5/ 29th, 2010 | Author: Ken |
Yes, Sir ! Aye, Sir ! … 兵士になるということ。
「ONE SHOT ONE KILL・兵士になるということ」映画を見た。海兵隊の新兵の12週間にわたる訓練ドキュメンタリーなのだが、いままでに「フルメタル・ジャケット」「ハートブレイク・リッジ」「GIジェーン」とかたくさんのアメリカ製戦争映画を見て来たので、いまさらブーツキャンプ映画を見てもああこんなものかと。
ドキュメンタリーでありのままを淡々と描き、判断するのは観客だ。と言われても正直に映画は退屈だった。入隊、軍曹が怒鳴りまくり48時間眠らさない(旧日本軍では娑婆っ気を抜くとビンタ)、マーシャル・アート(昔ベニー・ユキーデという格闘家がいたね)。ライフル射撃、演習風景が延々と続く…。マイノリティやカラードの貧しい階層の若者が軍隊をステップとして上昇したい、自分を試したい。そんな普通の若者を「戦争機械」として作り上げる軍隊という機構、彼らは次により専門的訓練を受け、ジャーヘッドでレザーネックの殺しのプロフェッショナルとして海外の戦場に行く。そして殺し殺され傷を負い悲劇が連鎖していく。この映画に出演していた若者もいま沖縄やイラク、アフガンにいるのだろうか。死んだ者もいるのだろうか。
…私が子どもの頃には戦争から帰った大人がまわりにいっぱいいた。戦争の自慢話、虐殺の話、内務班の陰惨な虐め(野間宏の「真空地帯」、五味川純平の「人間の条件」に克明に描かれている)ビンタやバッターでぶん殴られた話。飢餓の話、ラーゲリの話…。それがどこにでもいる普通のオジさんたちであった。
「御国のために」「天皇のために」「国防」「平和と正義のために」…..。美しい言葉と同時に「人間は自分の属する社会や組織に対する忠誠のために喜んで人を殺すのだ」。裏でそれを平然と命令し煽り立てる人間がいる。「最近の若者はだらしない。軍隊に入れて鍛えればいい」こんな発言をする爺さんや企業家がいる。地獄の特訓だとさ。その若者は君の息子じゃないか!
「愛国とは悪人の最後の逃げどころ」とは真実を突いている。… 国体護持という名目のためにどれだけ多くの兵士と市民が死んだのだろうか。国体とは何なのだ?兵士と市民の死を犠牲にして権力を謳歌し、武器で儲け、戦争で儲け、自分とまわりだけの幸せを願う。勝手なものだ人間は。
●ONE SHOT ONE KILL…兵士になるということ...藤本幸久/監督、製作・著作/森の映画社
●「兵士に聞け」「兵士を見よ」「兵士を追え」杉山隆男 小学館文庫:自衛隊の兵士の立場から見、密着したノンフィクション。
5/ 27th, 2010 | Author: Ken |
空を見ろ!鳥だ!飛行機だ!
弾丸よりも早く、力は機関車よりも強く、高いビルディングもひとっ飛び。彼は1938年に生まれた。彼はスーパーヒーローのアダムである。彼がいなければ後の世界も随分と変わっていただろう。’88年にはTIME誌が「スパーマンお誕生日おめでとう」のイッシューを組んだ。
さて、ここに登場するのは3歳の頃からスーパーヒーローに憧れ、描き続けて来た画家アレックス・ロスだ。こんな本を見つけると嬉しくなって見境もなくいっぱい買い込んでしまう。おかげで重いバッグを引きずり超過料金を取られるところだった。
ページを捲るごとにデッサン、コンテ、ドラマ、エナジーが飛び出してくるのだ。「カッコいいー!」その画力に圧倒され、ダイナミズムに参ってしまうのだ。画家は技術、制作過程、その全てを曝け出している。
「こうやって描いているんだよ。…真似できるならやってみな!」と。….本物のプロフェッショナルだ。世に言う芸術などという青ざめた抽象論なんか糞食らえだ。
リキテンシュタインやウォホールが超高価で取引されるのを見ると芸術って何だ?…..確かにポップアートという概念を打ち立てたことは凄いと思う。でも正直にぼくには分からない。街中至る所にある愚劣な彫刻やオブジェと称するもの。あれ高いんだろーなー。下らねーなー。奇妙なポーズをした裸のブロンズ女性がいっぱいいるね。あれってセクハラじゃないの?また巨大なウンコにしか見えないものが芸術だってサ。それよりCPUの微細な基盤や世界同時に繋がっているネットの複雑さ、カミオカンデやスペースシャトルの打ち上げを見る方が、世の芸術なぞとホザクものより、比べるべくもなく圧倒的に美しく人間の叡智を見るけどね。….閑話休題、彼のアトリエの写真を見ると、何と!マダム・タッソー蝋人形のスーパーマンがいるではないか!うーん、こまでやるか!
