1/ 26th, 2010 | Author: Ken |
ガリレオの指
ガリレオの指は何を指しているのか。「この指の遺物を軽んじてはならない。この右手が天空の軌道を調べ、それまでに見えなかった天体を人々に対して明らかにした。もろいガラスのかけらを作る事で、太古の昔に若き巨人の力を持ってしても出来なかった偉業を大胆にも初めてしてのけたのだ。巨人たちは天の高みへ登ろうと山々を高く積み上げたものの、空しく終わっていたのである」。
1737年にガリレオの亡骸がフィレンツエのサンタ・クローチェ教会へ移された際切り取られ、現フィレンツエ博物館にある。
「ガリレオの指」― 現代科学を動かす10大理論 ピーター アトキンス 斉藤 隆央 早川書房
現代科学が到達した高みから、人類が築いてきた知識を明快に解説する啓蒙書だ。非常に分かりやすくページを繰るたびに知的感動を呼び起こす素晴らしい本だ。
まずプロローグ「知識の登場」1.進化― 複雑さの出現 2.DNA― 生物学の合理化 3.エネルギー― 収支勘定の通貨 4.エントロピー ― 変化の原動力 5.原子― 物質の還元 6.対称性 ― 美の定量化 7.量子 ― 理解の単純化 8.宇宙論 ― 広がりゆく現実 9.時空 ― 活動の場 10.算術 ― 理性の限界
エピローグ「知識の未来」と、一般人がよく読みすく理解しやすいように噛み砕いた文と図表で、科学の根幹・体系・原理・本質をセレクトし解説する。そのなかで一番記憶に残ったのがこの言葉だ。「数学が人間の頭の内部で生み出され、それが外部の物理的世界の記述に最適なように見えるという面だ。内部のものがどうして外部のものに最適になるのだろうか?…….」
そういえば究極の物質を求める「スーパーストリング(超弦)理論」「M・幕(membrane)これは10次元に時間の次元を加えて11次元、しかし空間の6次元、7次元は小さく丸められている…。美人で物理学のジョディ・フォスターといわれるリサ・ランドールの(ワープする宇宙)に詳しい」理論なんて抽象的・形而上学的哲学で決して実験で証明できない頭の内部だけの理論だ。好奇心をかき立ててくれる。
●「人類が知っていることのすべての短い歴史」ビル・ブライソン 楡木浩一訳 日本放送出版協会 ….これも楽しい本だ。
●「科学にはわからないことがある理由」ジョン・D・バロウ 松浦俊輔訳 青土社 ……だけど知りたいんだ。
●「ワープする宇宙」5次元の謎を解く:リサ・ランドール 向山信治 監訳 塩原通緒 訳 NHK出版
1/ 26th, 2010 | Author: Ken |
TOYBOX…テディベア
カワイイーッ!そんな黄色い声を上げる歳でもなし、ましてぼくは男だ。なぜテディベアなんか持っているかというと、その昔新婚さん向けフアニチャーのカタログを制作した。キャラクターイメージをどうしようかと考えて、そうだ!テディベアのペアで行こう!
となった(まあそのへんの受け狙いなんだが)。ところが探してもイメージのものがないんだね。何か顔が気に食わなかったり形が違ったりと…。そうしたらアシスタントの女性(極めて優秀、センス抜群、いまはアンティークと手作りカーテンではなかなかの存在)が作ればいい!よし、作ろうとなった。材料を探し事務所で縫製し縫いぐるみが完成した(ぼくは横からアレコレ指図するだけ、目玉の位置とか太り具合を。ウルサい!黙っていて!はい)。
調べてみたらテディベアも奥が深い。ルーズベルト大統領の愛称にまつわる話とか、ドイツのマルガリーテ・シュタイフが1902年に作ったとか…。外国のアンティーク・ショップでとんでもない値段のをみたことがある。…何でこんなに煤けたものが…。世界中にファンが多いんだね。わが国にもいっぱいテディベア博物館もあることだし。撮影するために男の子にはぼくのネクタイの小剣でタイを作り、熊のタイピン、女の子にはエルメスのスカーフを撒いた。小ちゃなティーセットも用意して。結構可愛いでしょ。
★あの南しん坊さんがテディベアを頭に乗せ、靴べらを持って聖徳太子になった写真を見た事がある。彼の「歴史上の本人」という本は傑作中の傑作!仁王さんとか織田信長とか…それはもう!抱腹絶倒、涙が出てくる。
1/ 25th, 2010 | Author: Ken |
TOYBOX…マルタの鷹
「It’s heavy.What is it?」(重いな。これは何だ?)。「The stuff that dreams made of.」(夢がいっぱい詰まっているのさ)。
