11/ 25th, 2010 | Author: Ken |
三つ数えろ
ハードボイルド。これは悪漢と戦う探偵話なんだが、一視点で客観的に描かれた硬質で乾いた文体のフィクションである。
1930年代の俗悪なパルプマガジンこそ彼らの活躍の場であった。いつか文学となり映画となりストイックでハードな男達になった。男の矜持を貫くタフガイのくせにハードの裏にセンチメンタルな哀愁さえ帯びた男だ。
これは映画におけるハンフリー・ボガートの力だ。シニカルなワイズクラック(警句、軽口)を口にし、ソフトにトレンチコートがお決まりのファッションになった。映画におけるヴィジュアルがスタイルを作ったのだ。世界で二番目の諮問探偵シャーロック・ホームズ(第一番は「モルグ街の殺人」ポーのC・オーギュスト・デュパン)だって、ストランドマガジンで挿絵のシドニー・パジェットが描いたからこそディアストーカーにインヴァネスコートのイメージが確立したのだ。あの不思議な形の鹿狩帽は「ボスコム谷の謎」で被っている。これがなきゃホームズにならないね。ジェレミー・ブレット主演の初期の作品なんて、そりゃイメージそのものでしたね。
こんな楽しいこと!そこでまたぼくの悪乗りというかオッチョコチョイが始まった。おいおいとハードボイルドで遊んでみたいと思います。一つ……人の世に、二つ…..二言三言とホラ話、三つ……見つける愉しみ数知れず。よろしく。
11/ 17th, 2010 | Author: Ken |
ダークエネルギー
♬ 木枯らしとだえてさゆる空より 地上に降りしく奇しき光よ ものみないこえるしじまの中に きらめき揺れつつ星座はめぐる
ほのぼの明かりて流るる銀河 オリオン舞い立ちスバルはさざめく 無窮をゆびさす北斗の針と きらめき揺れつつ星座はめぐる
ウィリアム・へイス作曲/堀内敬三訳詞・作詞
夜毎、人気の無い夜の公園の中を通って帰る。ベンチに腰を降ろしひと時夜空を見上げるのが習慣になっている。宇宙を意識したのは何時のことだったのだろうか。宇宙の向こうには何があるの?地球もあの星から見たら同じに見えるの?その星にも人が住んでいるの?こんな質問をされた大人も困ったことだろう。
その渺々たる広がりと神秘を想像するだけで、気の遠くなるような荘厳さと無窮の不思議さに恍惚となってしまう。いまここにいる私、宇宙137億年のなかで、たかだか何十年かの刹那を生きて来、いま宇宙を意識している私。これって何だ! 偶然の一致が過ぎるではないか! 何故ここに居るんだ? 何故だ? 何故だ……?
ところが宇宙を観察してみると私たちの体、輝く星々、数千億の銀河などの物質はたったの4%。銀河や銀河団を満たしている正体不明の暗黒物質が26%。そして宇宙全体に広がった真空(暗黒)エネルギーが70%。なんと96%が不明なんだという。
真空エネルギーは宇宙開闢から10のマイナス25乗秒に生みだされ、密度はプランクエネルギー密度と比べ120桁も小さい。そしていま真空エネルギーが物資エネルギーを追い越し宇宙を加速し始めているのだそうだ。と、いうことは銀河も星も原子も素粒子も斥力で空間が拡大し未来には存在できなくなる?……..ぼくの体も原子だ。原子も核子と電子の間は真空だ。ということは真空が膨張している?