アレックス・ロス、非常なる非凡なる偉大なる才人である。
●「MYTHOLOGY」ALEX ROSS pantheon Books. New York 2003
5/ 24th, 2010 | Author: Ken |
こんな話、あんな話。
いやー、楽しいの何のって。さるメーリングリスト上で「6本脚」のニワトリが話題になっている。こんな面白い話題は久々だ。
ぼくだって黙っていられない。血が騒ぐのですよ。河童の木乃伊、鬼の爪、人魚の木乃伊、肉付の面、火星の人面岩……。あるわあるわ、海外ではロンギヌスの槍、ユニコーン、聖遺物、もちろん失われたアークも、雪男の頭皮やネッシー、アダムスキーの宇宙船、もうたまりませんね。…こんなニワトリはやはりキメラ(Chimera)なんでしょうね。
たかが6本脚が何だ!ぼくは14脚のニワトリを飼っているんだ。これで驚かないのだったら千手観音ならぬ千脚鶏も知っているのだ。どうやって歩くの?なーにナチスの行進ね。あれ「アヒル足行進」って言うし、中国や北朝鮮の軍事パレードをYou Tubeで見て、凄いシンクロしていて、CGじゃないの?って思ってしまう。この鶏は右、左って見事にシンクロして歩くんだ。そういえば太閤秀吉は指が1本多かったというし、ルドルフ二世は不思議物のコレクターであったし、シーザーは馬の蹄がもう一つ横についている馬を珍重した。…..お遊びで言うのはいいけれど、信じる人もいるから気をつけたいものだ。
しかしだ、このバイオテクノロジーの時代には、急速に成長する肉豚、クローン、豚に人間の臓器を作らせたり、気味の悪い話が現実になりつつある。脚がたくさんある鶏ならもも肉の生産性が上がるしね。いっそのことips細胞から脚だけの鶏を作ったりして。だから本当のような気がして来て「一種のカルト」みたいなものにハマるのですね。あのシャーロック・ホームズの原作者コナン・ドイルだって妖精写真や降霊術を信じていた。ぼくは疑似科学には笑ってしまうから好きなんだ、何が動物磁気だ!ホメオパシーだ!
奇術師のジェームス・ランディは「科学的に実証できる超能力を持つ者に、100万ドルを進呈する」と、超能力者の挑戦を募っている。いまだに誰も挑戦していないから、ヒーラーたちどんどん挑戦すればいいのに。100万ドルだよ!
