1/ 13th, 2010 | Author: Ken |
何でも十傑……奇妙な味。
一度読んだら何か「奇妙な味」が後に残り忘れ難い短編小説がある。割り切れなさ、不気味さ、シックジョーク、ブラックユーモア、ホラー、ファンタジー、リドル・ストーリー…。何でもありなのだが超絶技巧を凝らしたプロット、どんでん返し、オチがいいんだ。名作を選ぶのにあまりに迷うので順位はつけられない。迷いに迷い現在書きかけです。
★「女か虎か」フランク・ストックトン:どんな話かは読んでいただくとして、これは人間心理の迷宮だね。
★「ふくろうの河」アンビローズ・ビアス:これは映画にもなった(ロベール・アンリコ、フランス1961年、You Tubeで見ることがで
きる)。これが素晴らしい。昔トワイライトゾーンだったと思うが見たんだ。時は過ぎまたを見たくって姫路の駅ビルにある映画
館まで追いかけて行った。ビター(苦い)ビアスと言われるだけのことはある。「愛国は悪人の最後の逃げどころ」(悪魔の辞典)
★「テイスト」ロアルト・ダール:ワインの当てっこなんだが引き込まれるね。「南から来た男」とどちらを取るか迷うのだが…。リゾートホテルで若者が賭けをする。ライターが10回連続でつくかどうか?ヒッチコック劇場で放映した。なんとS・マックィーンだ。P・ローレがなんとも…。これもYou Tubeにある。ロアルト・ダールには名作が多過ぎて…。
★「開かれた窓」サキ:有名すぎますね。でも孤独な少年が凶暴な鼬を飼う「スレドニ・ヴァシュター」も心に残る味だね。
★「注文の多い料理店」宮沢賢治:童話なんだけど、ある意味ではエリンの特別料理より凄いかも。
★「賢者の贈りもの」O・ヘンリー:あまりにも有名過ぎるが見事としか言いようがない。「最後の一葉」も名作中の名作だね。
★「特別料理」スタンリイ・エリン:チシャ猫の笑いが頭にこびりつくね。「最後の一壜」ウーン!こんなワインがあるのかね。
★「みずうみ」レイ・ブラッドヴェリ:幼い頃、仲良しの女の子と汀で砂の城を作った。彼女が水死して、時は過ぎ…。ブラッドヴェリには素晴らしいのが多過ぎて。「乙女」「刺青の男」「大鎌」…。
★「頂上の男」R・ブレットナー:8000メートルの山に挑戦する男が頂上で見たものは…。
★「アムンゼンのテント」J・マーチン・リーイ:南極点に放棄されたテントがあった…。中を見るな!見てはならない!
★「金の斧」ガストン・ルルー:保養地で出会った女性に金の斧のアクセサリーをプレゼントした…。余談だが「シュミット親方の首切り日記」を昔読んだ。山田浅右衛門吉亮を描いた綱淵 謙錠の「斬」は秀逸。吉亮晩年の写真を何かの本で見た事がある。
閑話休題、他にも「押し絵と旅する男」江戸川乱歩、「ミリアム」トルーマン・カポーティ、「蛇」スタインベック、「夢十夜」夏目漱石、「件」内田百軒、ヘンリー・スレッサー、パトリシア・ハイスミス、あれもこれも…。
1/ 12th, 2010 | Author: Ken |
冬の旅
これはテオ・アダム「冬の旅」のコンサートのカタログなのだが、表紙はフリードリヒの「雲海の上の旅人」だ。シューベルトは「…それは飛行船の操縦士だけが見る事のできる絵だった。彼がその乗り物に乗って厚い雲の上に飛び出し、霧のベールの切れ目から濁りなく青い空が見えるまで上昇したときに…」と書いた。霧を突き破った無限の空間のなかでの純化と浄化、自我が消滅し無となる。…山頂に屹立する人物の後ろ姿はツァラトゥストラか!
