6/ 8th, 2017 | Author: Ken |
Roland Kirk
3/ 7th, 2017 | Author: Ken |
初歩だよ。
朝より図書館で調べものをしていた。疲れてきたので背伸びをし、軽く散策し庭を眺めて眼を休めた。さてと。あっ眼鏡がない!慌ててポケットを探りバッグも開き、テーブルを見回した。ない!どこに置き忘れたんだ?これじゃ図書館にいても・・・そのとき眼光鋭い長身の男が話しかけてきた。「日本の方ですね。武術をおやりになる。絵の研究と修行に来ている。そして眼鏡を探している」「なぜ分るんですか?」「まず日本語訛、母指球で立ち軽いガニ股は蹲踞の姿勢だ。武術の基本だ。袖口に絵の具のシミとテレピン油の匂いがする。そして開いているのは美術書だ」「なーんだ、簡単なことだ」「ところで眼鏡を探していたのでは?」「そうです。弱りました」「君の額の上にあるのは何だね?」「アッ!」。「Elementary・初歩だよ」。それ以来親しくなり、彼の下宿をときどき訪問した」。・・・ヴァイオリンに秀で、壁に弾痕でVRのサインがあった。大家のハドソン夫人も大変だろう・・・。
3/ 4th, 2017 | Author: Ken |
MJQとBACH
Modern Jazz Quartet
ヰタ・ムジクアリス:バッハとジャズ。Modern Jazz Quartet ジョン・ルイス(p)、ミルト・ジャクソン(vib)、パーシー・ヒース(b)、コニー・ケイ(ds)、…..いまはもう誰もいない。50~60年代当時ファンキー、アーシー、ソウル、ハードバップ全盛期に、まるでクラシックの弦楽四重奏のような繊細でクリスタルの響きを聞かせてくれた。ベルサイユ、フォンテッサ、コンコルド、黄昏のヴェニスなど題名までヨーロッパそのものだし、集合即興演奏などバロックとジャズの融合だった。優雅で、デリケートな叙情があり、まさに「風雅の技法」である。華やかで新鮮で美しいメロディー。知的な大人のジャズであった。CONCORDにおける「朝日のごとくさわやかに」…M・ジャクソンのヴィブラフォーンが何とも素敵なイントロを奏でるのだが、最初は知らなかった。後にバッハの「音楽の捧げもの」を聞いていたら、アレッ、これって2つのヴァイオリンによる同度のカノンじゃないか!MJQが何ともお洒落に取り入れていたもんだ!と。(1747年、老バッハがフリードリヒ大王の宮廷を訪ねた際、ハ短調テーマを大王より与えられた。バッハはその場で即興演奏を行ったが、後に作品に仕上げ献呈した。それが音楽の捧げものである)。…..MJQ初来日当時は、アート・ブレイキーの熱く激しいファンキーさに酔っていた。特にM・ジャクソンはハードバッパーとの競演が多かったし「プレンティ・プレンティ・ソウル」というブルージーなレコードもあった。ところがMJQでは押さえた演奏で、かえって際立つのだ。確かにバロックとジャズはポリフォニー音楽だし、即興演奏なども似ている。…それからダブル・シックス・オブ・パリス(6人編成のスキャットによる合唱、後にスィングル・シンガーズ)、ジャック・ルーシェも盛んにバロックジャズを演っていた。…..バッハ「音楽の捧げもの」トリオ・ソナタ、一晩中でも漂っていたい音楽だ。大王のテーマがフルートで現れるところなんて……。MJQ、メンバーはみんな逝った。だが、その音はいまも耳に残っている。
2/ 24th, 2017 | Author: Ken |
?????
2/ 16th, 2017 | Author: Ken |
画狂人、北斎。
北斎神奈川沖浪裏
「すみだ北斎美術館」に行った。北斎のほとんどは版画だから美術館の人ごみで見るより高品質の画集で間近に見る方がいい。何と言っても、遠近法を駆使したそのレイアウトに唖然としてしまう。西欧ではルネサンス頃に始まった遠近法。日本人も知らなかった訳じゃないと思う。しかし、それが取り入れられたのは1740年頃の奥村政信による「芝居狂言浮絵根元」の舞台絵だ。それから北斎に至って極端なまでも遠近法が用いられた。「神奈川沖浪裏」は超ディープフォーカスの広角レンズみたいだ。そして遠くの富岳と手前の波の三角の相似形の極端な比較。また円や半円との対比。北斎はレイアウトを計算し尽くしているデザイナーだ。そして、北斎漫画に於けるデッサンの確かさ!あくまで人間を見据えたユーモアと筆力、90歳で死を間近に「天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得べし」と語ったとか。まさに画狂人、いやイラストレーターの至高である。世界でもこんな人ちょっといない!ゴヤも晩年に(1746〜1828)Aún aprendo「俺はまだ学ぶぞ!」と。ミケランジェロも(1475〜1564)Ancora imparo 「私はまだ学んでいる」と。北斎(1760〜1849)も「あと10年、いや5年!」と。ぼくも痛切にそうありたい!