…ぼくの多脚鳥はフォトショップというお店で買ったんだ。そうそう「秘密の動物史」って本知ってる?これは素敵だよ。脚のある蛇のX線写真や、頭に鹿の角をつけた兎や不思議な動物がいっぱい。
5/ 23rd, 2010 | Author: Ken |
アルカディアを求めて。
最近知り合ったユニークな方に著書を頂いた。「イギリス的風景」…教養の旅から感性の旅へ…中島俊郎:NTT出版。これが実に興味をかき立てる。
イギリス的風景とは人工的な幾何学形から非対称、矩り蛇行し、非整形の美である。これはイングリシュ・ガーデンとして今も人気である。この美はどこから醸成されたものか。これは絵画と風景の合一であるピクチャレスクから始まった。また自然美に、ただ綺麗であるだけではなく、そこには荘厳、崇高、雄大、優美といった従来と違った美を見つける感性誕生の物語でもある。
そして18世紀の英国貴族たちがヨーロッパ文明の源流と理想の地・アルカディアを求めてローマに旅するグランド・ツアーの話…。歩くという行為から詩想を求め英国の牧歌的田園を行くペデストリアン、ワーズワス、コウルリッジ、キーツ、スティヴンソン…。
それはロマン派詩人たちに詠われ、廃墟の美学へと発展する。その点、日本人には彼らにはない美を早くから発見していた。水墨画による蛾々たる山容や老松、名も無き一輪の花に見る「もののあはれ」、そして「侘び寂び」。12世紀には歌人西行、17世紀には俳人芭蕉と、短い詩の中に鋭い感性とともに風景、人生、内面、哲学までを詠み込んだ優れた作品を残した。精神としての美である。
幕末・明治に来訪したイギリス人が日本に絵のようなピクチャレスクとアルカディアを見つけたのもうなずける。もう日本人は歩かなくなったし、全国の国道沿いは醜悪さの博覧会である。
著者は「歩く」ということにこだわりを持ち、その研究も面白い。日本人はつい近代まで移動手段は歩くことだった。お伊勢参り、お遍路、物見遊山、膝栗毛、股旅である。そういえば、数百万年ほど前アフリカに二足直立歩行する猿人が現れた。とんでもない好奇心と雑食性を持ち、10万年ほど前にスエズを越え、世界中に散らばっていった。1万年程前には凍てついたベーリング海峡を渡り、ロッキー山脈、パナマの狭隘部を歩き、アンデス山脈、最後に南端フェゴ島までたどり着いた。われわれのご先祖は歩く人だったのだ。
偉大な思想、発想、詩作、作曲は散策から生まれるという。ヴェートーヴェンの田園だね。
…ぼくも明日から早朝歩きでもするか。
5/ 20th, 2010 | Author: Ken |
予言
オルダス・ハクスリーの「素晴らしき新世界」1932年とジョージ・オーエル「1984」1949年を読み直してみた。両方とも近未来のSF小説なのだが、「素晴らしき新世界」はまるで現代のバイオテクノロジーを見るようだ。当時、核酸にはDNAとRNAの2種類あることは発見されていたが、DNAが遺伝物質であることが確認されたのが1952年、そして1953年、J・ワトソンとF・クリックが二重らせん構造を明らかにした。1996年にはヒツジのクローン、ドリーが誕生した。
小説では人間は受精卵の段階から培養ビンの中で製造・選別され、α、β、γ、δ、εと階級ごとに知能も容貌も体格も違う。まるで遺伝子操作によるデザイナー・ベイビーのようだ。彼らは睡眠時教育で自分の階級、社会に全く疑問を持たないように教育され、人々は個々の生活に完全に満足している。落ち込んだときはブロザックのような「ソーマ」と呼ばれる薬でハイになれるし、人々は常に安定した精神状態であるため、社会は完全に秩序を保っているている。「すばらしい世界」は「愚者の楽園」である。そのなかでβでありながら蛮人保存地区で生まれ育つたジョンは文明社会に行き、挫折し自殺する….。 現にいまぼくたちが食べている肉も野菜も遺伝子による選別がなされている。ES細胞、iPS細胞の研究も進んでいる。遺伝子の螺旋階段を登るのように「すばらしい新世界」を目指してきた人間、その「天国への階段」の先にはどんな未来が待っているのだろうか?
「1984」は偉大な兄弟・ビッグ・ブラザーのもと、見ざる、聞かざる、言わざるの安定した社会である。「偉大な兄弟」は国民が敬愛すべき対象であり、到る所に「偉大な兄弟があなたを見守っている」(BIG BROTHER IS WATCHING YOU) というスローガンともに彼の写真が張られている。国民は毎日、テレスクリーンにより監視下に置かれ、私的生活は存在しなくなっている。それに疑問を持つ事は許されないのだ。
戦争は平和である (War is Peace) 自由は屈従である (Freedom is Slavery) 無知は力である (Ignorance is Strength)と。
まるで現代のマスコミとインターネット社会を彷彿させる。知らなきゃ幸せなんだよ。ほらケータイとゲームで遊びなさい。でも毎日、知らないうちに監視カメラに写され、高速道路でも、免許証、保険証、パスポート、ドメイン、GPS、他にもいっぱいいっぱい、個人情報なんて集めようと思えば幾らでも…。それにしても優れたイマジネーションは未来を予言する。
行く末はユートピアか、それとも反ユートピアか?
