼がモーツアルトなんかを演奏するのはあんまりいただけないものだった。だってクラシックの演奏家のほうがはるかに繊細で美しい。またロン・カーターのバッハだって? … P・カザルスやA・ビルスマの方がなんたって。…チックは正直にパコと合っていなかった。でも、かぶりつきでパコの魔術のような演奏に興奮した。
それからだ。パコが来日するたびに出かけた。その時その時でメンバーも変わりクラシック曲「アランフェス」や、より前衛的なフルートを加えたセクステット、激しいフリーな即興演奏と音楽の可能性を聴かせてくれた。当時はまだLPの時代だ。やっとCDが当たり前になり同じものを買い替えたり無駄なことをしたものだ。ぼくが一番好きなのはジョン・マクラフリン、アル・ディ・メオラとのスーパー・ギター・トリオ「地中海の舞踏」(これはメオラに替わりラリー・コリエルで当時RDでしか映像はなかった)。パコ、この天才は1967年にソロアルバムを出し、1973年の「Fuente y caudal・二筋の川」でビッグ・ネームとなった。ぼくが思う最高は「シロッコ」だろう。噴出する炎、フレーズ、音圧、まさに熱風である。激しくかき鳴らすコードや疾風のような高速パッセージ、音の奔流である。力強い響き、弦が千切れんばかりの強烈な右手、それを見ているだけでも恍惚となるのだ。ふやけて退屈なばかりのイージー音楽が多い中で、パコの真摯さと過剰なほどの音、新しい音楽にチャレンジする姿勢に酔ったのだ。そこにフラメンコ、フージョン、モダンジャズを超えた音楽を見たのだ。2011年、最近聴くのはまたバッハばかりだ。聴くものがない!ヘービーメタルも過去のものだし、レディー・ガガみたいな漫画は趣味じゃないし、心に迫ってくる音楽はないのだろうか。
7/ 5th, 2011 | Author: Ken |
Duende・デュエンデ
デュエンデとはスペイン語で「小鬼・ゴブリン」を指すが、フラメンコでは「謎めいていて言葉で言い表せない力」のことだ。
そう、誰もが熱く感じるもの。それはブルースでは「ソウル」であり、バッハでは「祈り」であり、音楽や舞踊の「魂」と呼ばれるものだ。世間では「魂」とお頭が弱そうなタレントやマスコミがお気軽に使うが、とんでもない!滅多にそんなものにはお目にかかれるものではない。
……..80年代、バルセロナ・オリンピックが囁かれた始めた頃だ。カルロス・サウラ監督の映画「カルメン」が封切られた。その熱さとエネルギー、そしてアントニオ・ガデスの演出に驚嘆した。それまでパコ・デ・ルシアにぞっこん参っていたのだが、何と!パコも出演しているではないか! とにかく凄い! ほんとうに凄いのため息だった。
フラメンコというアドレナリン過多の音楽・舞踊は、インド北部からジプシー、ロマ、ヒターノ、ジタン、ツゴイネルと様々に呼ばれる流浪の民が、スペイン・アンダルシアに流れ着くまでに通ってきた土地々の民族音楽・舞踊が混淆し生まれたという。
そう、フラメンコは文化と歴史の坩堝なのである。地鳴りのようなギターと身体の奥底から絞りだすようなカンテ(歌)、愛、裏切り、嫉妬、恨み、復讐、哀切 …. 男と女、人間の情念が熱り出す。床を踏みならすステップ(サパテアード)手拍子(パルマ)、カスタネット、オーレ!の掛け声。….ヨーロッパの西の果てスペイン、かって世界を席巻し富をかき集め、いつか衰えていった国、画家の中の画家ベラスケス、宮廷画家の絶頂から戦争と人間を見過ぎたゴヤを生んだ国。そして隣のポルトガルには「ファド」がある。
ところがガデスは今までのフラメンコとは全く違うのだ。洗練され計算され怜悧な知性に裏付けされ、それでいて奔放、激しく熱い情念の波動があるのだ。タブラオの素朴さと泥臭さもいいが、高みを目指し芸術に昇華されたバレェの緻密でリファインされた極致の美があるのだ。始めて眼前で踊る姿を見た衝撃、抜き身のナイフを感じた。白刃の刃鳴りが聞こえるのだ。円が大きいのだ。感覚が研ぎすまされ、指先の末梢神経にまで力が漲り緊張の極みに達するのだ。ストイックでそして熱いデュエンデがほとぼり出すのだ。
そしてカルロス・サウラという監督を得て映画となった。ドキュメンタリー手法と劇中劇としての映像も素晴らしいのだが、舞台は映画以上に映像的なのだ。「血の婚礼」における緊張の一瞬の場を凍りつかせる写真的静止、決闘シーンはハイスピードカメラ撮影そのものを踊るのだ。「カルメン」「血の婚礼」「アンダルシアの嵐」「恋は魔術師」これらは舞台と映画と両方を見たがやはり舞台の方が素晴らしかった。サウラ監督には他にも「タンゴス」「フラメンコ」というドキュメンタリーもある。
そしてガデスにはクリスチーナ・オヨス(舞台では彼女がカルメン)、ファン・ヒメネスという名手たちも忘れることができない。またスペイン国立舞踊団の創設期の監督はガデスだった。あのラベルの「ボレロ」の振り付け、そして「王女メディア」の…….
