10/ 14th, 2010 | Author: Ken |
赤死病の仮面…… ポー讃/3
“The Masque of the Red Death”「赤死病の仮面」1842年。純粋な想像力は美しさあるいは醜さから、今まで化合されたことのないものでもって作られる…..この精神の化学作用において…..醜いものからさえもそれが想像させる唯一の目的であり、同時にまた想像力の不可避的な験である….(想像力)。
…..美しさを製造することにおいてポーはこのように語る。光輝、燦爛、峻刻、幽玄、怪異、人工美、技巧、計算。「赤死病の仮面」の精緻さは特別である。まずおどろおどろしい赤い死、僧院の閉鎖空間、青、紫、緑、橙、白、菫、この色彩の氾濫のなかを豪華絢爛な仮面舞踏会の渦がある。艶やかで、夢幻的で、グロテスクで、奇異で….、そして真っ黒な天鵞絨のタペストリーで被われた第七の部屋を赤の瑠璃玻璃を通した篝火が揺らめく。黒檀の大時計が時を告げ、その時オーケストラもワルツに興じる人々も一瞬動きが止まる。ここに経帷子の赤い死が現れるのだ。…..「それは夜盗のように潜入し、宴の人びとは一人また一人と彼らの歓楽の殿堂の血濡れた床にくずれ落ち、その絶望的な姿勢のまま息絶えていった。そして黒檀の時計の命脈も、陽気に浮かれていた連中の最後の者の死とともに尽きた。三脚台の焔も消えた。 And Darkness and Decay and the Red Death held illimitable domini
あとは暗黒と荒廃と「赤死病」があらゆるものの上に無限の支配権を揮うばかりだった」。八木敏雄/訳
ポーが想像した恐怖と人工美の極みである。この短編はゴシック・ロマンスだが二世紀近い時を経てもこれを超えるものは知らない。
音楽では、Andre Caplet作曲:ハープと弦楽四重奏のための「赤死病の仮面」があるが、ぼくの趣味ならバロックからロココの明るい宮廷音楽にしたい。弦楽のさざめきとチェンバロの音色。それに時おり、重々しい大時計の真鍮の肺臓から深暗な音が鳴り響くのだ。
10/ 10th, 2010 | Author: Ken |
「メエルシュトレエムに呑まれて」… ポー賛/2
SF、サイエンス・フィクションは科学的背景を基盤にイマジネーションを広げるから空想科学小説と言われる所以だ。荒唐無稽の冒険譚と言ってしまえばそれまでだが、いかに面白く、いかに驚異であるかに技巧の術を凝らすのだ。
エドガー・A・ポーの「メエルシュトレエムに呑まれて」緻密な計算と絶妙の技巧、その素晴らしさに思わず引き込まれてしまう。冒頭に白髪の老人と崖上から海を眺めながらダイナミックに変化する模様が描写される。崖上は烈風が吹きすさび、腹這いで灌木にしがみつく描写には思わず高所恐怖に襲われる。….そして白髪の漁師の体験が語られるのだが、大渦に呑まれ、めまぐるしく旋回する船上でパニックと冷静な観察眼の二律背反の眼で話が語られるのだ。咆哮と鳴動の大渦、漏斗の内部は眼の届くかぎり四十五度の傾斜の壁であり滑らかに輝く黒檀であった、底なしの深淵に揺らめき喘ぐ水蒸気、それに時と永遠への架け橋の虹が架かり月光が照らす。何と言う幻想的で美しい情景だろう。叫喚と静寂の対比だ。めまぐるしい動きのなかで漏斗の渦の壁に見る形状による沈下速度の差、ここには物理的な観察眼があり、恐怖と美と詩的でありながら、数学的ともいえる落下風景をアンチノミーで見せる。そう、ポーの視覚的描写は、眼前の出来事のように映像を喚起させるのだ。 ポーは映像作家だ。精緻な計算が夢を見ている時に感じる現実性と恐怖を読者にイマジネーションとして創り出させるのだ。人工的、技巧的、幻想美、彼の頭蓋のなかにはどんな世界が交錯しているのだろう。そしてこれが書かれたのは約180年前だ。ポーの近代性は時を越えている。アーサー・C・クラークが宇宙のメエルシュトレエムを描いたのも頷ける。
…余談だが「一夜にして髪が真っ白になった」とよく聞く。それは恐怖や心理的ストレスによるのだという。ポーの時代にもそんな噂話はあったのだろう。しかし私が思うにこの「メエルシュトレエムに呑まれて」が発表され、世界に翻訳され、我が国ではポーに心酔していた江戸川乱歩によっても「一夜にして白髪」話が書かれ、人口に膾炙していったのではないか?生理的には恐怖のあまり髪の毛が逆立ち、その時毛根に空気が入り白くなるというのだが(本当のところはメラミン色素が作られなくなる)….。同窓会なんかで何年も会わないかった知人に会うと、頭が真っ白で驚くことに出くわすが、これも記憶と時間の錯覚がもたらすのだろう。私も両鬢に白いものが目立って来た。
…白頭掻けば更に短く…か…歳を取る…恐怖だ恐怖だ。
10/ 4th, 2010 | Author: Ken |
The Raven「大鴉」……ポー賛/1
Once upon a midnight dreary,
while I pondered, weak and weary,
Over many a quaint and curious volume of forgotten lore,
While I nodded, nearly napping, suddenly there came a tapping.