かってアインシュタインは、宇宙の大きさが永遠に変わらない定常宇宙説ために、一般相対性理論の方程式に、わざわざ「宇宙定数」という斥力の項目を導入した。存命中に「わが生涯最大の過ち」と悔やみこれを撤回した。ところが、最近、最新鋭の望遠鏡を使って得られた観測結果から、やはり宇宙定数は存在するようなのだ。
私たちは物質が存在しない空間を「真空」と呼んでいるが,それは空っぽに見えるだけで,そこには常に「真空のエネルギー」ともいうべきものが潜んでいるらしい。遠方の超新星を高精度で観測してみると「現在の宇宙には真空のエネルギーが満ちており,それによって今,宇宙は加速度的な膨張を始めている」のだと。その真空のエネルギーは,空間そのものがもつエネルギーなので,いくら宇宙が膨張してもエネルギー密度は変わらない。一方、物質密度は膨張によって低下し続ける。観測結果を信じるなら、宇宙は今、再び真空のエネルギーが宇宙を満たすエネルギーの主役となり、第2のインフレーションが始まっていることになる。ホモサピエンスが生まれて10万年、人類の出アフリカ記が5万年前、文明らしきものが1万年前、科学が数百年前、相対性理論が100年前、だれもがPCを持ち始めて20年前、ウエブがここ…….。
たったこれしか経っていない、いまこの時期に、なぜ宇宙は加速度的に膨張を始めたのだろうか?
●「宇宙96%の謎」佐藤勝彦 著/角川学芸出版
●「宇宙の暗闇・ダークマター」ジョン・グリビン/マーティン・リース著 佐藤文隆・佐藤桂子 訳 ブルーバックス
11/ 11th, 2010 | Author: Ken |
”燃える心を”
ソプラノ歌手、多田佳世子さんとご主人で指揮者ダンテ・マッツオーラ氏、テノールの田代恭也氏、京都フィルファーモニー室内合奏団のコンサートに行った。人間の声帯は最高の楽器というが、正しくその事実を眼前で、いや耳前で実感させられた。
洗練につぐ洗練、練られ発酵され熟成された豊穣がきらびやかに輝く。その鍛錬で培った冷徹な音符の根底に、情感という荒々しくもあり繊細な陰翳が漂い炸裂するのだ。ピアニッシモの抑制された繊細な震えからフォルテッシモの力強く大胆で伸びのある昂りへと華麗に煌めく。クライマックスの美の絶叫、それがエーテルのようにホールに充満し、客席からは声にならない驚愕と賛嘆の波動の震えが巻き起こる。プロフェッショナルの歌声とはこのようなものか!ただ呆然!音楽の一撃に酔い堪能した。
…..ぼくはオペラや歌曲には疎いのだが、美しいものは美しく、圧倒させる心地よい迫力のコンサートだった。多田さんとは30年来の知り合いだが生の歌声を聞くのは20年ぶりだ。今回は「写真をお願いカッコよく撮ってね!」OK! OK!というわけで友人のプロカメラマンT氏と出かけた。今夜はぼくはアシスタントだからね!と重い機材を担いでホールのあちこちから覗き間近から聞いた訳だ。二人の以心伝心の掛け合い….そりゃ夫婦だもの、息がぴったり合ってあたりまえだね。
彼女は1991年ヴェルディ国際音楽コンクールで第三位を獲得、それ以来ほとんどをミラノで過ごしている。ご主人のダンテはオペラの殿堂ミラノスカラ座におけるチェンバリスとしての名声、そして指揮者としてはマエストロ リッカルド・ムーティの右腕として世界的に活躍、現在は指揮法、ピアノ、オペラ、歌曲のための教鞭を執っている。ダンテは日本が大好きで居酒屋なんかに行くとそれはもう!おいおい、ビールや焼酎、南蛮漬けなんか食べないでモッツァレラにワインでも飲れよ。「ぼくはこっちの方がイイ!」Io fui sorpresoだね。
11/ 10th, 2010 | Author: Ken |
白か黒か、刃先一閃。
あらためて成田一徹氏をご紹介しよう。彼は切り絵作家である。道具は白黒の紙とカッターナイフだけ。超シンプルである。