「冬の旅」はわたしの”独白”による24曲の歌曲である。「おやすみ」に始まり「凍った涙」あの「菩提樹」「鬼火」「からす」「まぼろし」「幻の太陽」そして「辻音楽師」へと続く。重く陰鬱なさすらいを重ね、透明な虚無へ近づいてゆく若者の姿である。”村はずれにライエルを奏でる狂った老人がいる。凍った地面を裸足のままで、誰一人聞こうとはせず、誰一人目も止めない…犬が唸っている…不思議な老人よ、お前についてゆくことにしようか?わたしの歌とお前のライエルで”…。この狂った辻音楽師とは何者か?もしかしたら死神か? ライエル弾きとは「夜の画家」と呼ばれるジョルジュ・ラ・トゥールが描いたような人物か。
「冬の旅」フィッシャー・ディースカウ、テオ・アダム、ピーター・シュライヤー… どれも名唱だ。
Liederzyklus: Winterreise D.911 Musik: Franz Schubert 作曲:フランツ・シューベルト
Text: Wilhelm Mueller 作詩:ヴィルヘルム・ミュラー
1/ 11th, 2010 | Author: Ken |
陰謀
実はこの世界も誰かに操られているのかもしれない…。フリーメーソン、ユダヤ、イリュミナリュティ、ナチ第四帝国…。
9.11もリーマンショックも仕組まれた陰謀で企みではないだろうか?陰謀:コンスピラシーのコンとは共に、スピラシーとは息を吸うという意味から一緒に息をするとなる。それだけで妖しく感じるね。ほら、息を潜めて世界を闇から支配しようとする者たちの影が…。「ボーイングを探せ」という9.11の映画を見た。ウーン…、ビンラディンはでっち上げた架空の人物で…。
パールハーバーもあれはルーズベルトが日本に戦争を仕掛けさせる罠だった。戦後にはM資金、これもGHQのマーカット少佐の頭文字だと云うし、ウィロビー資金というのもあった。フィリッピンの山下将軍の隠した財宝なんかも未だにニュースになる。UFOによる誘拐とかロズウェルの事件とか、そうそう第三の選択やアポロは月に行かなかった、火星の人面岩も実は…。
フリーメーソンだってアメリカではライオンズクラブみたいなもんだ。ドル札の裏にはピラミッドと眼があるしね。古い話だが戦後初めての十円札、あれ米国と読めるね。これも占領軍の陰謀なんだと。この世は陰謀と詐術に満ちている。陰謀恢々だね。でもGPSや監視カメラ、個人情報なんてとっくに…。どうやって陰謀から身を守ったらいいんだ。開き直って陰謀を楽しむことしかないだろう。そういえば「原罪」ね。あれも蛇の謀ごと。アダムとイヴも騙されたんだ。イチジクの葉っぱは最初のファッションだ。だから流行も仕組まれたものであり、蛇や鰐のバッグやバカ高いファッションが売れるんだ。
しかしだ、人類にとって一番凄い陰謀は … そう、神という概念を創ったってことだね。
1/ 11th, 2010 | Author: Ken |
寂寥と崇高と。
フリードリヒの絵の前では何を語ればよいのか…。荒涼、廃墟、静寂、薄明、黄昏、静謐、峻厳、茫漠、孤独、畏怖、崇高…。
こんな言葉をいくら書き連ねても意味はない。書は言を尽くさず、言は意を尽くさずだ。カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774〜1840)ドイツのロマン主義絵画を代表するとあるが、宗教的含意を含む風景画である。何なんだろうね、この不思議な世界に誘う絵は。
彼は「まず精神の目でタブローを見るために、きみの目を閉じるがよい」と言ったそうだが、精神の目によって眺められたヴィジョン、直観、印象を感覚的に表現した絵。それはフリードリヒ自身の人間を見ることなんだろう。
自画像は恐ろしいほど厳しい顔をしている。同時代の風景画家ターナーの色彩と較べるとフリードリヒには凍てつく凛々さが漂う。上は「海辺の修道士」下は「樫の森のなかの修道院」と「氷の海」。暗鬱な北欧の冬から生まれた眼なのだろうか。
1/ 8th, 2010 | Author: Ken |
人間なんだからナ。