As of some one gently rapping, rapping at my chamber door.
” ‘Tis some visitor, “ I muttered .
” tapping at my chamber door, Only this and nothing more. ”
むかし荒凉たる夜半なりけり
いたづきみつれ黙坐しつも 忘郤(ぼうきゃく)の古學のふみの奇古なるを繁(しじ)に披(ひら)きて
黄(こう)ねいのおろねぶりしつ交睫(まどろ)めば 忽然(こちねん)と叩叩の欸門(おとない)あり。
この房室(へや)の扉(と)をほとほとと ひとありて剥啄(はくたく)の聲あるごとく。
儂呟(われつぶや)きぬ 「賓客(まれびと)のこの房室(へや)の扉(と)をほとほとと叩けるのみぞ。
さは然(さ)のみ あだごとならじ。」
日夏 耿之介
“Lord, help my poor soul.” 主よ、哀れな魂をお救いください…。エドガー・アラン・ポー最後の言葉だと言われる。この耽美的、神経的、憂鬱症、幻想、幻影、ネクロフィリア、アルコール中毒、闇にひっそりと浮かびあがる美しい女、心を震憾させる想像の風景、イマジネーションの宇宙。……の男はあまりにも感性が強過ぎる人物と思われているが、実際は論理的で計算に優れ冷徹な科学者のような頭脳を持っていたのだろう。「ユリイカ」「ハンス・プファールの無類の冒険」「シェヘラザーデの千二夜の物語」「メルツェルの将棋差し」などを始めその小説や評論の背景には当時の最新の科学知識に基づいて創作されている…SFの父だ。
史上初の諮問探偵を創り「黄金虫」は暗号解読、「使い切った男」はサイボーグだ。「ウイリアム・ウィルスン」は二重人格だし「群衆の人」は現代の孤独を先取りしている。なんという凄い直感と頭脳だ。そしてあまりにも美しく音楽的で静謐で奇怪不思議に満ちた詩の数々…..底なしのイマジネーションの深淵を覗く。….ぼくの英語力では深く理解することができないが、原文で読むより翻訳が素晴らしい。日本語の曖昧で多彩な語彙と表現。日夏 耿之介は格調高く(難解だが優美)ゴシック的な耽美の世界だ。
●「アッシャー家の崩壊」谷崎精二/訳:あの嵐の夜にアッシャーがリュートで弾き語る即興詩なんて…嗚呼。
●「大鴉」昔、古本屋で何気なく見つけた詩の本、それが上記の写真。挿絵がギュスターブ・ドレ、夢幻への耽溺だ。
●「黒夢城」写真家サイモン・マースデンのエドガー・A・ポーの世界。崩壊の古城、深閑の墓地….廃墟がひたすらに美しい。
9/ 23rd, 2010 | Author: Ken |
詩とジャズとビートニック。
ニューヨークへ行きたしと思へども ニューヨークはあまりに遠し せめては新しきレーコードに針を落とし ジャズに酔いしれてみん。
若さとは時代を素直に呼吸できることだ。いつの間にか時代を拒否し、常識という頑迷さが正義となり、大人という脂肪が思考を被うのだ。あの初めて都会に出た学生服の少年はジャズというものに心が震えた。単純にカッコいい!それがいまの時代だと感じた。
時代の先端でいたい。それがアメリカでありニューヨークだった。1ドルが360円の時代でそれは夢の夢の世界だった。アメリカ文化センターに行き、ジャズコンサート、LPや古本を漁り黒人文学や詩集、ジャクスン・ポロックに驚き、それらを、さも分かったふりをしていた。生意気と頭デッカチの典型少年だった(お恥ずかしい。ただしジャズ喫茶で指を鳴らしたりはしなかった。…何となくダサイじゃないの。生活指導の先生に見つかり慌てて隠れたこともある)。
その頃だ。ビートニックという前衛の人たちがいて、既成の価値観を破壊し超越する「聖なる野蛮人」なのだと。ビートはジャズのビートだ。そしてその聖典とも言えるアレン・ギンズバーグの「咆哮」を手に入れた。買った時は袋とじになっていてペーパーナイフで切り開きながら読んだ。
私は同じ世代の最良の人たちが狂気に身を滅ぼされ、狂乱に飢えて裸にされるのを見た、からだを引きずりながら夜明けの黒人街を一本のヘロインを探し求めめるため歩きまわるのを、夜の機構を動かす星のダイナモの中に溶け込んで行く昔ながらの天のかけ橋をせめて薬にしよぅとしてもがいているピップスターたち、….