切り絵といえば、朴訥で、民話的で、版画的なのを彷彿させるが、彼はそこに一線を画すのである。より先鋭に、より微細に、より内面的に…。そして現代という時のなかで生きている人間を描きたいのである。そこには市井の片隅で目立たず真摯に生きてきた「生という皺、顔という刻、時間という証明」を切っ先に込めるのである。彼の苦闘ぶりを拝見すると、よくもまあ取材にそれだけの労力を厭わないねと思わず声をかけてしまう。「嘘はつけませんから…。根本を掴めばそれからは飛躍と展開の創作は…」。
ナルホド、それで夜毎のカウンター巡り?「….いやいや反芻ですよ。逡巡ですよ。締切に追われ纏まらない七転八倒が飲ませるのですよ」。そうかなー、まあ分かる気もするけど….。「だから若い人の顔は切れないいんですよ。扁平なんですよ。顔ににじみ出る人間性というか時間というか、喜びも悲しみも幾年月が無いんですよ」。そういえば「東京シルエット」にしても「神戸の残り香」にしても消えて行く場所、建物、技、仕事、人間。逝きし世の面影にこだわっていますね。そして彼は演歌が好きだ。「うーん、生きているというどうしようもないこと。それを格好つけないむしろ下世話でダサく生臭い吐息ね。ぼくだってそんなもんだから…」。謙虚な人だ。彼と知り合ったのは神戸大震災の少し前だった。それ以来、神戸で東京でバーのカウンターで語ることが多い。彼は単なるイラストレーターじゃない。じゃアーチスト?そんなことを言えば酔いで赤い顔をますます赤くするだろう。エッセイスト、それもある。アルチザン、ン、それも。…..飲み友達? それが一番。ひどいはにかみ屋で真面目すぎる人だ。だから友人である。
● 「東京シルエット」切り絵・文/成田一徹:創森社 ● 現在神戸新聞夕刊に月2回「新・神戸の残り香」を連載中
★上の絵の成田さんの肖像は,ぼくが成田風に勝手に作ったものです。お許しください。背景は本物からです。
11/ 6th, 2010 | Author: Ken |
What was Iraq War….イラク戦争何だったの!?
イラク戦争開戦から、もう7年目を迎えた。この夏にもイラク支援に行かれた高遠菜穂子さんが戦争で疲弊したイラクの最新情報と、日本が果たすべきイラク戦争検証の意味をお聞きした。イラクはぼくにとってあまりにも遠く、戦争報道もTVの同時中継もあまり実在感が無かった。しかし大量破壊兵器云々は戦争の口実臭かったし、フセインの圧政もマスコミの宣伝空騒ぎかも知れないし、自衛隊の派遣には詭弁と割り切れないものを感じ、ブッシュ追従の姿勢が見え見えで腹立たしく思ったものだ。
あの人質事件にしても「自己責任」というバッシングよりも、こんな若い人たちがボランティア活動をしているなんて!という驚きと、むしろ世界に誇るべき若者ではないかと思った。….彼女は語る「私の命はあの時に止まってしまったのだ」。
そうイラクの友人は彼女にこう言ったそうだ「あなたは目と耳だけでなく、体でイラクの痛みを知ったのだ」と。彼女の強さはそこにあるのだろう。イラク報告会はアメリカ、香港、台湾、そして日本で600回以上、支援と調整のためイラクをはじめヨルダンなど近隣国への渡航は30回近く、報告会で寄せられたカンパによる支援総額は5年間で3660万円を越えたという。そして「日本は憲法9条で戦争は放棄しても、戦争のサポートはいいのか?」とイラクの人に問われたという。人道支援という名目で自衛隊が派遣され、航空自衛隊の活動は大半が米軍など多国籍軍への兵員・物資の補給であった事実。…ぼくたちはどこかで戦争に加担していたのだ….。
いま「イラク戦争の検証を求める」活動が広がっている。でもぼくに何ができるのだろうか? まず知ること、目を閉じないこと、耳を塞がないこと、そして考えること。目を覆いたくなるような残虐な写真もあった。だが爽やかな気持ちが流れる報告会だった。