開高健が好きだ。初めて読んだのは「パニック」「裸の王様」だった。そしてあの「日本三文オペラ」。大阪砲兵工廠の焼け跡の鉄を狙ったアパッチ族を描いたものだ。当時朝鮮戦争の特需で鉄が高騰したのだった。いまの環状線は城東線と呼ばれていて森ノ宮あたりは赤錆びた鉄骨を曝していた。盗みに入った賊が警官隊に追われてキャアキャア逃げる騒声が西部劇のアパッチ族を連想させたからだ。
それからヴェトナム戦争、ビアフラ、アイヒマン裁判、アウシュビッツと、人間というものを見過ぎたのだろうか、釣りや食の世界に入った。
これが楽しい。あの早口の大阪弁でまくしたてる口調とユーモア、蘊蓄、言葉の陰翳を駆使する文章は超絶技巧だ。食にしても単なるグルメなんかじゃない。細胞からの飢えというか焼け跡の飢餓が背景にずっしりと澱んでいるんだ。わたしの兄も予科練から帰ってきて最初の給料を全てコッペパンに替え、泣きながら食ったといっていた。胃の腑が原点なんだ。この人間というなまぐさき生き物は…。 彼が井伏鱒二氏との対談で「先生、豊かになり飢えることがなくなると人間のエネルギーが減るんですね」。そんなことを喋っているのを見た事がある。彼の色紙には「入って来て生と叫び、出て行って死と叫ぶ」とあった。
「産まれてくるのは偶然、生きるのは苦痛、死ぬのは厄介」とは聖ベルナールの言葉だが彼の本のどこかで読んだ気がする。「昨日は一滴の精液、明日は一握の灰」マルクス・アキレーリウスと同じだね。それにしても早過ぎる死だった。新たな天体を見つけに旅立ったのか…。もっと読みたかったのに…。バイヤ・コン・ディオス! … そう、人間らしくやりたいな、人間なんだからナ。
1/ 6th, 2010 | Author: Ken |
蘇るフラーイヤー魂。
革の匂いがセクシーだと? 男の匂いなんだよ。Type A-2フライング・ジャケット。時は1931年、その頃はまだオープン・コックピットでパイロットたちは白いスカーフをなびかしていた。それは馬革で作られ、風と寒さを防ぎ、動きやすく操縦士に好評を持って迎えられた。そして第二次大戦にはB17やマスタング、サンダーボルトに跨がった男たちのシンボルだった。出撃の守り神ピンナップガールなんかを背に描き、これが何ともポップでキッチュなんだね。アメリカ人というのは戦争の道具に鮫のジョーズやヌードや恋人の名前なんか描いたりしてスポーツ感覚なんだね。ノーズアートとって言うんだが、これが楽しい。わが帝国陸海軍なんかは、畏れれ多くも陛下より…。こんな神経では無理というもんだ。でもフクちゃんや千里の道を往って千里の道を還る、という虎なんか偵察機の尾翼に描いている。まあ、撃墜マークなんかも各国共通だ。戦いのなかにもロマンあり、第一次大戦の撃墜王リフィトフォーフェンも愛機フォッカーを真っ赤に塗って赤男爵と呼ばれた。日本人バロン滋野もフランスのコウノトリ飛行大隊のエースとして活躍した。パイロットには空を駆ける夢みたいなものがある。男の子なら誰だって憧れるもんだ…。これはANA創立45周年にA-2の復刻版を作ろうという企画があってぼくも手伝った。メーカーも米国で唯一空軍への供給を許されているクーパー・スポーツウェア社で、特別にこだわって作り限定販売だった。OFFICIAL U.S.ARMY AIR FORCE TYPE A-2。思い出のアイテムだ。
1/ 6th, 2010 | Author: Ken |
どんなものを食べているか言ってみたまえ。
どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人であるかを言い当ててみせよう。これはあのブリア・サヴァラン先生の言葉だが、ウーン、言い得て妙というか達人ならではの言葉ではあるナ。最近ブログを賑わしている大半はグルメではあるが、グルメとは食通ということなのであろう。最初に聞いた時は「あんまり高いのでグルグル目が廻る」ことかと思った。またミュシュラン・マップなんぞも流行っているそうじゃな。