ところが僕が憶えているのと違うんだね。どこかで記憶が混ざってしまったんだ。
俺は見た 我が世代の最良の人々が狂気に破壊され、飢えと狂乱 裸で明け方の黒人街を怒りのマリファーナを求めてさすらい歩く…と。
この詩集を半世紀ぶりに開いたさっきまでそうだった。こんな一節もあった
…またある者は 貧困とボロシャツ うつろな眼でタバコをふかし 夜もすがら湯も出ない部屋の超自然的な暗闇
で 都会の上を漂いジャズを瞑想した…。そして、モーラックは不可思議な牢獄!モーラックは魂のない骸骨の刑務所、悲哀の国会!….モーラックその胸は食人鬼のダイナモ!….なんて。
●「咆哮」アレン・ギンズバーグ:古沢安二郎 訳 / 那須書房 / 1961 ●「詩・黒人・ジャズ」:木島始/ 晶文社 1965
●「もう一つの国」ジェームズ・ボールドウィン:1962 ●「ブルースの魂」 リロイ・ジョ−ンズ:1965
●「路上」1957 ジャック・ケルアック/古沢安二郎 訳 ●「裸のランチ」1959 ウィリアム・シュワード・バロウズ/鮎川 信夫 訳
映画では「アメリカの影」1960:監督ジョン・カサヴェテス、音楽チャールズ・ミンガス、「クールワールド」1963:音楽は作曲・編曲がマル・ウォルドロン、演奏はディジー・ガレスピーたちだった。いまから思うと若さとは何なんだろうね。
9/ 14th, 2010 | Author: Ken |
魔女の鍋… 此の1枚… Miles/3
1970年、世界のジャズファンが衝撃を受けた。マイルス・デヴィス「Bitches Brew・ビチェズ・ブリュー」だ。魔女たちが鍋をかき回し、媚薬か毒薬か、未来を占うのか、新しい音楽が醸造されたのだ。まずジャケット、超現実の不思議なイラストに魅了された。アブドゥル・マティ・クラーワイン(Abdul Mati Klarwein1934~)の作品だ。あのサンタナのアルバム「Abraxas」もそうだ。
そして針を下ろした。地の奥底から湧き出すようなファンタジックなリズム、次いでマイルスのトランペットが鋭く空間を切り裂いていく。高まりとともにドラム、パーカッションによる16ビートを基調とした複合リズム、その多彩な奔流がイマジネーションを高揚させ迷宮へと誘うのだ。エレクトリックサウンドとリズムがジャズに革命をもたらしたのだ。30分近い「ビッチェズ・ブリュー」、どの曲も10分を超える大作だ。これ以前にもマイルスはミスティックでオカルティックな傾向の作品を作っていたが、その集大成ともいえるのがこのアルバムだ。そして70年代への展望を示唆したものだ。
でも、なぜこの時代にこんな音楽が作られたのだろう。泥沼化しつつあるヴェトナム戦争によって、楽天的でスクェアなパックスアメリカーナの夢に翳りが見え始めた。厭戦気分が時代の変革を要求し出した。そして一部の神秘思想やカルト思想主義者は超常世界を目指した。カウンターカルチャーがヒッピーを産み、インドや東洋の瞑想、ハレクリシュナ、ドラッグ、サイケデリック、さまざまなコミューン、チャールズ・マンソン….果ては科学までニューエイジ・サイエンスとして還元主義からの脱却を目指したのだ。日本はこのカルチャーに数年遅れていた。70年とは大阪万博の年だ。高度成長と豊かさを謳歌する未来が謳われる反面、サイケ、アングラ、フーテンといった風俗が流行った。長髪にパンタロン、革細工の小物入れ、トンボ眼鏡の若者が先端だった。時代は混迷を深め、テロやハイジャックが相次ぎ過激派は世界革命などと本気で叫んでいた。アイビー小僧は時代遅れになりスタンダードジャズはオジさんの音楽になった。
このアルバムにより「ジャズは死んだ」と叫び去って行ったファンがどれほどいただろう。ぼくはムキになって反論した。「モダンジャズとは革新を繰り返すからモダンなんだ。耳に心地よいだけのジャズはイージーリスニングだ。これこそ新時代を切り開くエネルギーを持ったジャズだ」と。「ビチェズ・ブリュー」や「マイルス・アット・フィルモア」に来るべきジャズの未来を感じ興奮したものだが、いつか音楽革命の炎は消えジャズがエネルギーを失い、通俗と懐メロへと成り下がっていった。同時代性を失ったジャズははジャズじゃない。確か80年頃、マイルスの5度目の来日のライブがあった。「スターピープル」「マン・ウィズ・ザ・ホーン」の頃じゃなかったか?
