12/ 18th, 2009 | Author: Ken |
吉村昭
吉村昭が好きだ。初めて知ったのは「星への旅」ではなかったか。それより「戦艦武蔵」「陸奥爆沈」「海軍乙事件」など太平洋戦争を題材にしたドキュメンタリータッチの歴史小説を貪るように読んだ。「蚤と爆弾」で731部隊のことも知った。戦争の裏面に名も無き多くの人間が生きた事実が浮かびあがる。確かに松本喜太朗の「戦艦大和・武蔵 設計と建造」など建艦技術としての本は知っていたが、人間を視点で書かれた本は新鮮だった。東京初空襲の空母を発見し捕虜となった人の「背中の勲章」や「逃亡」「空白の戦記」。いつしか戦史の証言者がいなくなったことにより戦争は描かなくなったが、明治維新前後の医学、初めて外国を見た人々の漂流記、知を求め続ける人々などを硬質な文体で描いてゆく。徹底した取材を通じて見た吉村昭の眼は、情感を込めない乾いた表現である。だからこそそこに生きた人間がより濃く浮かび上がるのだ。死に際も吉村昭らしい最後だった。
12/ 17th, 2009 | Author: Ken |
機密兵器
「陸軍登戸研究所の真実」伴繁雄/芙蓉書房出版
戦争中旧陸軍の秘密機関があった。陸軍中野学校・関東軍情報部・特務機関などと連携し、秘密インキ、毒ガス
・細菌兵器(731部隊、100部隊)・電波兵器・風船爆弾・ニセ札など、さまざまな兵器・謀略戦兵器を開発した。
怪力(くわいりき)線は電波照射で航空機のエンジンを不調にする研究、殺人光線(1.5mの距離で実験用鼠が死
んだ…要は電子レンジだ。また紫外線ビームで空気を電離し、伝導度が上がったところに高電圧で雷を横に走らせ
るとか、白熱輻射を微細な穴に通しコーヒレントな波を作り、これを多数並列配置し同期させる…レーザー光線。
SF的な研究もあったそうだ。帝銀事件もこの研究員だったの風評もある。
「風船爆弾」最後の決戦兵器 鈴木俊平/新潮文庫 フーセンと言うと何となくユーモラスな感があるが、戦時中
国の存亡をかけて決戦兵器が作られた。勤労奉仕の女子学生の手で和紙とコンニャク糊で作られた、直径10メートル
の風船爆弾、50kgの焼夷弾を積んで偏西風に乗せアメリカを攻撃した。放球された数約9000個、アメリカ大陸に到
着したもの1000個。この奇想天外な新兵器の顛末。…「ふ号兵器」貧はアイディアを産む。
「機密兵器の全貌」原書房 戦時中の技術情報閉鎖のなかでドイツより新技術を導入しようとする遣独潜水艦作戦が
あった。第四次遣独艦:伊号第二九潜水艦がシンガポールまで持ち帰ったMe163とMe262のスケッチ程度の資料から
敗戦間際ロケット戦闘機「秋水」とジェット攻撃機「橘花」が作られた。また電波兵器の研究も興味深い。例えば
南太平洋海戦で猛威を振るった米軍の近接信管(VTヒューズ)も実験では成功していたという。発射時の2万Gの
衝撃も以外に簡単にパスしたという。磁気探査装置(MAD)も日本がいち早く完成した。その他原爆の開発計画、
93式(酸素魚雷)や火薬の研究など研究者の苦闘と軍事技術開発の裏面が伺える。資源を持たざる国、基礎工業力
の劣っていた日本。B29に竹槍、原爆に風船爆弾と揶揄されるが、明治開国より70余年の時代、いまでいう科学的
パラダイムがまだ江戸時代を引きずっていたのだろう。余談だが撃墜されたB29の排気タービンを見た農村出身の
兵が「石臼を積んでいる」と言ったそうだ。彼には排気タービンに形が似ている石臼としか表現できなかったのだ
ろう。そのとき上官は「戦争は負けた」と悟ったという。戦犯としてマニラで絞首刑になった山下奉文将軍は、連
合軍の質問に「なぜ戦争に負けたと思うか?」の質問に、一言 ”サイエンス” と答えた。
12/ 16th, 2009 | Author: Ken |
憑依
「ルーダンの憑依」ミシェル・ド・セルトー/矢橋徹訳 みすず書房
1632年9月末、フランスの地方都市ルーダン、ウルスラ会修道院長のジャンヌ・デ・サンジュに悪魔が憑依した。… 悪魔はほんとうに現われたのか? 神学者=歴史家の著者セルトーは、厖大な原資料から冷静な眼で読説き、集団憑依事件の「真実」を浮かび上がらせてゆく。猛威を振るったペストの恐れか? 宗教戦争による根底的な社会不安か?医学、神学、科学革命を目前に過渡期の懐疑主義の揺れか? 宗教的時代が終わりを迎え、近代が始まろうとする歴史転換期の不安か? 修道院という閉鎖的集団による性の抑圧か?憑依者=修道院長デ・ザンジュ、魔法使い=主任司祭グランディエ、裁き手=男爵ローバルドモン、悪魔祓い師=神父シュランが演じる悪魔劇だ。役者、観衆という舞台で演技してしまう人間。多重人格、催眠術なども術者と被験者との無意識の演技ではないのか。… 幕末のお陰参り、ナチズム、一億特攻、現代にもカルト集団など情報閉鎖された社会に起きうることだ。
「尼僧ヨアンナ」ヤロスラフ・イヴァシュキェヴィッチ/関口時正訳 岩波文庫
ルーダンで実際に行われた悪魔裁判を題材。中世末期のポーランドの辺境の町ルーディン、修道院の若き尼僧長ヨアンナに悪魔がつき,悪魔祓いに派遣された神父は … 。
「尼僧ヨアンナ」監督・脚本:イェジー・カワレロウィッチ