名作「マルタの鷹」の探偵サム・スペードの台詞だ。ハードボイルドには泣かせる台詞が多いね。まあ、大人の男のハーレクインみたいなもんだ。ダシール・ハメット原作、ジョン・ヒューストン監督、ハンフリー・ボガート主演「The Maltese Falcon」(1941)お話はマルタ島騎士団がスペイン皇帝に献上されたというお宝を巡って怪しげな男女と探偵の争奪戦だ。
前にメンズウェアの企画やデザインをしていたころ、背景をハードボイルドで行こうと決めた。マルタの鷹のパロディだ。じゃマルタの鷹はどうするんだ?そんなものハリウッドに行けばお土産で売っているかも知れないが、日本にあるわけがない。作るしかないだろう。
早速ヴィデオを見て、ン、マ、こんなものかと粘土細工で作り上げた。布団乾燥機で乾かし夜中の庭で金色のスプレーを吹いた。翌日の撮影ではまだネバネバしていたね。後にハリウッドの土産物店で真っ黒なレプリカを見た。細部は違っていたけれど大きさも大体同じものだった。そしてミステリーの最高作 E.Aポー賞には鷹ではなくRaven(大烏)像が贈られるのだ。まあ、そんなのは貰える訳がないし、ミステリーが大好きだし、もっと読みたいから、いまも事務所の棚に鎮座ましましている。
1/ 24th, 2010 | Author: Ken |
MJはアンドロイドの夢を見るか
アンドロイド、ヒューマノイド、サイボーグ、マイケル・ジャクソンにはそんなイメージをもっていた。もちろん「Beat It」「Thriller」「Bad」はMTVで楽しんでいたし、アル・ヤンコビックのパロディ「Eat it」「 Fat」には大笑いした。インド製のスリラーもなかなか楽しめた。
最高に傑作なのは「セレブリティ・デスマッチ」有名人のクレイ人形がプロレスをするのだがハチャメチャ残酷。これにマイケル・ジャクソンvs.マドンナがあった。リングの廻りは塩酸プールだ。マドンナがマイケルを投げ込むと「オッ!みるみる顔が溶けていくぞ、400万ドルもかけた顔が!」なんて解説している。まあ、怒りなさんな所詮ドロ人形のお遊びなんだから、と…..。
THIS IS ITを見た。マイケルを誤解していたようだ。これはプロ中のプロだ。己を叩き上げ錬磨に錬磨を重ねたサイボーグだ。スポーツ選手が激しい鍛錬で肉体改造を行い、筋肉増強剤まで使う以上に凄い。エンターテナーとしてより高みに登ろうとして整形手術さえ行う究極のプロ魂だ。あのダンスにしても人間業とは思えない肉体を酷使し磨き抜いた技だ。そしてそのなかには人間マイケルがいる。心の内を誰が知り得よう、ヴァーチャルのスーパースターだってね。永遠のエンターテナーだ。
1/ 23rd, 2010 | Author: Ken |
インタープレイ
ジャズを聞かなくなって久しい。78年頃まではまだレコードを買ったり、ライブにも出かけた。いつのまにかジャズにクリエイティブが消え失せ懐メロに聞こえ始めた。プレイヤーが歳を取り時代の音では無くなったのだ。あの前衛性が消えたのだ。エネルギーを失った音楽は聞けない。ジャズから創造性が失われれば、それは通俗になるのだ。現在のジャズシーンは知らないが、時々友人がジャズバーなんかに誘ってくれる。お決まりの鼻声で「A列車で行こう」だ。またスパーマーケットのBGMでマイルスが流されている…。
そのなかでも古びない緊張感を聞かせてくれるのがビル・エヴァンスだ。音の一つひとつが美しい。リリカル、知的、スリリング、クリアな色彩、抑制、それでいてダイナミック。そして何よりも美意識。ビル・エヴァンス独特のスリルが漲る世界、その間に見える叙情性がたまらなく好きだ。初期のスコット・ラファロ(b)とのイマジネイティヴなトリオの絡み合い絶妙さ、チャック・イスラエル(b)とのインタープレイ。お互いの刺激がより高い音楽性に高まるのだ。モントゥルーの凄みあるライブ、ラストコンサートの鬼気迫る演奏、死を意識していたのだろうか。
来日時はエディ・ゴメス(b)、マーティ・モレル(b)だった。内奥的なリリシズムに酔った。
1/ 22nd, 2010 | Author: Ken |
時間・空間・即興
昨年7月にマース・カニンガムが亡くなったという記事を見た。いままで意識に無かったことが一瞬に浮かび上がった。
クオリアというそうだが映像が頭の中に見える。記憶データとはどんな風に仕舞われているのだろうか?イメージというぼんやりしたものが圧縮され細胞や神経繊維に記録されているのだろうか? それとも振動する波のようなものか?