●高遠 菜穂子(たかとお なほこ)1970年北海道千歳市生まれ。麗澤大学外国学部卒。2000年より、インド、タイ、カンボジアの孤児院、エイズホスピスを手伝う。03年イラク初入国以来NGOと共に、病院調査、医薬品 運搬、学校建設・ストリートチルドレンの自立支援に関わる。04年4月17日、4回目のイラク入 国時に、ファルージャ近郊でイラク武装グループに拘束される。現在は、難民・国内避難民のサポート、医療支援なドのプロジェクトをイラク人と ともにすすめている。イラクホープネット・メンバー、イラク戦争の検証を求めるネットワーク呼びかけ人
11/ 1st, 2010 | Author: Ken |
宇宙のウロボロス
「私にとってわからないこと、それはなぜわれわれが世界を認識できるかということだ」A・アインシュタイン
悠久の宇宙の始まりとは何だったのだろうか?時間も空間も存在しない”無”の状態でもミクロの世界を支配する量子論では”ゆらぎ”があり、そのゆらぎから宇宙は生まれたという。現にわたしがここにいて宇宙を見ているのもCOSMIC COINCIDENCES「偶然の一致」なのか?それとももっと深遠なわけがあるのか….。約137億年前にビッグバンによって誕生し、インフレーションを起しマクロの宇宙になったというが。現在の観測可能な広がりは半径約14ギガパーセク(465億光年・10の28乗cm)であると。そして最小のプランク長さは10のマイナス33乗と……。シェルドン・グラショウ教授は、電磁気と弱い力の相互作用の統一理論を提唱し、素粒子と宇宙の全体構造を、古代神話の「ウロボロスの蛇」になぞらえた。物質のマクロ極限である宇宙の開闢を支配しているのは、逆に物質のミクロの極限の法則なのであると。……ウーン、そう言われるとそうかもね……。ぼくは ”宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないからだ”。という「人間原理的宇宙論」は与しないが、それじゃ「神の一撃で誕生した」といのはもっと縁遠い。「神は我らの宇宙を創造する前に何をされていたのか?」、聖アウグスチヌスは「何もされてなかったのだ。」と答えたというが….。
たまたまぼくがここにいる。そして宇宙を見ている。これが単なる「偶然の一致」なんだろうか?……そうに決まっているサ。でも不思議だ。137億年後の今現在、せいぜい70〜80年この世に存在し、ミクロの物質でできたぼくがマクロの宇宙を見ている。そして、そしてだよ。たかが1400ccほどの脳細胞が考えているなんて….。この堂々巡り、自分の尻尾を飲み込むウロボロスの蛇だね。
知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。鴨長明も方丈記で語っていますね。
10/ 29th, 2010 | Author: Ken |
極短小説….2
またしても悪乗りです。何の役にもたたない戯れ言を…..。Cartoon:カトゥーンって言う一コマ漫画がありますね。
あれって一コマに知恵を絞ること悪戦苦闘だと聞いた事があります。アメリカではそのアイディアだけ売る商売があるそうな。
まあ、極短小説もそんなものか。出来不出来はありますが歯に衣着せぬ辛辣なご批判を….。
側近
ナチの高官が胃潰瘍になった。権謀術数が渦巻く第三帝国の神殿はストレスが多い。忠誠心こそ生き抜く知恵だ。
入院にあたって医者に一つの注文をつけた。大手術だった。手術は成功し回復した。総統が見舞いに訪れた。
「元気になってよかったな。君は我が党になくてはならない存在だ。ところで傷口を見せてくれんかね?」
「ハイッ!総統!ハイルヒットラー!」彼は痛みをこらえてサッと立ち、踵をハッシと打ち、パッと右手を挙げた。
パジャマを勢いよく開いた。腹には大きく見事なハーケンクロイッツの手術跡。
長いお別れ
今日は来てくれるだろうか。いや必ず来てくれる。特別の日じゃないか。娘のサリー。あの栗色の髪、ちっちゃな唇は
甘いキャンディの香りがする。ほんとうに楽しみだ。足音が聞こえるぞ。サリーのスキップだ。ハイヒールの音はヘレンだ。
優雅に歩む姿が浮かぶようだ。どれほど愛しているかわかるかい?