原作:ヤロスラフ・イヴァシュキェヴィッチ 撮影:イエジー・ウォイチェック 出演:ルチーナ・ウィンニッカ、ミエチスワフ・ウォイト1961年ポーランド映画。ぼくはアート・シアター・ギルドの会員だった(大人びてみたい時期ってあるでしょう)。その第一回目の作品ではなかったか。地下にあった大阪北野シネマだった。モノクロの映像が美しかった。ただキリスト教という絶対的なものを持たない日本人には
悪魔の概念がどうもよく分からない。狐憑きなら何となく分かる気がするのだが。
12/ 14th, 2009 | Author: Ken |
FRONT
「戦争のグラフィズム」多川精一著/平凡社 この迫力ある写真は70年前のプロパガンダ誌「FRONT」だ。前にNHKで見た時に正直に凄いと思った。フォトショプや超広角レンズなんて無い時代に手作業でモンタージュし、エアブラシでレタッチをする。デザイナー(図案家)の原広、写真家の木村伊兵衛など東方社の人々が制作したものだ。当時、ソ連のプロパガンダやドイツのR・リューヘンシュタールの「意思の勝利」「民族の祭典」「美の祭典」は勿論見ていただろう。アメリカのLIFE誌を意識していたのかも知れぬ。
対外的に日本の国威や軍事力を誇示する狙いから、費用も潤沢に与えられ、大胆なレイアウト、紙質、印刷など戦前における最高の技術レベルを駆使し、クオリティも極めて高い。本物を一度見てみたいと思っている。国会図書館にあるだろうか。
この97式(チハ車)戦車の写真はどうだ。見開きページのレイアウトテクニックで一枚の写真のように見せ、遠景は合成したとあるが異様な迫力である(前に確か雑誌「丸」で見たことがある)。実物のA3版で見てみたいものだ。落下傘部隊の写真も合成で手前の人物を大きくし、ディープフォーカスの映画的手法だ。いま見てもその力量と自信が伝わってくるようだ。私もデザイナーの端くれである以上、偉そうに言えないのだが、さて、現在の広告を見ると劣化していると感じる。新聞も雑誌もTVも日本映画も、映像で息を飲むようなものがあるだろうか? 残念ながらわが国の現状は「媚び」のデザインに満ちあふれている(アメリカの雑誌には凄い映像とレイアウトを多く見る事ができる。やはり発想、美意識、インテリジェンス、効果など…。悔しいことだね)。これもWebやPC、デジカメの普及で何でもお手軽になったせいだろうか。
この東方社は対外宣伝ということもあって、あの統制の時代にあって海外の資料も見ていたそうだ。また社会主義者もいたし、憲兵や特高に持っているだけで逮捕される本もあったという。1941年にディズニーの「ファンタジア」(カラーアニメーションとクラシック音楽を融合した幻想的映画)や「風とともに去りぬ」も見たとある。これらは戦後の55年に上映された。敵性語まで排他して野球のユニフォームの背番号も漢字であり、ストライクは”いい球!”と硬直していたのだから・・・。
※これを戦後、戦争協力だとか反省が無いなどと批判する輩が多いが(…文化人面して言う人がいるね)、時代も空気も環境も違う。あなたはその時代に、徴兵拒否ができただろうか?また自分の祖国を恥じただろうか?野球だってサッカーだって贔屓チームや地元を応援するじゃないか。情報がほとんど無い戦時中、私ならその時代の空気に染まっていたと思う。
…私もデザイナーという仕事は批判精神を忘れてはいけないと、常々自分に言い聞かしてはいるが…。「戦争のグラフィズム」から写真を使用させていただきました。
12/ 12th, 2009 | Author: Ken |
Blue Sands
深夜0時、Doko Doko Doko Doko Doko Doko Don、押さえたマレットの響きに幻想的なフルートが b♭からオクターブ上がる。
ミッドナイト・ジャズのオープニング、ブルーサンズだ。解説は油井正一氏。耳をそばだて一音も逃すまいとして聞き入る。
手元には大学ノートを広げて解説の要点を急いでメモする。若かったんですね。ジャズが全てみたいだった…。
とにかくバディ・コレットのフルートに参ったね。ギターはジム・ホール。そして映画「真夏の夜のジャズ」ではエリック・
ドルフィーが演奏していた。それがだよ、チコ・ハミルトンが神戸に来たのだ。開演は深夜0時、特別に記者会見にも入れて
もらった。「真夏の夜のジャズ」の映画があり(セロのネイサン・ガーシュマンがバッハのチェロソナタを練習しているシー
ンが印象的)、2時からライブだ。もちろんブルーサンズも演った。フルートはジミー・ウッズ、ギターはあのハンガリー動
乱でアメリカに亡命したギタリスト、ガボール・ザボだ。ボーカルのシルビア・デ・サイルスは美人だった。幕間に彼らが
客席に降りてきて握手やらサインやら。素晴らしい真夏の夜のジャズだった。ぼくもいつの日にかフルートでブルーサンズ
を吹いてみたい!フルコピーして練習したね。いつのまにかジャズに疎遠になりバッハのフルート曲が好きになった。
フルートには魔力がある。何か人の心に触れる音色なんだ。たぶん、人の息づかいがそのままの楽器だからなんだろう。
ブルーサンズ、…今じゃたぶん吹けないけれど。
12/ 12th, 2009 | Author: Ken |
おお!神よ!