あれは1964年だった。マース・カニンガム・ダンスカンパニーが神戸に来たのだ。音楽はあのジョン・ケージ、美術は何とロバート・ラウシェンバークだ。前衛という言葉が生きていた時代だ。… ぼくはモダンジャズにハマっていたし、インプロヴィゼーション、チャンスオペレーションなんて言葉に畏怖さえ感じる純情さの生意気兄ちゃんだった。
驚いたね!暗い舞台に麻袋に入った人体が身をよじり芋虫のようにのたうつんだ。そして時間を考えさせられるケージの音楽…。バレェという歌舞伎みたいな常識しかなかったぼくには衝撃だった。そして「冬の枝」における群舞。モダンダンス —モダンということは現在の今であり、絶えずクリェイティヴしながら前進する時間の先端なんだと…。
いつしかモダンという言葉自身に手垢がつき懐かしい響きとなった。…いまを生きている意識を忘れちゃだめだね。
●このパンフレットに新しいデザインを感じた。装丁レイアウトは粟津潔。
1/ 21st, 2010 | Author: Ken |
フィルム・ノアール
フィルムノアールと言えばジャズが聞こえてくる。50〜60年代のフランス映画に興奮したものだ。その日本名がよかったね。「殺られる」「墓にツバをかけろ」「現金に手を出すな」なんて。そして音楽がジャズなんだ。「危険な関係」「大運河」映画そのものは大したことはなかったけれどMJQの透明な響きとヨーロッパ的洗練が随分とお洒落だった。
そのなかでも「死刑台のエレベーター」若干25歳のルイ・マル監督、これは映画の面白さを堪能させてくれた。これぞヌーヴェルヴァーグだ!完全犯罪を企てたがエレベーターに閉じこめられる。その悪あがき、焦燥。そうとは知らないジャンヌ・モローがパリを彷徨う。バックにマイルス・デヴィスのトランペットがむせび、すすり泣く…。
現像液から二人の写真が浮かび上がる … FIN。
ぼくはジャズ少年だったから無理をしてトランペットを買ってマイルスをコピーしたね。ああ恥ずかしい。もう指使いも忘れてしまったが…。映画が映画であった時代だね。… Je t’aime
黒い映画も最近は見かけなくなったと思っていたら、ありました。「あるいは裏切りという名の犬」監督・脚本:オリヴィエ・マルシャルだ。ジャン=ピエール・メルヴィルを彷彿させますね。フィルムノアール健在なりだ。
「死刑台のエレベーター」監督・脚本:ルイ・マル 原作:ノエル・カレフ 撮影:アンリ・ドカエ 音楽:マイルス・デイヴィス 出演:モーリス・ロネ ジャンヌ・モロー リノ・ヴァンチュラ
1/ 18th, 2010 | Author: Ken |
鬼火
何かの拍子に心に沈積する澱みたいなものが微かにかき乱され、無意識の底から立ち上る憂鬱の痼りというか、ふと面妖な気持ちになることってありませんか。群衆のなかにいながら急に孤独感に襲われるとか、深夜の雨音とか、酔った体で人気の無い街を歩いている時とか、エリック・サティの旋律を聞くとそんな気持ちになるのですが…。
グノシェンヌ、これはグノーシスなんでしょう。古代ギリシャ語で認識・知識を意味する言葉で、自己の本質が神の認識に到達することを希求する思想だそうだ。…1890年作曲。拍子記号も小節線もなく、音と時間を考えさせられる。
「鬼火」Le Feu follet (ゆらめく炎)ルイ・マル脚本、監督。 サティの印象的な旋律を背景に、抑制の効いたモノクロームの画面がアルコール中毒の男が死に至るまでの48時間を描く。…友人に会いに行く。所詮、他人は他人、みんな日常という俗物になっている。喧噪と雨の夜のパリを彷徨う。背景にサティの音楽、彼を救うことは誰もできない。ドラマもない、感動もない、何も無い、僕はみんなを愛したかった。誰も愛してくれなかった。「僕は死ぬ。君に愛されず、君を愛さなかったから。お互いの間が緩んだから。死ぬことで、僕の烙印を君に残そう」銃口を胸に引き金を…。…確かATGで見たのだろうか?40年も前だ。
1/ 17th, 2010 | Author: Ken |
1.17
月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり。あれから15年、あっという間だ。…突き上げるような衝撃、轟音、起きようとしてまたベッドに倒れ込んだ。真っ暗闇のなかで通り過ぎるのを只管待った。長い、断ち切るように轟音が途絶えた。慌てて階下に駆け下る。