幸せな日々は短いものだ。あのパーティの後、気分が悪くなって……。おや? もう一人の足音がするぞ。男だ。
三人が立ち止まった。花の香りが流れる。ライラックだ。雛菊もある。ヘレンの声だ。「あなた、もう来ることもないわ。今日は
その区切りよ。新しい人生を始めるの。さようなら」「さあ、サリー。お父さんに最後のお別れを言いなさい。今日からヘンリー
が新しいお父さんよ」「ヘンリー? あの保険屋の? あのパーティで飲んだ酒……」墓石は黙して語らない。
名手
ザハリコフ中尉はソヴィエト軍第一の狙撃手だ。フォン・シュタイナー少佐はドイツ軍最高の射撃教官だ。彼らはスターリン
グラードで相まみえた。名手であるほどチャンスは一回切りだ。六百メートルの距離は彼らにとっては必中圏だ。両者とも完璧に
相手を捉えた。敵の銃口がスコープにクッキリと見える。名手中の名手であるだけに引き金を引いたのも同時だった。
弾丸は当たらなかった。あまりにも完璧な射撃だったので、両者の弾丸が空中で正面衝突したのだ。
愛は蜜よりも
「やっと最高の女性を見つけたよ。僕は三度失敗したけど、君だけは違うよ」高齢の資産家は若い妻を愛おしく見やった。
「私もそうよ。あなたこそ理想の男性よ」「ところで前の旦那さんは何で亡くなったんだね?」
「そんなこと思い出させないで! 愛しているのはあなただけよ、甘いお酒で乾杯しましょ」「じゃあ、二人の人生に!」
「ウウッ! このシャンパンは苦い……」
ドランカー
「そんなに飲んじゃいけませんよ」「いいんだ。金ならある」。「しかし、困るんですがね」カウンターの男は顔をしかめた。
「そんなことを言っていると君を……」血液センターの職員は恐怖に震えて懇願した。「お願いです。ドラキュラ伯爵さま」。
最初のビジネス
若く魅力的な二人は一文無しだった。一人前になるためには何か仕事をしなければならない。
お腹が空いた。女はリンゴを囓った。突如、彼女の身体に衝動が走った。「ねェ……」「ン……」
気がつけば、生まれたままの姿でいることに微かな寒さと不安を感じた。金をかせがなきゃ二人は….。
男はひらめいた。「そうだ! 洋服屋をやろう。絶対だよ!」
深層心理
彼女は手を洗い続けた。洗っても洗っても心は安まらない。それはトラウマなのか? イドの奥底からこみ上げる脅迫観念か?
どうしても衝動を止めることができない……。「ああ、落ちない、落ちない」。森が動くように人々の一団が現れた。
「見て!見て!かわいいなー。あのアライグマ」
10/ 25th, 2010 | Author: Ken |
極短小説の愉しみ。
短編小説が好きだ。その中に面白さのエッセンスを凝縮し、冗長ならず鮮やかに切り取る手練の技を見るからだ。それは居合にも似て鞘のなかですでに相手を斬るというアイディアの冴えがあるからだ。もっと短いショートショート、いや極短小説というのもある。
英語では55語で書き上げる。つまり“Fifty-Five Fiction”という訳だ。日本語なら200字以内といったところか。でもジョークや駄洒落では駄目で起承転結、小説の態をなしていなければならぬと。ウーン難しい….。少々恥ずかしいのだがぼくもチャレンジしてみた。
手厳しいご批判をお待ちしています。
最後の晩餐
拝啓、クラリス様 …ハンニバルより 羊たちの悲鳴は止んだかね? 私は人生の最後を飾るに相応しい場所を得たよ。
ディナーの準備も整ったようだ。湯もぐらぐらと沸いている。シャトーデュケムやチェンバロの代わりに極上の
椰子酒とタムタムの響きがある。久しぶりの正餐にみんなも興奮しているよ。酋長も舌なめずりしている……。
「あっ痛い! もっと紳士らしく扱えよ」
釣り師
釣り師の話はでかい。釣り落とした魚はもっとでかい。
「オレがユーコン河で落としたキングサーモンな。ありゃ6フィートはあったぞ」「それがどうした! 僕がマダガスカルの沖で釣った
奴はな。あと僅かのところで糸をかみ切りやがった。ゴンベッサだよ。シーラカンスだ!」「何を言いやがる。ワシがカリブ海で闘った
大物はな。釣り上げるのに三日三晩じゃ。しかし、帰りに鮫どもに食われてしまいよったがな」潮焼けした老人が自慢した。
その時一人の男が店に入って来た。釣り師ならぬ古風な装い、沈痛な顔に太い傷跡、脚は義足だった。みんなは急に黙り込んだ。
「おい、みんなどうしたってんだ。いったい奴は何者だ?」シーッ、「エイハブだ。エイハブ船長だよ!」
酒と薔薇の日々
現代はストレスに満ちている。酒にのめり込んだのもそのせいだ。彼は完全なアルコール中毒者になった。当然会社はクビになった。