2004 年ガデスは逝った。享年 67 歳。 幕は降りた。そう、ビセンテ・エスクデロのように栄光に包まれて….。生涯決して魂を売らなかった男。フランコ政権時代には踊りを拒否して他国で生きた男。フラメンコをバレェの高みと芸術にした男。ガデスの名は永遠にガデスである。
〜ソンブレロ 俺のソンブレロ お前は俺の宝物 闘牛場にかぶって行くと 闘牛士にも張り合える
〜 俺はお前が好きだ これにはある人の 口づけが縫い込んであるから〜
●カルメン・アマヤの「タラントス・バルセロナ物語」では若きガデスのファルーヵが見られる。
6/ 30th, 2011 | Author: Ken |
時計を捨てよ街に出よう。
男の唯一といっていいほどのアクセサリーはリストウォッチだ。昔は成人になるとまず時計を親から貰ったり無理して買ったものだ。
とても高価なものだったし豊かさの象徴でもあった。古い強盗漫画には腕時計を巻き上げるシーンがよく描かれていたし、旧満州で進駐したソ連兵が日本人から取り上げ腕に何個も時計を巻いていた。なんて話も聞いたことがある。
「腕時計・リストウォッチ」その精巧な機械仕掛けに感嘆し、左腕に輝く光沢を誇らしく感じたものだ。いまでもメンズマガジンでは「時計特集」をやると部数が増えるそうだ。まあ男の子はメカニズムが大好きだし、女性がジュエリーに目がないのと同じだ。
そして超高価なブランド物をジャラつかせて、どうだ!という自己顕示欲も満足させるしね。ぼくにはそんなお金はないからもっぱらアンティーク?と言えば聞こえはいいがジャンクばっかりしか身につけたことがない。おまけにほとんどが手巻きだ。いつも修理で困ったものだ。だけれどクォーツにはない人間的というかゼンマイや歯車の機構に魅せられていたのかも知れぬ。
……そしてもう16年前にもなる阪神淡路大震災があった。仕事はすべて吹っ飛んじゃったし生活の不安やら、もう明日が見えないから口を開けて笑うしかなかった。そう、バブルが弾けリストラという言葉が大流行りだった。Restructuring・再構築、そうだ自分自身をリストラしよう。まず車を止めた。友人は何十年も乗っていた者が止められる訳はないと笑ったが….。ゴルフも止めた。仕事柄ゴルフのウェアやグッズなんかの仕事が中心の癖にね。そして時計を外した。何か時間というものに、習俗というものに、束縛され、自分とっての時間が掴めなかったからだ。震災の後何をしていいか解らない。そのくせ仕事もないのに毎日半壊の事務所に通う……
いったい何をやってんだ?車を止めたら駐車違反にビクビクすることもなく、お酒も飲めるしかえって行動範囲が広まった。時計を止めても携帯電話もあることだし不便はなかった。だが自分だけに流れる、自分の時間なんて掴めなかった…….が。
…..抽き出しを整理していたら錆び付いたのが随分出て来た。もう修理してくれる人も少ないだろう。正確な時間を刻むならハイテクはトンでもない時計を生み出した。GPSなんかアインシュタインの相対性理論を使い時間の遅れを調整しているし、セシウム原子時計なんか9,192,631,770Hzのマイクロ波を作り。これが1秒の定義となっている。誤差は1億年に1秒(10の-15乗)だそうだ。
最近では「光周波数コム」でセシウム原子時計の1000倍の「300億年に1秒」の精度だとか、いやイッテルビュウム171光格子時計もあるとか。黒体輻射や核スピン影響が少なく周波数は518,295,836,590,864 Hzだと…….。ウーン、最後はプランク時間なんだろうか。
