12/ 26th, 2009 | Author: Ken |
魔笛
魔笛、平敦盛と青葉の笛、悪魔が来たりて笛を吹く、笛吹き童子、宮本武蔵のお通さん…。笛には何か神秘に導くものがあるんですね。
映画「追跡者」では法に忠実すぎる非情な男に恋人が「あなたには心と言うものが無いの!寂しくは無いの!」…「私には笛がある」。あの自殺幇助罪で問題になったキボキアン医師。彼はヘンデルとバッハしか吹かないと一人でフルートを吹く姿をTVで見た事がある。
青い月光の下、虚無僧が吹く尺八が薄の原に嫋々と…。笛には冥界に誘う魔力があるといえば大袈裟か。
バッハのBWV1030 h-moll フルートとチェンバロのソナタが限りなく好きだ。なぜだかは分からない。下手なりに吹いていると、その世界に入ってしまうのだ。他にもフルートの名曲は多い。モーツアルト、ドヴィエンヌ、メルカダンデ、ヴェニスの謝肉祭、シリンクスなどなど…。華麗に躍動し超絶技巧に圧倒されて…でも何故かバッハに還ってしまう。レコードではニコレとカール・リヒターの熱い演奏が素晴らしいが、ブリュヘンのトラベルソが好きだ。ロンドン・バロックもいい。かって人前で吹いたことがある。散々でしたね。思い出しても汗が…。いつまでたっても上手には吹けないが終わりの無い想いだね。
12/ 26th, 2009 | Author: Ken |
ボタンダウン。
ボタンダウンが好きだ。というよりシャツといえばボタンダウンになってしまう。きっかけは、ほら、あのVANですよ。最初に知ったのは。それから風聞に、やはりブルックス・ブラザーズが本物だよ。などと聞くうちにいつかナ!と思い込むようになった。
当時はそんなの手に入れるのは夢だったよね。横浜の「ポピー」にあるゾ、と行ったこともあるね。伝説ではポロ競技中に衿がバタバタしないように、ボタンで衿を止めていたのを見てJ・ブルックスが考案したというが、さて。初めてアメリカに行った折、ニューヘイブンのJ・プレスのやN.Y.のブルックスでやっと手にいれた。当時は隣が「アバクロンビー&フィッチ」「ポール・スチュアート」と感激したネ。してシャツはどうだったか?ウーン、アメリカ人の大柄にあわせてボディがやたらと太い。パジャマみたいだ。
いつしかメンズウェアの企画やデザインをするようになって、ヨシ!本当のボタンダウン・シャツを作ろうと頑張ったこともあった。輸入品でも何でも簡単に手に入るようになり、あの夢も薄れちまった。UNIQLOだって良くできているよ。オックスフォードの感じといい値段といい、製品としてはね。でも何か心に迫るテイストが感じないんだ。だからRLかBBを着ているんだが、あの熱い情熱で着た頃のほうが本当に愛していたんだね。もちろん今だってボタンダウン・シャツと聞くと一言、言いたくなるんだが。
12/ 26th, 2009 | Author: Ken |
寂しさの果てなむ国ぞ………。
この静謐で不安、そして孤独な畏れは彼の心象風景なのか。—–日没の最後の一照りにすべてが真っ赤に染まり、あまりにも静寂、あまりにも孤独に、声にならない声をあげるムンクの「叫び」に通じるものがある。
レオン・スピルアールト(1881〜1946)。
ブルージュの美術学校に通ったとあるが、といえばローデンバックの「死都ブルージュ」が思い起こされる。憂いと沈鬱、ぼんやりとした不安。昼と夜の狭間 … 逢魔時、かろうじて支える精神のバランス … 十月は黄昏の国か。
12/ 25th, 2009 | Author: Ken |
地獄の釜開き
うろ憶えだがたしか…さあさあ地獄の釜開き、そこからは白い馬、赤い馬、黒い馬、青ざめた馬が飛び出すであらう…。
とはマニエリスム美術を論じたグフタス・ルネ・ホッケ「迷宮としての世界」に捧げた三島由紀夫の言葉である。その本の表紙にはモンス・デジデリオの宮殿が飾られていた。残骸と悪夢のような描写は「死を想え(メメント・モリ)」か。ペストの惨禍、近代に変わりつつある時代の不安か。
Dies irae, dies illa, Solvet saeclum in favilla 彼の日こそ怒りの日なり、 世界を灰に帰せしめん。
ディエス イッレ ディエス イッラ その日は怒りの日。—–この絵はヒエロニムス・ボス、ブリューゲルの「死の勝利」に繋がるのではないか。恐ろしいが魅惑的である。
12/ 23rd, 2009 | Author: Ken |
崩壊と破局。