家庭は崩壊、浮浪者になりはてた。「ああ、酒が欲しい。酒、酒、酒が……」。譫妄症が現れ幻覚に襲われた。彼は酒のためにひどい
犯罪もおかした。精神病院に収容されそこで死んだ。死の間際に何か一つでも良いことを残そうと思った。
「僕の身体を役立ててください。こんな人生をおくらせないために……」願いは成就した。
彼はいま病理学教室にいる。アルコール漬けの脳標本として。
不眠症
ドリーは眠れなかった。数を数えた。羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹……。幾ら数えても睡りは訪れない。
二千九百九十九……。バイオ研究所の博士が牧場主に言った。「三千匹目のクローンの誕生です」
10/ 21st, 2010 | Author: Ken |
時計じかけの兵士たち
第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、人間に危害を与える危険を見過ごしてはならない。
第二条 ロボットは人間の命令に従わなくてはならない 。ただし第1条に反する場合はこの限りではない。
第三条 ロボットは第1条、第2条に反するおそれがない限り自分を守らなければならない。
これはあまりにも有名なアイザック・アシモフによるロボット3原則である。そしてロボットの名の由来はチェコスロヴァキアの作家カレル・チャペックの戯曲「R.U.R./ロッサム万能ロボット会社」1921年に始まる。 ところがだ、最近、人間に奉仕? するはずの機械が人殺しの道具となって現れてきた。「時計仕掛けの殺し屋」だ。いや、ちょっと待てよ。ギリシャ神話に始まり人造人間の歴史は人間以上の強力兵士を作る事に情熱をかけてきたのではないか?
投石機、銃砲、軍艦、戦車、飛行機、ミサイル、おまけに戦場ロボだ。そういえば洋の東西を問わず甲冑武者はロボットにそっくりだ。つまり装甲人間だ。秦の兵馬俑なんて人造人間兵士の夢だね。だが、ハイテクの恐ろしいほどの発達により21世紀に入ると形相がガラッと変わった。Robot War、Nintendo Warと呼ばれる現代の戦争はゲームと酷似してきた。
何しろアフガニスタンでは無人偵察攻撃機、プレデター(捕食者)やリーパー(刈り取り機、死神)が上空から監視攻撃する。これはなんと12,000kmも離れたアメリカ本土からコントロールしている。まさにTVゲームだ。ということは人を殺してもゲームと同じで心が痛むはずがない。喜々としてゲームを楽しむんじゃないか?地上でもロボット兵器が這い回り人間に替わり危険任務を遂行するのだ。宗教という原理主義にあまりにも忠実、神という抽象性を信じる人間、この精神主義的人間を駆り立てロボットに自爆テロで対抗する。これもテロリストを洗脳でロボット化しているのではないか。
日本だって偉そうには言えない。太平洋戦争末期には精神主義をお題目に「神風特攻隊」や人間爆弾「桜花」、人間魚雷「回天」、モーターボート爆雷「震洋」、人間機雷「伏龍」、人間地雷「肉薄攻撃・爆薬を担いで戦車のキャタピラに身を投げる」、他にも特攻兵器の数々….。こんな攻撃を命じた指揮官ほど非人間的存在はない。死ぬことが目的と化した作戦で何が国体護持なんだ。こんな記録を読む毎に見る毎に怒りで胸が痛む。
まあ。鉄人28号だって究極の兵器として戦争末期に研究・誕生した。とで始まる。…….ロボット。力強く愛らしく、友人としてのアシモフのロボットや鉄腕アトムというロボット、そんな話は夢でありセンチメンタリズムなんだろうか。「からくり儀右衛門」(田中 久重寛政11〜明治14、久重が創設した田中製造所は後年、東芝となる)のお茶汲み人形なんてそれはもう!…..と言いながら世の中、ロボットみたいな思考の人間が増えているとか。……ン!携帯依存症ネ、あれって携帯電話に人格依存しているようにも見えるがなー。
「ロボット兵士の戦争」 P・W・シンガー/日本放送出版協会。先日NHKでも放送されたハイテク兵器と軍産複合体をレポートする。
「日本ロボット戦争記-1939〜1945」井上晴樹/NTT出版。第二次大戦中の世界のロボット兵器をSF、技術、風俗、小説、漫画から
解説する。その克明に調査した資料たるや!海野十三と挿絵の伊藤幾久造、この「地球要塞」なんか挿絵の完成度が凄い。
そして詩人、佐藤春夫がVI兵器に寄せた詩「流星爆弾」なんて!〜我は世界の怨恨を先端に秘め….闘志と天意とを両翼として報復の舵機あり…
…携帯電話、PC、あまりにも当たり前のハイテク機械に埋まって自覚することもなく日々凡々と過ごす私。これでいいのかね?