それが大阪扇町プールで水を干したプールが観客席だった。病気か事故の影響か、舞台で脚を引きずりながらの弱々しい演奏。….ジャズが終わったと感じた。哀傷の挽歌である。一抹の寂しさと共に、あのエネルギーが、あのマイルスが…。
それ以来、ぼくはジャズのレコードを買うのを止め、聞くのも止めた。
9/ 10th, 2010 | Author: Ken |
だから何なんだってんだよ?… 此の1枚 … Miles/2
So What? だから何なんだってんだよ? ….気難し屋のマイルスの口癖だ。モード手法に挑んだ「カインド・オブ・ブルー」1959は名作中の名作だ。ビル・エバンスのリリシズムと相まって音楽性、完成度、モダンジャズの最高峰だった。マイルスをライブで聞いてみたい!そうしたらやって来たのだ。1964年7月だった。世界ジャズフェスティバルと銘打ってその先端としての来日だった。それまで「My Funny Valentine」「Four and More」などが発売されていたから、そのまま生で聞けるんだ!興奮しましたね。但しtsのジョージ・コールマンがサム・リヴァースだった。超高速で Walkin’ や So What?をマイルスが吹きまくる。それをトニー・ウィリアムスのドラミングがよりスリリングに盛り上げるのだ。エキサイティングでギラリとした抜き身のナイフを思わせた。モダンジャズの限界に挑み打ち破ろうとする超絶の演奏だった。1964年にはMiles in Tokyo、Miles in Berlinなど何枚かのライブアルバムがあるが「Four and More」が最高だろう。…後に「ジャズ・ジャイアンツ」というTVを見ていたらマイルスが凄い格好、エレクトリック・ジャズでブロウしている。そして自分の過去のフィルム(端正なスーツやタキシードを着て演奏していたKind of Blueの頃だ)を見て言うのだ。「とにかく最高のバンドだった。今見てもゾッとするね。ただ早く止めて良かった…。」マイルスは立ち止まらない人だ。
それ以後、時代の風潮とともにオカルティックな音楽に入って行く。「Bitches Brew」で新たな世界を展開して行くのだ。
9/ 7th, 2010 | Author: Ken |
Good Job, Good Staff
カメラマンAさんの訃報があった。前から闘病中とは聞いてはいたが…。様々な思い出が蘇ってくる…..。あのロケハン、あの仕事、あのライティング、あのカット…。知り合ったのは彼が駆け出しの頃だ。「ハワイロケがあるんだけれど、ファーストクラスで顎足つき、但しギャラは無し。行く?」「行きます!行きます!」。それ以来だ。気合いを入れたのだろう膨大なポジが届いた。
イイ出来だ。ぼくはMen’s Wearの商品企画やカタログの仕事だったから、それ以来撮影は彼と組む事が多かった。いつか彼はMen’sのAと呼ばれるようになった。打ち合わせはいつもミナミのバーが多かった。ぼくの師匠であるSボスが総アートディレクター、ぼくはサブだ。ぼくがスケッチやコンテを描き、スタイリストに小道具を手配させ、無い物は手作りだ。他とは全然違うストーリーのある絵を撮ろうぜ!1枚の絵にドラマがなきゃ…。
ある仕事が終わりスタジオのセットの前で打ち上げの小パーティをやった。モデルが事務所に電話している。「Good Job, Good Staff」と聞こえる。ン、そうだろう。このプロ集団だもの。
…それが上記の写真だ。それからフアニチャー、ゴルフ、いろいろな仕事をチームでやってきた。夜明け前からカメラをセットして朝日の昇るフェアウェイを狙ったり(Down the Fairwayそのものだね)。楽しい思い出がいっぱいだ。….まだ早すぎる死だった。
お別れの時、お棺にあの写真を入れた。最高のスタッフたちだ。A君、いつまでも君と友達だ。
9/ 6th, 2010 | Author: Ken |
Miles Smilesだ。…此の1枚…Miles/1