●「すばらしい新世界」オルダス・ハックスリー、 松村 達雄 訳:講談社文庫
●「1984年」ジョージ・オーウェル、新庄 哲夫 訳:ハヤカワ文庫
●「未来世紀ブラジル」1985 監督・脚本テリー・ギリアム(あのモンティパイソンのメンバー)。1984やカフカが下敷きにある。
音楽:マイケル・ケイメン、Bachianos Brazil Samba。これを書いていると「神戸祭」でオフィスのまわりが無茶苦茶うるさく騒がしい。何がサンバだ。
….率直には喜べない。祭りとは民族の、民衆の、庶民の、人間の、畏怖の、喜びの、土着の、長い時間から生 まれたアニミズムみたいなものが「心」だろう。無理に行政とその取り巻きが作り上げた祭りとは…。
5/ 16th, 2010 | Author: Ken |
Reloading or Format…初期化したい。
宿酔いである。頭が重い。できれば脳を氷水でチャポチャポ洗いたい気分だ。それとも強力なウィルスバスターでバグやスパムを消せばスッキリするだろーなー。と、集中できない自分を呪っている。そうだ!新しいOSに入れ替えよう! ン、アプリケーションもついでにバージョンアップだ!
こんなことを考えるだけでいかに機能が低下しているかが分かる。昨夜だってバージョンアップするためにアルコールで洗浄したのに…。
後悔と無力感と自虐と情けない自分を嘲笑する。まあ少しは…無理もないか!と自己憐憫もある。
これが甘い!もっと厳しく行かんかい!何年生きとんのじゃー!学ばん奴は大成せんぞー!…分かってまんがな。怒らんといて。しかし、DNAのOSはしょうがないとして初期化したら別人になれるのだろうか? 誰でも別人になって違う人生を夢見るじゃないか。
超人になりたいと思っているじゃないか。だから仮面ライダーみたいに変身!…その点女性はいいね。ヘヤーを変えたり化粧(化けて装う)したり、高価な宝石つけたり新しいドレスを着たり(日本女性のファッション係数がGDPに占める割合は世界一じゃないか?)…。
その点男はつらいよ。超人願望ね、ツアラトゥストラはかく語った。「大いなる正午だ!永劫回帰だ!」…スミマセン、大いなる午前様で永劫に学ばなくて。「悠々たるかな宇宙、遼々たるや歴史、おおホレーショよこの天地の間にはおまえのおよびもつかぬことが数多くあるのだ!」人生不可解なり。お酒を飲めば大なる悲観は、大なる楽観に変わるのですね。さて、今夜はどこに行こうかな。
5/ 13th, 2010 | Author: Ken |
あの娘はルイジアナママ
ジャズのルーツを訪ねたくてニューオリンズに行った。といえば聞こえはいいが、いや単なる観光気分さ。ハリケーン・カトリーナのずーっとずーっと前のことだ。N.Y.からのフライトで隣は典型的レッドネックのビジネスマンだ。やたらとジョークまじりで話しかけてくるんだが、こちとら英語は不調法なものでね。早速アイオープナーだといって、ブラディメアリーを奢ってくれる。で、こちらも奢り返す。差しつ差されつ何杯飲んだかね。でふらふらになって到着した。オッサンは「じゃまたな!シーユー・レター・アリゲーター」なんてセリフで去っていった。気のいい南部人だ。
ニューオリンズだ。冬だというのに蒸し暑い。「朝日のあたる家」がかってあったのだ。「欲望」という名の市電が走っているのだ。茶濁したミシシッピーにスチームボート、ジャズ発祥の地だ。何だかんだで老若男女の大観光地なんですね。生牡蠣、蟹、ロブスター、ポーボーイ、ジャンバラヤ…ケイジャン料理は美味しいし、街角にはギター弾きがブルーズを。ン、これがミシシッピー・デルタ・ブルーズか!少年のタップダンス、デキシーランドだね。
そりゃみんな浮かれますよ。夜ともなればフレンチ・クオーターへ。まあ、ストリップと観光ジャズ、土産物屋の大賑わい。うーん、こんなはずじゃなかった。ぼくは真面目にブルーズをトラディショナル・ジャズを聞きたかったのに…。まあ来た以上プレザベーション・ホールに行こ!ここは何と本当の土間なんだ。そこに座り込んで今夜は「スイート・エマ・バレット」。クリオールの女性で若い頃は可愛かったんだろーな。大婆さんだが膝に鈴をつけて弾き語り。ウーン、ビリー・ホリデイのルーツはここにあるか!ブルーズは泣き笑い。明るく楽しいのにブルーで悲しい。ジェリーロル・モートンを彷彿させる酒場のトラディショナル・ジャズだ。歴史だね。
彼女を聞けたのはラッキーだった。遠い昔のスイート・エマという「ルイジアナママ」に会ったのだ。
何と!You TubeにSweet Emmaがあるじゃないか!