10/ 16th, 2010 | Author: Ken |
アッシャー家の崩壊 … ポー賛/4
重苦しく雲が低くかかり、もの憂い、暗い、寂寞とした秋の日もすがら、私はただ一人馬にまたがり妙にもの淋しい地方を通りすぎて行った。そして黄昏の影があたりに迫ってくるころ、ようやく憂鬱なアッシャー家の見えるところへまで来たのであった。… 私は眼の前の風景をながめた。… 阿片耽溺者の酔いざめ心地….日常生活への痛ましい推移….夢幻の帳のいまわしい落下 … といったもののほかにはどんな現世の感覚にも例えることのできないような、魂のまったくの沈鬱を感じながら。心は氷のように冷たく、うち沈み、痛み、…どんなに想像力を刺激しても、壮美なものとはなしえない救いがたいもの淋しい思いでいっぱいだった。…ほとんど眼につかないくらいの一つのひび割れが、建物の前面の屋根のところから稲妻状に壁を這さがり、沼の陰気な水のなかへ消えているのを、見つけることができたであろう。
エドガー・A・ポーの「アッシャー家の崩壊・The Fall of the House of Usher」1830。
この話を知ったのは小学生の頃、姉がラジオの朗読で聞いたのを語ってくれた。最後の「血のように真っ赤な月が…」。何と言う表現だろう眼前に赤い月が見え戦慄を憶えた。それ以来ポーには心酔している。あまりにも有名でいまさらストーリーや解説をしても始まらないが、冒頭の一節だけで寂寥とした風景描写にこれからの物語に没入させてしまうのだ。陰鬱な屋敷、その微かなひび割れの描写が最終節に大きな意味を持たせているのだ。この巧妙な計算!….そしてアッシャーの譚詩バラッド、これはおのれの人格が崩壊していく様を詠っているのであろう。
… 王なる「思想」の領域にそは立てり!そして狂気に堕ちいるいる様を….かくて今この渓谷を旅ゆく人々は 赤く輝く窓より、調べ乱れたる楽の音につれ 大いなる物の怪の踊り狂い動けるを。また蒼白き扉くぐりて 魔の河の奔流のごと恐ろしき一群走り出いで、高笑いす、―されどもはや微笑まず。
…叡智に輝いていた二つの窓、怪しき赤き窓とは双眼のことなのだろう。そして終節に至って…このその輝きは、沈みゆく、血のように赤い、満月の光であった。月はいま、その建物の屋根から稲妻形に土台までのびている、たあの亀裂を通して輝いているのであった。…幾千の怒濤の響き、長い、轟々たる、叫ぶような音が起った。―そして、私の足もとの、深い、どんよりした沼は、「アッシャー家」の破片を、陰鬱に、音もなく、呑のみこんでしまった。ポーの素晴らしさはスプラッターになりがちな恐怖譚を知的で美意識に満ち、芸術にまで高める品性である。以後のおびただしい他の恐怖譚と一線を画しているのだ。ぼくはポーの素晴らしい作品群のなかでも「アッシャー家の崩壊」が最高作と信じている。