マイルス・デヴィスを1枚選べといってもどだい無理な話だ。極端なことを言うとモダンジャズの歴史はマイルスの歴史といってもいい。レコードを時代順に並べるとそれぞれがエポックメーキングを成しマイルストーン(里標石)であり、そしてMilesのtone(音色)であるのだ。「クールの誕生」を始め、いちいちここで名盤を説明するまでもなかろう。だから個人の思い入れとしての1枚なのだ。
…マイルスを一言でいえば、何たってカッコいい!「Walkin’」1954、針を下ろした瞬間から熱気に包まれたハードバップの意気と息吹が迫って来る。そしてユニゾンで高らかにリフレイン!…もう最高の気分にさせてくれる。「Bags Groove」まさにグルービー、イーストコーストのプレーヤーたちの溌剌とした自信と表現。これがモダンジャズだ!「Cockin’」何といってもMy Funny Valentine、このリリシズム、歌心、ミュートが泣くのです。たまりませんね。「Round Midnight」イントロから張りつめた緊張感、それが高まりブリッジで絶頂へ、コルトレーンが引き継ぎ….。夜もすがら浸りたい気分にさせてくれる。
ぼくは完全にノックアウトされたのだ。マイルスみたいに吹いてみたい。乏しい給料から月賦でトランペットを買った。音楽素養なんてまったく無しの素人が、だ。教則本で運指を憶えドレミファが吹けるようになると、LPを繰り返し々….、ワンフレーズを記憶し、次にペットで音を探る。そして譜面にコピーするのだ(涙ぐましいというよりいじらしいですね)。そしてコードはよく分からないからピアノが弾ける友人に頼み…。ソロまでフルコピーして真似をしていたのだ(いまでも微かに憶えている)。どれくらいジャズを愛していたか分かるでしょう? …コピーした譜面はほとんど散逸してしまったが、虚仮の一念、結構正確にコピー出来ていた(お恥ずかしい)。特にマイ・ファニーヴァレンタインはどれくらい練習しただろう。でもいい思い出もある。夜毎ミュートをつけて練習していると、ある夜突如ドアを開けて熊みたいな男が入ってくるではないか!驚いたね。「マイルスですね!」彼は前を通る度に聞こえてくる下手なペットが気になってしょうがなかった。で思い切ってドアを開けたと。彼は大学でジャズをやっていたから腕はぼくなんかと雲泥の差だ。それから随分と教えてもらった。彼はプロを目指し東京へ行った。やっと活躍し始めると身体を壊し夢半ばで帰ってきた。それでも夢は断ち難く、地元T高校のブラスバンド部の音楽監督として手伝い、高校ジャズバンドとして日本一に何度も輝いたという。素晴らしいことだ。
O君いまどうしているだろう。….いつもぶっきらぼうのマイルス、彼の素晴らしい音楽の縁がぼくの心にスマイルをくれた。Miles Smiles…マイルスに乾杯だ。
9/ 2nd, 2010 | Author: Ken |
Giant Steps…..此の1枚。
もう半世紀近くも過ぎてしまったとは自分でも信じられない。まだ振り絞るサウンドと限界に挑戦するトレーンの姿が目に浮かぶ。ジョン・コルトレーンの「Giant Steps」。LPに針を下ろした。スニーカーを投げ飛ばすほど素晴らしい。音が切れ目なく高速で織り紡がれるシーツ・オブ・サウンドに飲み込まれてしまったのだ。まさに偉大なる一歩、ジャイアント・ステップスだ。
特に「Mr.P.C.」の目紛しいインプロヴィゼーションに興奮した。PC(パソコンじゃないよ)とはコルトレーンの盟友ベーシスト、ポール・チェンバースのことだ。彼の大胆で強力、太い響きが僕の心臓の鼓動と重なりより興奮が嵩まっていく…。その兆しは「ブルー・トレーン」「ソウル・トレーン」にあった。超スピードで展開するロシアン・ララバイなんて!そりゃあ…。