http://www.youtube.com/watch?v=xhtG5YrQ-lY
http://www.youtube.com/watch?v=V41xvvRJk3o&a=roZdL9IrLEw&playnext_from=ML
5/ 12th, 2010 | Author: Ken |
時よ急ぐなかれ
月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也 …… 最近一年が速いと思いませんか? 歳を負う毎に短く感じられて仕方がありま
せん。一週間が、一ヶ月が、一年が…。去年のいま、仕事をした指先の感触がまだ残っているのに、もう同じ季節と日にちです。
物理的時間経過が速くなったわけじゃなし、心理的時間が速く感じられるからでしょう。じゃ、どうして速く感じるのでしょうか?
時代が忙しいから … 地球は狭く便利になり、インターネットによる瞬時に情報が飛び交うことにより仕事や生活リズムの高速化。
情報が多い … やることが多過ぎるからか?嫌な仕事や暇を持て余すと時間は長い、集中している時や興味にひたる時は時間を忘れている。原始時代は時間がゆっくり流れていたのでしょうか?….子どもの頃は、もう幾つ寝ると…いや、遊びに時間を忘れていた。
サーカディアンリズムの変調 … 体内時計と日常生活とのズレ、夜型、24時間営業の都会による時差ボケ?人間の時間、ネズミの時間。
残された時間への焦り … 子どもは未来が広く長い。折り返し点を過ぎ加齢するほど未来は狭まる。その焦燥感で時間が短く感じる。
加齢による新陳代謝の低下 … 人間・生物は開放系の散逸構造でエントロピーを減少させて個体を維持している。エントロピーが増大するのが宇宙であり世界であるのだから生物とはエントロピーの法則に反している。加齢により新陳代謝が弱まりエントロピーが増大するからか?身体的能力が低下して動作が遅く、前にはすぐ出来たのにと心理的時間が速く、一時間が一日がまだ先だと感じるためか?
ところが脳内の記憶、経験、情報量、思考、統合、技術、洗練といったものは加齢とともに強化され、昨日よりも賢く上手く緻密になっている。熱力学ではないが、たとえて言えば脳内秩序、エントロピーの減少であろう。
まあ、認知症になれば脳は無秩序?いやシンプルになる?最終的には原子に還るのだから無秩序、つまり死であるわけだ。
…アヴォガドロ定数でぼくの炭素の数を調べたってぼくじゃないしね。千の風になるより地球大気1立法メートルに2個くらいじゃないかな。
…閑話休題、脳内の情報が加齢とともに増えるから意識下で忙しく脳が活動しているのだろう。だから時間を忘れ、時が過ぎるのが速いのだ。と自分で納得しているが、下手の考え休むに似たりというし、お酒を飲めば支離滅裂のエントロピー増大だし、何とかしてほしいのだが、その間にも光陰矢の如しだ。
5/ 8th, 2010 | Author: Ken |
現実の砂漠へようこそ
Welcome to the Desert of the Real 「現実の砂漠へようこそ」。これは映画マトリックス(1999)でモーフィアスがネオに言う台詞だ。決して現実から逃避するのではないが、この索漠とした現実よりインターネットやゲームのほうがリアルなのかも知れない。
現実という客観的時間、私の意思で判断する主観的時間、それらが一体となりコード化され映像化した情報を見るという行為により現実化するのだ。いま世界で様々な出来事が起っている。君はすべてを自分の眼で見、体感したか。光速で飛ぶ情報を見ながら、これは現実であると錯覚しているのではないだろうか。夢は醒めなければ現実である。現にいま見ているという実感も自分の脳内に作り出した幻影である。またヴァーチャル・リアリティという言葉は「想像された現実」というイメージが強いが、「これまで現実と言われたものとは異なる、事実上の現実」なのである。常に変わらず何物とも関係を持たないニュートンの絶対的時間・空間は相対論と量子論によって否定された。….本当の客観性とはあるのだろうか?また持てるのだろうか?