2/ 15th, 2017 | Author: Ken |
「沈黙」: Silence
Silence : 主よ、あなたのお顔を考えました。・・・その最も美しいものを。・・・最も聖らかなものと信じたもの・・・その時、踏むがいいと銅板のあの人は司祭にむかって言った。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前に踏まれるために、この世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。「沈黙」遠藤周作(1966)
映画「沈黙」マーチン・スコセッシ監督(2016)を見た。その記憶が薄れないその日のうちに何十年ぶりに「沈黙」篠田正浩(1971)も見た。もちろん原作も読み直した。両作とも原作に忠実だし、同じシナリオかと思うほどだ。さて、出来は?正直に篠田作品の方が良かったですね。まず、俳優の重みが違う。セットに時代感がある。武満徹の緊張感ある音楽、宮川一夫のカメラ映像美、鶏が時を告げ、司祭が手枷をかけられ石段を歩む姿はゴルゴダへの路か。スコセッシ版はすだく虫の音が記憶に残った。私のような不信の徒にとって、神、信仰、天国などはわからない。しかし、長崎の地で400年に渡って隠れ切支丹に歌い継がれるオラショ(祈り)がある。映画にもあるように日本的に変容されてはいるが・・・。信仰とは何なんだろうか。
慶長十年(1605)に天正少年使節団が持ち帰った印刷機で「サカラメンタ提要」という典礼書が出版された。グレゴリオ聖歌の旋律が記されている。それが長崎・生月島の隠れキリシタンによって「オラショ(祈り)」として歌い継がれている。変貌と激しい訛のなかにラテン語の原型やグレゴリオ聖歌の旋律が姿を止めている。皆川達夫さんの本、TVでも見た事がある。レコードで聞く事が出来ます。時を越えて・・・。
2/ 15th, 2017 | Author: Ken |
Love, your spell is everywhere……Gloria Swanson
カーチス・フラーの名盤「Blues-ette」(1959)、針を降ろした瞬間、ユニゾンで響くFivespot after darkのサウンドに引き込まれた思い出がある。そしてLove, your spell is everywhereも美しい。1929年の映画”The Trespasser ・トレスパッサー”のためにEdmund Goulding 作曲、Elsie Janis 作詞、主演のグロリア・スワンソンが歌っている。
さっそくyoutubeで探してみた。・・・やはり時代というか、そんなもんかですね。そして、あの名作「サンセット大通り」監督ビリー・ワイルダー(1950)を何度目になるだろうかまた見直した。よく出来ていますね。過去の栄光の妄想に正気を失った大スター。殺人を犯し、群がる報道陣とフラッシュ、傲然と艶然と階段を降りる・・・シュトロハイムがアクション!と。同年作の「イヴの総て」のベティ・デイヴィスもなかなかだが、彼女の「何がジェーンに起こったか」の狂気度も凄かった。・・・時代を風靡した銀幕のビッグスターが老醜と狂気を演じる。だからこそよけいに凄みが・・・。
2/ 15th, 2017 | Author: Ken |
Choco bord
ヴァレンタイン・デーですね。この日は、こんなキーボードを使ってネ。いや、チョコボードとチョコマウスだ。使っているとネバネバするので、ときどき指をしゃぶると苦みと甘味が・・・。困ったな、食べてしまったら仕事ができないし・・・。
1/ 21st, 2017 | Author: Ken |
MILES AHEAD
MILES AHEAD : 空白の5年間という売り文句に行ってはみたが、コカインでラリった一日の幻覚ってとこか。銃はぶっ放すはカーチェイスはあるは、安っぽいことこの上ない。おまけにH.ハンコックやB.エヴァンスももうちょっと雰囲気のあるのがいなかったのか。まあ、興味を持てたのがG.エヴァンスとのシーンぐらいかな。一言でいえば「チープ!」確かに76~81年はマイルスは一切活動していない。復帰した頃にライブに行った。大阪・扇町公園プールを干した舞台だ。脚を引き摺りながら弱々し演奏。そのショボイ音を聴きながら「嗚呼、ジャズは終わった」と痛切に感じた。それ以来、ライブに行くのもレーコードを買うのも止めた。昔、スィングジャーナルや自伝なんかでマイルスを勉強したものだ。空白の時代は健康不調、コカイン、セックス、酒で、とても音楽活動や更年期障害で創作意欲も枯渇していたのだろう。あの時代を画するジャズを牽引してきた帝王がだ。ビッチェズ・ブリューの鮮烈さ!複合リズムとエレクトリック・サウンドに興奮したものだ。
1/ 6th, 2017 | Author: Ken |