「何があった!?」地鳴りとともに余震が何度も襲う。蝋燭の微かな灯を囲み黎明を迎えた。
…翌日自転車で街に出た。続々と避難民が郊外を目指す。凄まじい破壊の跡、まだ煙がくすぶり炎さえあった。焼け野原に呆然と立つ人影、軒下に毛布にくるまった人、友人知人宅と事務所を廻った。…やっと私の事務所に着いた。外観はさほどの被害はない。中はもう無茶苦茶だった。
明日からどうしよう…。口を開けて笑うしかなかった。悲観とちょっぴりの楽観が綯い交ぜになり、その苦しさから逃れようとスポーツに打ち込んだ。肉体を虐め疲労困憊は心を少しは軽くする。車を止め、ゴルフクラブを捨て、時計を外した。お金を借りれば生活に使ってしまう恐怖があった。1年が過ぎた頃やっと決心がついた。ぼくにはデザインしかない。新しく事務所を作ろう。借金をして再開した。
…まだ若かった。こんな凄いことを経験できたんだ。無理矢理に楽観主義者と自分に言い聞かせ、困難を楽しんでやれと…。
素晴らしい優しさの人にも出会った。この時と震災をネタに金儲けに狂騒する人も見た。しかし、家や家族を喪い帰りたくとも帰れない人も多い。孤独死、自殺、離散、廃業、特に高齢者は大変だ。自分のなかで今まで考えもしなかった社会のこと、共に生きること、行政あり方などが徐々に見えてくるような気がした。NGOを立ち上げ活動する友人もいる。ボランティアで奉仕する知人もいる。
…ぼくに何ができたのだろうか、今になって自問する。…でもぼくは何もしていない。ぼくには何もできない。ただ震災は人間の優しさだけは教えてくれた。忘れてはならないことだ。
1/ 16th, 2010 | Author: Ken |
何でも十傑……恐怖怪奇短編。
「恐怖は人間の最も古い、最も強い感情だ」H.P.ラブクラフト…これほど技巧を要する小説はないのではないか、近代恐怖小説はE.A.ポーを嚆矢とをもってするが、名作と呼ばれるものは洗練の珠玉である。ラブクラフトのクトゥル神話系は邪神や物の怪だし、スプラッターは美しくない。やはりゴシック・ロマンや怪談のおどろおどろしいところがいい。
★「猿の手」W.W.ジェイコブス:猿の手は三つの願いを聞いてくれるが…。かってのオーソン・ウェルズ劇場の第一話じゃなかったか?ほんとうに良く出来た話だね。映画「マタンゴ」の原作ウィリアム・ホープ・ホジスンの「闇の声」もいいね。
★「たんす」半村良:夜中になると一人ずつたんすの上に座り虚空を見ている…。たんすの取手がカタンカタンと聞こえる。おとーよー、お前のたんすをもって来たよー。何が見えるって?あんたも座ってみたら見えるんだよ。
★「レミング」リチャード・マシスン:1ページに足りない短編であるが映像がリアルに浮かびあがる。連合軍が撤退した跡のダンケルクの海岸を思い出すね。
★「早過ぎた埋葬」E.A.ポー:ポーにはたまらない耽美性がありますね。古典の名作中の名作。「赤き死の仮面」なんてそれはもう!リチャード・マシスンの「墓場からの帰還」も同テーマ。
★「人間椅子」江戸川乱歩:奥さま、いまお座りの椅子は…。ゾーッとするとはこのことだね。
★「炎天」W.F.ハーヴィー:うだるような日、墓石に自分の名が刻まれていた…。
★「青頭巾」上田秋成:瞼に瞼をもたせ、手に手をとりくみて日を經給ふが、終に心神みだれ、生きてありし日に違がわず戯れつつも、其の肉の腐り爛れるを吝て、肉を吸骨を嘗て、はた喫いつくしぬ。…この辺は鬼気迫るね。江月照松風吹 永夜清夜何所為(こうげつてらししょうふうふく えいやせいしょうなんのしょいぞ)そもさん夜何所為ぞ!喝!「菊花の契り」「吉備津の釜」「浅芽が宿」も忘れ難いね。
★「ポインター氏の日録」M.R.ジェイムス:カーテンが揺らめき、安楽椅子から垂らしたした指先に触れたものは…。
★「家のなかの絵」H.P.ラブクラフト:雨宿りに田舎の廃屋のような家に入ると一冊の挿絵本が開かれていた…。
★「耳なし芳一」小泉八雲:身体にお経を書く、これは不気味。シュワルッツネッガーの映画「コナン」で真似していたね。
そして「因果話」…奥方が臨終に殿寵愛の女を呼んで、庭の桜を見せておくれ。おぶった途端両乳房を握りしめ「とうとう願いがかなったぞえ、ああ嬉や」とこと切れた。手は乳房と一体になりどうしても取れなかった。女の胸には黒く萎びた手首だけが残され、夜になると乳房を責め苛んだ、彼女は尼になって国々を放浪したという…。