その値はプランク長さと真空中の光速度によって定まり国際単位系で5.39121x10のマイナス44乗だそうだ。
時間っていったい何なんだろうね。
6/ 26th, 2011 | Author: Ken |
ウィグナーの友猫
量子力学における観測・測定行為をどう捉えるか、つまり観測による波動関数の収縮の話だ。コペンハーゲン解釈、エヴェレットの多世界解釈など様々な説があるが、80年過ぎたいまも「波動関数の実在性」そのものに関する解答はない。ノイマンとウィグナーの理論では、観測対象粒子が遭遇するマクロの検出器内の物質系の状態もミクロである。したがって検出器を通過する粒子はすべて同じ位相のズレをもつ、よって物理的過程としての「波動関数の収縮」はない。彼らは「波動関数の収縮」は”抽象的自我”や”意識”だと言うのだ。
… 観測とは観測対象のミクロ系 → 検出器(猫)→ 観測者の眼底視神経 → 神経系 → 脳細胞 → 認識 → 波動の収縮?…
そこでだ、あの有名な「シュレーディンガーの猫」の実験を行う。シュレーディンガーは「猫のパラドクス」によって、彼らの理論を皮肉を込めて批判したのだ。・・・著名な物理学者であるウィグナー先生がその友人「猫(家のはすごく賢いネコなので携帯電話もPCだって使えるのだ)」に実験をさせるのだ。毒ガスでは猫が可哀想なので代わりにランプ(これいいでしょう!ψ・プサイの形の蜀台だよ)を使う。放射性同位元素が励起状態にあって放射線が出なければ、検出器の信号電流はなくランプは点灯しない。基底状態に遷移して信号が出ればランプは点灯する。すなわち、ランプの点灯と非点灯は、基底状態と励起状態に対応しているわけだ。 「友人ネコ」はランプを凝視して記憶または記録する。たしかに、これも立派な放射性同位元素の状態測定である。ただし、箱は密室であり、ウィグナー先生は外にいるので、ランプの点灯状況を知るには、電話をかけてその友人に聞く必要がある。ただし、その友人ネコは物理学者ではないので、ランプの点灯の意味を知らない。・・・・・「波動関数の収縮」はいつ起こるのか?
1)ウィグナー先生が「友人ネコ」に電話して、ランプは点いたかね?」その点灯状況を知ったときか、2)それとも「友人」がランプを見て記憶に留めたときか? 1)だとすれば、「友人ネコ」とランプが「シュレーディンガーの猫」の代りだから、ランプの点灯と非点灯はウィグナー先生が電話するまでは決まらないことになる。そりゃ変だ! 2)だとすれば、”観測の連鎖”は「友人ネコ」のところで断ち切られてしまう。その次の段階、すなわち、ウィグナー先生が電話をかけるという行為は、放射性同位元素の状態測定に何の影響も与えない。したがって、この操作はその放射性同位元素の状態測定に関する(ノイマン-ウィグナー理論の意味での)量子力学的測定とはいえない。少なくとも、”観測の連鎖”の連結点の均質性が損なわれたことだけは明らかだ。友人が電灯を見た時点か、記録した時点か、先生が電話を受け取った時点か、 それとも結果を知った時点か。・・・・・・誰か教えてください。
●「量子力学入門」並木美喜雄:岩波新書を参考にさせていただきました。20年前の本だがほんとうに面白い。
ユージン・ポール・ウィグナー(1902~1959)1963年ノーベル物理学賞受賞。
6/ 25th, 2011 | Author: Ken |
猫ちゃん、お元気?