そしてトレーンのひた向きな音楽姿勢に深く魅了されていった。トレーンは模索し続け、モード、インド音楽、フリージャズへと荒修行僧のように己を高め、憑かれたように疾走した。そして「神」と出会ったのか「至上の愛」を発表。ぼくは戸惑った。むしろ「神」を否定してほしかったのだ。60年代は革命の時代だ。革命は暴力を伴い、旧体制を焼き尽くし、既成概念からの脱却こそ今の世界意識だと(若かったのですね。お恥ずかしい)。だがトレーンの抽象的革新への挑戦は留まるところを知らない。
ドルフィーとの「インプレッションズ」「アセンション」「メディテーション」そして「エクスプレッション」へと…。1966年だった。トレーンが来日したのだ。無理をしてフェスティバルホールのかぶりつきを手に入れた。激しく、烈しく、劇しく、壮絶な音の洪水、サウンドの奔流。ソロが終わると打楽器で休む暇無く複合リズムを創り出して行く。迸る汗と真摯すぎる熱の全力疾走なのだ。これがトレーンの世界だ!。濃密過ぎるサウンドの渦に溺れながらぼくは感じた。彼は「死」を意識しているんだ。
だから「神」に近づき、修行僧となり、己を燃焼し尽くしたいのだ。いくら演奏しても限りがないのだ。「生と死」の凄絶なまでのプレイなのだ。…..トレーン帰国後、彼の訃報を知った。ああ、だからあそこまで….。幸せに満ちて神の園へ昇天できたのだろう。
●来日メンバー:ジョン・コルトーレーン(ts・ss)、ファラオ・サンダース(ts)、アリス・コルトレーン(p)、ジミー・ギャリソン(b)、ラッシッド・アリ(ds)
8/ 28th, 2010 | Author: Ken |
WE INSIST! 我々は主張する!….此の1枚。
60年代の前半だった。パックス・アメリカーナに陰りが見え始め、ケネディ暗殺、ヴェトナム戦争、公民権運動….そしてモダンジャズが最高にクールな時代だった。「WE INSIST!」我々は主張する。
http://www.youtube.com/watch?v=Un9EOjbUWVA&feature=related
マックス・ローチのLPを手に取った時、その写真に一触即発のヒリヒリするようなスリリングな空気を感じた。振り返る黒人たちの向こうにボウタイをつけたバーテンダーの冷たい視線がある。マックス・ローチは黒人運動の闘士であった。それだけにLPの中身が濃く壮絶なのだ。時代は冷戦の真只中、アフリカに次々と植民地から民族独立のイデオロギーが芽生え内戦が多発した。その黒人たちの自由への世界がテーマなのだが、とにかくにも音楽の過激性に驚愕したのだ。
… 今から思えば若いということは暴力的過激さを好む。ゲバルトという言葉が現れる少し前だったか。
そして「WE INSIST!」を引っ提げてマックス・ローチが来日したのだ。コンサートでは圧倒された。アビ・リンカーンが質素な(ブルーシャンブレーだったと思う)ドレスで歌う。悲鳴、絶叫、凄まじい叫喚にローチの爆発するドラミング。レコードとライブとはこんなにも違うものか!打ちのめされた。 http://www.youtube.com/watch?v=85M7LTbCl-0&feature=related
この「祈り」「抵抗」「安寧」のドラマをYOU TUBEでぜひ見て欲しい。ショッキングで限りなく静謐で美しい。マックス・ローチはバップを作った巨人の一人だ。ブラウニーやロリンズとの素晴らしいとしか言いようの無い名盤が数多くある。知的で正確無比のドラミング、リズム楽器が歌うのだ。あのクールな彼が、ローチが…..。熱い日々、熱いジャズ、音楽に主張があった熱い時代。高校生のぼくには刺激が強過ぎた。当然として益々ジャズにのめり込んでいった。そして4大ドラマー世紀の対決、ドラム合戦にもローチが来たのだ。これは別の機会に。
”We Insist!” Tears For Johannesberg / Driverman Triptych / All Africa / Freedom Day
Max Roach (ds) Booker Little (tp) Coleman Hawkins (ts) Abbey Lincoln (vo) Michael Olatunji (conga) other 1960