黄金に輝く列柱が音も無く崩れ去る一瞬、その下に蠢く人間の生と死のドラマ。破局と崩壊、幻想建築と世界の終末の画家、モンス・デジデリオ。
1600年前半バロック時代に咲いた妖しくも華麗な「狂気」である。過剰なまでの装飾性、不安定性、繊細で異端、幻視者(ヴィジョネール)の眼。その眼は虚無を見つめる地獄への誘いだ。しかし、モンス・デジデリオという人物はいない。それらの作品はフランソワ・ド・ノームとスリュイという二人の画家が描いたものだという。
上記は「偶像を破壊するユダ王国のアサ(聖堂の崩壊)」フィリップ・ウイリアム美術館・ケンブリッジ
12/ 23rd, 2009 | Author: Ken |
静寂。
風もそよともしない青漆黒の海、岩塊だけが夕陽の残照に一瞬の輝きを見せる。暗緑い空に向って密集した糸杉が立ち聳える。岩塊に刻まれた墓室、漕ぎ寄せる一艘の小舟、白布で身体を覆た人物が木乃伊のように立つ、櫂の音も水の滴りさえも聞こえぬ。時間は止まり、一切の静寂、ここは忘却の海か。死者の島か。
——アルノルト・ベックリーン(1827〜1901)「死の島」1880 彼は5点の「死の島」を描いた。現在ベルリンにある1点はかってヒットラーが所有していた。第4版は現在行方不明である。孤独とペシミズムが底流にあるとはいえ、画家には「生の島」という作品もある。憧憬と楽園的な明るい島は「死の島」と対極をなす。「死の島」凍てつくような孤独、暗鬱なメランコリーは都市の喧噪と憂鬱、輻輳する社会からの逃走なのか。時の止まった一切の静寂のなかに凍りついた永遠を見る。
12/ 22nd, 2009 | Author: Ken |
美はしきもの見し人は…。
美はしきもの見し人は、 はや死の手にぞわたされつ、
世のいそしみにかなはねば、 されど死を見てふるふべし 美はしきもの見し人は。
愛の痛みは果てもなし この世におもひをかなへんと
望むはひとり痴者ぞかし、美の矢にあたりしその人に愛の痛みは果てもなし。
げに泉のごとも涸れはてん、 ひと息毎に毒を吸ひ
ひと花毎に死を嗅がむ、 美はしきもの見し人は げに泉のごとも涸れはてん。
アウグスト・フォン・プラーテン 生田春月訳
透麗、たおやか、恥じらい、優雅、気品。ゼピュロス(西風)の息吹く微風の赴くままに、貝殻に乗った乙女がこの岸辺に流れ着いた。ヴィーナスの誕生だ。サンドロ・ボッティチェッリ1485年頃。この女性を初めて見たのは何時の頃だったのだろう。美術の教科書には必ず載っていたしAdobe Illustratorのアイコンで散々見て来た。いつのまにかCGの絵になり品性が損なわれたがCSになり消えてしまった。モデルは「麗しのシモネッタ」と讃えられたフィレンツェ一の美女、シモネッタ・ヴェスブッチ。二十三歳で夭折した彼女の病名は肺結核。焦点の曖昧な眼、微かに紅潮した頬、白い肌、これらは全て肺結核の症状を現していると言う。美人薄命とはこのことか!「何と青春は美しいか。しかし、それは逃げてしまう。歓ばんとするものは歓べ。明日のことはわからないのだから」ロレンツォ・デ・メディチ。輝くルネッサンスの栄光よ…ボッティチェッリの捧げし春の戴冠よ…。「草原の輝き、花の栄光、されどそは暁の露に似たり」「空の空、ああすべての空の空なるかな」ウァニタス(生のはかなさ)と…。
⚫️サンドロ・ボッティチェッリのウェヌスの誕生と春/アビ・ヴァールブルグ著 伊藤博明 監修 富松保文 訳 ありな書房クアトロチェント(15世紀)の芸術家たちに古代への「関心を抱かせた」ものが何であったかを明らかにする。
⚫️ヴィーナスを開く・裸体・夢・残酷/ジョルジュ・ディディ=ユベルマン著 宮下志郎・森元康介 訳 白水社 帯にはフロイト、サド、バタイユを通じて、ボッティチェッリの名作「ヴィーナスの誕生」「ナスタージョ物語」を分析し、エロスの豊穣さに向けた解放と、タトナスの残酷さによる裂開へと導く。とあるが、まさにヴィーナスの解剖にまで至る。「メディチ家のヴィーナス」。クレメンテ・スジーニという蝋細工師が作った異常なほどリアルな蝋模型なのである。開かれた裸体、ヴィーナスの美しさの神秘はどこにあるのか。ダリはヴィーナスの彫像に引き出しを付けたが…。
⚫️春の戴冠/辻邦生(1977)花の聖母教会 – サンタ・マリア・デル・フィオーレ大堂、フィレチェの栄耀と没落、メディチと画家ボテッチェリ、パッツイ家、サヴォナローラの暗躍・・・滅びる故に美しい?