「見知らん」「身酒乱」かは存知あげねども、私にはとても語れる資格なぞないのだが、居酒屋の片隅で食談義など聞いておると、みなさん非常にお詳しい。これはちと勉強せねばなるまいなと、フランスはあの大教授の本なぞ引っぱり出して励んでいる最中じゃ。孔子も「その時をえざらば食わず、その醤をえざらば食わず、割く正しからざれば食わず」とのたまっていらっしゃる。
「美味礼賛」つまり「味覚の生理学」であり「超絶的美味学の瞑想」である。学殖蘊蓄を傾けた人間哲学の書なのである。
しかし内容は軽快、アフォリスムとユーモアに満ちた語りで随分と楽しめた。また大教授は美の女神ミューズと9人の娘たちにガステリアという味覚をつかさどる10番目の女神を創造した。何とも心憎いじゃないか。わたしはとてもグルマンディーズなんかにはなれっこないが、
1)お腹が空いていること 2)誰と食べるか 3)時間を共有すること 4)食を与えてくれたことに感謝すること。
これが基本なのではあるまいか。おにぎり一つでも遠足で食べた味は忘れぬし、あの芋の蔓やタンポポの根、フスマのスイトンさえ懐かしく思い出させる。細胞から飢えておったのじゃな。「この飯、疎かには食わんぞ」と、デフレ飽食の時代に考えてしまうのは貧しい世代の繰り言か。—先生!わたしは昨日、ニラレバとポテサラ、ドテ焼きとテッチャン炒めに焼酎二杯なんですが、わたしの人なりを当ててください。
…「君ね。芳醇清澄なワインのコケットリーな味わい、味覚享楽のこの上なきもの、つまりNec Plus Ultraを知らずして何を語れよう。しかしじゃ、だれかを食事にさそったのなら、君はその人の幸福を引き受けたのじゃぞ。何であれ美味しくいただく。いいただくためには創意と工夫と心がいる…。料理とはこれなんじゃよ」。
そこで思い出した「大阪で二番目に美味い店、一番はおふくろの味」と、師匠がコピーに書いておった。おふくろの味ねー。貧乏くさいね。あんまり大したもの食わしてくれなかったしね。でも産まれて初めて口にしたもの、そう、おふくろの「おっぱい」の味なんだろーね。
●「美味礼賛」ブリア・サヴァラン著/関根英雄・戸部松実:訳 岩波文庫
12/ 29th, 2009 | Author: Ken |
明けましておめでとうございます。
12/ 27th, 2009 | Author: Ken |
マグリットに会いに行く。
姫路市立美術館、ここは素敵な美術展をするのでつい行ってしまう。お城の横の赤レンガの建物群は、かって陸軍の兵器庫・被服庫として建設されたもので、後に市役所として利用されていた。その姿が何とも美しい。なぜ素敵かというと「幻想美術」、特にルネ・マグリットやポールデルボー、レオン・スピルアールトなどベルギー・コレクションやユニークな企画を見せてくれるからだ。何年か前になるが「戦争と美術」というタイトルで日本画中心による戦争絵画展があった。何か日本画というと立体性に欠けた線描写で、デッサンもアンバランスな感を受けるが、なかなかどうして凄みさえ感じられた。なかでも横たわった兵士の顔が日の丸の旗で覆い隠されている絵なんかも、軍の要請で描かれたものの受取りを拒否されたという。その時代の空気を映しているというか絵画は結局、画家の真情なんですね。長野県上田にある「無言館」の戦没画学生のどの絵にも、決して巧みではないが溢れるような生の喜びや肉親への愛が感じられる…。
こんどジェームズ・アンソール展が開かれるそうだ。これも見逃すわけにはゆくまい。
12/ 27th, 2009 | Author: Ken |
怖い絵
返り血に染まった腕には異様なほど巨大な剣、足元には首を切断された巨人ゴリアテが横たわる。振り返る少年にはミケランジェロのダビデの雄々しさすらない。青白い微笑みは巨大な昆虫を退治した少年の酷薄さか?卓越した古典主義的技法で描くリヒャルト・ミュラーの世界は蠱惑的ですらある。カラヴァッジオもダビデを描いている。おのれカラヴァッジオの首を持つ少年には微かな嫌悪感の表情を見るのだが、これはカラヴァッジオ自身への破滅的マゾヒズムなのか?…..残虐なだけにますますお前は美しい。