…映画、TV、ゲームも3Dの波が押し寄せている。これから加速するネットとヴァーチャル・リアリティの時代に、ぼくはどんな座標を持たなければならないのだろう。….恐ろしいことだが、近未来に人間の脳にチップを埋め込みコンピュータと連動し、世界中のクラウドと一体になるのだろうか? その時、自分とは何なのだろうか?….たぶん人間は何でもやってきたのだから。
⚫️THE MATRIX 監督:ウォシャウスキー兄弟 出演:キアヌ・リーブス、ローレンス・フィシュバーン、キャリー=アン・モス
⚫️「悪の知性」ジャン・ボードリヤール 塚原史+久保昭博 訳/NTT出版:「現実の砂漠にようこそ」と現代の情報社会を悪の知性として逆説的に語るのだが、どうってことない内容を思想・哲学書は、わざと造語や難解な文章で小難しくしているのではないか。
本人がよく理解できていないから理解できない文章になるのだろう。哲学者の書く科学は科学用語乱用と勝手な解釈が多いですね。
5/ 5th, 2010 | Author: Ken |
変奇と気まぐれ
げに泉のごとも涸れはてん、ひと息ごとに毒を吸ひ ひと花ごとに死を嗅がむ、美はしきもの見し人は げに泉のごとも涸れはてん
アウグスト・フォン・プラーテン・生田春月訳
ビザーロ(変奇)、カプリッチョ(快い面白さ)、ヴィルトウオジタ(技巧)、フィギューラ・セルペンティナータ(蛇状曲線様式)、グラツイア(優美)…..。見えるものは本物の幻影にしか過ぎぬ。自然(ナトウーラ)が本物の実在であるなら、じゃ鏡は何だ。
また絵画も写真も実在を写すが、そこはキャンバスやフィルム、データ上の虚像である。マニエリスム美術の面白さは洗練が行き着くところの虚像の楽しみである。不安な時代の精神の反映か、人眼をあざむく歪んだ空間、幻想的寓意、極度の技巧性(マニエラ)と作為、引き延ばされ蛇行する非現実的身体…。画家の「首の長いマドンナ」を見よ。これぞ技巧の頂点、この上もなく美しい。
マニエリスム美術が誘う世界は、「嘘をつく似姿からほんとうの感情を汲む」と言った詩人の言葉に尽きるのではないだろうか。上のパルミジャニーロ「凸面鏡の自画像」凸面鏡に映った姿を凸面の半球に描き、歪曲した空間に巨大な手がある。いまなら魚眼レンズやフォトショップのフィルタで簡単につくれるが….。これは画家が21歳の頃の作といわれるが、己を見る顔は美しい少年の面影である。わたしの大好きな絵である。本物は見た事はないが、大塚美術館でレプリカの凸面の立体画を見た。本物の持つ感動は無理だが見とれてしまった。
…画家は非常な美形であったと伝わるが、錬金術に傾倒した晩年は別人と思われるほど老廃した姿を映し出している。
晩年といってもまだ37歳だった。ビザーロとカプリッチョ、3D時代にわたしたちは何を見るのだろうか。