12/ 22nd, 2009 | Author: Ken |
Kind of Blue
藍は藍より出て藍よりも青し、この藍染めのパンツ、ジーンズ誕生130年。カルフォルニアの金鉱堀の衣服がいまや世界を席巻した。
リーバイスだけで35億本以上生産したと言うから、その総数たるや恐るべし。歴史云々は今更なのでお調べいただくとして、かって国民服、人民服などのユニフォームがあったが、ジーンズは地球服だろう。何と言ってもジーンズは衣服の概念を変えたことが一番大きいのではないだろうか。それは「新品より着古した自然体が良い」という概念の転換だ。最近は最初からバイオ・ストーンワッシュなどでエイジング仕上げをしたのが高額で販売されている。これってどうなんだろ?ゴアゴアの木綿を繰り返し洗濯し、色が褪せ、洗い晒し、履き慣れ古びた方が美しい。破れや傷み具合が独特のテイストとなり自分の鋳型を作って行くのだ。あの洗い上げたジーンズに脚を通す感触、これは快感だ。ブルージーンズ、「愛着」という言葉に一番相応しい衣服だ…。
いまやジーンズはあまりにも当たり前の衣服になったが、時代の流れとは面白いものだ。かってジーンズで一流のホテルには入れなかった。こんなエピソードがある。私の姪が関西のお嬢様学校?と言われている神戸女学院に通っていた。ジーンズをみんなが愛用しだした。アメリカ人の女性教師が怒って「あなたたちはレディでしょう!それがジーンズなど野蛮な物を履いてくるなんて!」彼女は怒ってアメリカに帰ってしまった。頑なWASP精神の持ち主だったのだろう。隔世の感がありますね。
…しかしジーンズを作っているのは今じゃアメリカではない。アジア地域の少女たちが縫製しているのだ。その賃金たるや…。地球規模の格差なんですね。そのドキュメンタリーを見ていると複雑な気分になった。ジーパン・Gパン(三島由紀夫の「雨のなかの噴水」だったかジンパンと書いているね)アメ横や大阪の鶴橋に軍の放出品(ステンシルの文字がプリントされていた)、GIの古着を買いに行ったり、割れ物のクッションとして(浮世絵も茶碗なんかのクッションとして大量に海外に行ったそうだ)ジーンズが輸入?されたりしたそんな時代もあった。ブルージーンズ。Levi’s 501、クラシックの名こそ相応しい永遠のアイテムである。
12/ 19th, 2009 | Author: Ken |
青ヒゲよ永遠なれ。
バドミントンの世界王者として活躍した、ジョン・エドワード・ジャック・パーセル。彼の名を冠したスニーカー、これが好きだ。彼は1945年に競技生活を終えるまで一度も負ける事は無かった。1935年にB.F.グッドリッジ社の依頼により、ゴム製のバドミントン靴の開発に携わった。シグニチャーモデルの先駆け的アイテムだ。これが現在のコンバース、ジャック・パーセル・スニーカーだ。つま先のラインはスマイル、ヒールラベルのデザインはヒゲ呼ばれた。つまり青ヒゲだ。まあ、俗に言うズック靴なんだけれど、このシンプルさとクラシックなスタイルが何とも美しい。随分と履いてきたけど数年前に生産しなくなった。復活したのだが、どうも表情が変わってロゴがケバくなったり、素材が変わったりして、慌てたね。そうしたら友人が特別にプレゼントしてくれた。デッドストックを手に入れてくれてサイズもぴったり。もちろん現代のハイテクいっぱいのスニーカーも悪くない。それはそれでいいんだ。
でも、ぼくはジャック・パーセルかオールスターが好きなんだ。トップサイダーも愛用したけど最近見かけなくなった。ジャック・パーセル・クラシック。もう手に入らないだろう…。だからもったいなくて未だに履く勇気がない…。
12/ 19th, 2009 | Author: Ken |
ハミングベース
このレコードには思い出がある。散々な旅行だった。目的地は厳冬のシェットランド。最初のつまずきはアンカレッジ、エンジン不調で2回も引き返した。おかげであの寒いアンカレッジの町が歩けた。スコットランドのアバディーンにやっと到着。シェットランド島を目指しただが悪天候で引き返す。翌日には飛べたのだが大雪の峠で車がエンコ。後のバスに避難した。夕闇が迫りバスの乗客とともに近所のお家に避難。ご迷惑をおかけした。まあ、取材も終わりロンドン、そしてパリ。NYに飛ぶためシャルルドゴール空港へ(あのコンコルドだよ。エヘん!)。またまたエンジン不調で引き返すハメとなったわけだ。航空会社が用意してくれたホテルのロビーでジャズを演っているじゃないか。ハミングが聞こえる…。メイジャー・ホリーだ。彼はベースのアルコ(弓弾き)でオクターブ上をユニゾンでハミングするんだ。スラム・スチュアートが始めたと聞くが、メイジャー・ホリーの力強いベースも格別だ。有名なのではコールマン・ホーキンズとの「ジェリコの戦い」が最高だろう。そのメジャー・ホリーが目の前でハミングしているのだ!彼のライブを聴くなんていまの今まで想像もしなかった。聞き惚れた。ジャケットも買った。当然としてサインももらった(エヘン)どう、羨ましいでしょう?ジャズは様々な楽器の可能性を引き出した。リズム、コード、即興演奏、自由で革新、クリエイティブなんだ。いつのまにか懐かしのメロディーになってしまったが…。ジャズがまだ熱い心を持っていた、そんな時代だった。