「死んで冷たくなった猫にヒーリングしたら、生き返った」。友人からこんなメールを戴いた。どんな霊能者・超能力者か知らないけれど、治療師(ヒーラー)の会合に行ったそうだ。そして健康に凄く効果があるんだそうだ。…..フーン、死んだ猫がねー。
マ、信じる人は信じたらいいんだ。そこで「シュレーディンガーの猫」を思い出した。これは量子論の例え話なんだが、分かったようで分からない不思議な話なんだ。ぼくは高等数学が出来ないが、量子の振る舞いについての概念だけでも知りたいと思う。
●ここに箱がある。その箱の中に猫を入れる、中にはアルファ崩壊する放射性物質を置いて、その一つが崩壊したら毒ガスが出る。一定時間経過後、あなたは箱を開けて見る、果たして猫は生きているか死んでいるか?
この系において、猫の生死はアルファ粒子が出たかどうかのみにより決定すると仮定される。原子核がいつ崩壊するかは確率的にしかわからない。崩壊したかどうかは観測するまでは、原子核は崩壊した状態と崩壊しない状態が共存している。と解釈される。
このアルファ粒子を出すかどうかはシュレーディンガー方程式によって確率のみが計算でき、量子力学における確率解釈によれば、現象を観測するまでは原子核が、ひとつ以上崩壊した状態と原子核が全く崩壊していない状態の重ね合わせ状態で存在する。つまり猫が生きている状態と死んでいる状態が共存していることになる。
●コペンハーゲン派の解釈 で言うと観測者が箱を開けて観測を行った瞬間、その猫の状態群が一つの状態に収束する(波動関数の収縮)。つまり重なりあった波は、マクロな物体と相互作用すると収縮をおこす。….でもなぜ収縮するの、その訳を説明して?
●エヴェレット解釈(多世界解釈)箱の中に存在する猫の重ね合せ状態は、観測を行う前も後も変わらない。観測によって、生きている猫を観測した観測者と死んでいる猫を観測した観測者の重ね合わせ状態に分岐する。分岐した後には生きている猫を観測した観測者、または死んでいる猫を観測した観測者の一方しか残らないため、矛盾は存在しない。
…いまだにその論争は続いている。ちょっとオチョクリたくなった。凄い!ヒーリング解釈という新しい力学が出来たんだ!ノーベル賞ものだ! でも、このブログもPCもネットも量子論を利用してんだよね。もうすぐ量子コンピュータも出来るそうだ。
…..私たちの宇宙とはこんな構造が背景にあるのだ。分かった?….でも?
6/ 22nd, 2011 | Author: Ken |
Black Swan
久々におもしろい映画を見た「Black Swan」。バレリーナが至高の芸術を目指して苦闘し、極めるお話かと思っていたのだが、何のなんの心理サスペンスでありサイコスリラー映画だ。……..バレェ「白鳥の湖」のプリマドンナを目指すニナ、清楚潔白、最高技能、そう、ホワイト・スワンなら完璧なのだが、「君は官能的で邪悪さを持ったブラック・スワンは無理だ」。と演出家に宣言される。
ここから彼女の苦悩が始まる。娘に自分の夢を託す母親(どこかキャリーの母に似ているね)、そして重圧と葛藤で精神崩壊を起こして行くのだ。ヒッチコック的盛り上げなんだが、ヒッチならもっとお上品でユーモアがある…。この映画は生々し過ぎるのだ。
老いて去って行くかってのプリマの無惨さ、置き換わる新しいプリマとしての自分。ブラックスワンを演じるためあえて危険な行為も厭わない。….幻覚と幻影、現実との交差、自らの肉体を自傷させる自虐性。そうとうにスプラッターだ。
…最後はライバルと争い殺人を犯すのだがだが….情熱的に、蠱惑的で、挑戦的で、完璧に踊り切ったブラックスワン。満場の喝采に包まれて、そして………この辺はE.A.ポーのウィリアム・ウィルスンみたいだね。多分…..そうじゃないかな。
主演はナタリー・ポートマン(あのレオンの女の子)振付師をヴァンサン・カッセル、監督はアダーレン・アロノフスキー。あの「π・パイ」、「レスラー」筋書きのあるドラマを演じる老いたプロレスラー、いいネ。…..それにしても我が国の映画は…無言。
6/ 18th, 2011 | Author: Ken |
意識のホログラフィー
かって60年代後半から80年代かけてニューエイジ・サイエンス運動というのが流行した。A・ケストラー「ホロン革命」、K・ウイルバー「意識のスペクトル」、E・ヤンツ「自己組織化する宇宙」、F・カプラ「タオ自然学」……。ガイヤ、トランスパーソナル、パラダイム、散逸構造 …. ぼくも夢中になって読みあさったのだが「?」というのも沢山あった。
ぼくはどうも宗教色や超常現象期待派、心理学、東洋的瞑想、アカーシャ・フィールド、悟り、ゼロポイント・エネルギー、ホメオパシー、100匹目の猿などの?話になると鼻白んでしまうのだ。最初から疑似科学に浸った人たちのはいいのだ。だって笑ってしまえるからね。ところが著名人でこういう人たちは始末におえないものだね。心理学とか脳科学のように掴みどころのない分野に特に多いのだ。TVや新書なんかにタレント学者がよく出てくるでしょう。同じネタをホメオパシーみたいに薄めて々….まさに「柳の下に100匹目の猿」だね。
昔ファンだったあの「アウトサイダー」のコリン・ウィルソンだってあっちの人になっちゃった。どっかの国では「知の巨人?」だってサ。フーン!?
この辺の曖昧なグレイゾーンでスタンスがはっきり変わるのですね。神秘主義者とあくまで科学的に解明しようとする人たちと…。ぼくは神秘主義は興味津々、とっても不思議な空想に入れるから面白いけれどきっちりと一線を引きたいね。まあご勝手にと…。「心脳問題」「意識とは?」うーん!?分からん。
……ところでホログラムって不思議ですよね。ホログラフィーは物体から発せられた情報を含む物体光と参照光を感光媒体上で重なるように照射する。2つの光が干渉しあい干渉縞を生る。この干渉縞の明暗パターンが縞模様に感光される。これがホログラムで物体光に含まれた情報を記憶しいてるのだ。ホログラムの縞模様は非常に細く1000 分の1ミリ以下だ。そこに参照光を照射するとホログラムによって光が回折されて、元の物体光と等価な光が発生、 回折光は元の物体光の情報をすべて含み、立体像表示がされるのだ。そしてだよ、その縞模様の一部分だけを切り取って再生さすと、何と!画像は不鮮明にはなるが全体が投影されるのだ。部分に全体が含まれる、ン。ホロンの概念じゃないか。
そういえばぼくの身体の60兆個の細胞ね。 その一つづつに同じDNA情報が含まれているなんて….。そしてダ!ぼくたちの脳はこのホログラムの形で記憶という過去の事象が保存されているのではないか?….という仮設がある。
意識とはこの隠された「本質」のホログラムの一部であり本質とのシンパシーで生まれるのだと….。確かに意識とは無意識に浮かぶ一部でしかないし、D・ボームは「開示された秩序」のエネルギー(情報)の奥に潜む、この「織り込まれた秩序」のエネルギーこそ、現実(リアリティ)の本質であると主張する。……プラトン主義者だね。そしてだ、量子力学的思考によると、存在の不確定性である。あらゆる実体は客観的に独立して存在しているのではなく非実体的な無数の波動によって作られている。とこうなるのだ。
そして思考を拡大すると宇宙は巨大なホログラムではないか?そのホログラムに、宇宙の全時空に関する情報がすべて含まれている。ビッグバン、いやそれ以前の量子的ゆらぎからまりから遥かな未来までのすべての情報だ。それが、脳を含めた宇宙のあらゆる部分にあらかじめ織り込まれているのだと。ボームによれば、エネルギー(情報)と意識はイコールなのだ。意識はエネルギー(情報)になって現れる。大脳生理学者であるカール・プリブラムによると「われわれの脳は実存を作り出すが、それは別の次元時間・空間を超越たパターン化された第一次的な実在領界からの、振動数を解釈することによってなされる。脳は、ホログラフィック(完全写像法的)な宇宙を解釈するホログラム(完全写像記録)である」と。ケン・ウイルバーも「脳における情報はホログラムとして分布しているといえる」とね。まあクオリア問題もホログラム投射なのだろうか。
……..でもなぜリンゴは赤いんだ?