アート・ブレイキーが「モーニン」を引っさげて日本に上陸した。ぼくは高校生だったが、いやなんの、凄いの何の。こんな音楽がこの世にあるとは!…。興奮したね。それから金も無いのにJAZZが来日する度にライブに行ったもんだ。左がそのときのカタログだ。いま見てもデザインが素晴らしい。LPはクラブ・サンジェルマンに出演したとき、客席にいた女性ピアニストのヘイゼル・スコットはボビー・ティモンズのソロの途中感きわまって、“Oh, Lord Have Mercy!”と叫んだそうだ。その声もちゃんと収録されているよ。…圧倒的な臨場感、リー・モーガンのtp、ベニー・ゴルソンがts、
猛烈に突進する熱気が凄まじい。ファンキー・ジャズの熱い夜だった。服装も細身のコンテンポラリー・スーツにロールが凄いボタンダウン、靴はサイドゴアブーツ。早速ぼくも真似したね。茶とも紫ともブルーとも見えるイリデッセントのコンテンポラリー・スーツを。次の年はMJQ、そしてまたメッセンジャーズが来日。今度はフレディ・ハーバートtp、ウェイン・ショーターts、カーチス・フラーtbの三管編成だった。ジャズが熱い時代だった。吹けもしないのにトランペットを月賦で買って、一生懸命コピーした。…いやはやお恥ずかしい。
12/ 10th, 2009 | Author: Ken |
心は脳のどこにあるのか?
「生存する脳」(原題デカルトの誤り)アントニオ・ダマシオ著/田中三彦・訳 1848年夏、一人の男が事故にあった。爆破作業中、
鉄棒が左頬から前頭前野部を貫いたのである。フィネアス・P・ゲージ、彼は助かった。しかし人格が変わってしまった…。著者はデカ
ルト的「心身の分離」「脳と身体の分離」という今主流の脳科学、認知科学の暗黙の前提「唯脳主義」に対して挑戦する。そしてソマテ
ィック・マーカー仮説を唱える。「情動」「感情」脳は身体との相互作用により生きているのだ。喜び、悲しみ、恐れ、怒り、嫌悪…
それらは「前もって構造化されている」身体的状態の反応の特徴に対応している。そうした情動に身体が従っているとき、人間は感情を
持つ。ウーン、たしかに「ガラス瓶の中に浮かぶ脳」を考えると一切の身体というセンサーが無いのであるから、その脳は情動も感情も
持たない。それは生きているという自己認識があるのだろうか。また脳を全てスキャニングンしてHDやメモリーに保存できたとしたら、
ぼくがそこにいるのだろうか。…………….ぼくはなぜここにいるのだろう?
「脳と心の正体」ワイルダー・ペンフィールド著/塚田祐三・山河宏・訳 もう30年以上前の本だが、あのペンフィールドが数多くの開
頭手術の実例から導きだした心の正体を探る。人間の心とは何だろう? 一元論による最高位の神経中枢の活動と精神の働きは一つの同
じものであるし、同じものの異なった面である。心は単に脳の働きに過ぎないのか?それとも脳はハードウェアでソフトウェアとしての
心を走らすことか? 二元論の言う「脳」と「心」はそれぞれに関連し合った二つの基本要素であるとするのが正しいのか。ペンフィール
ドは語る。人間は二つの基本的な要素からなるという説明を受け入れる方が、率直ではるかに理解しやすい。と。 ……..どうも「われ思う
故にわれあり」という言葉は正しいのだろうか? それとも「われあり故にわれ思う」なのか?
ハードウェア、ソフトウェア、そして人間の脳はミートウェアだ。
12/ 10th, 2009 | Author: Ken |
発想。
TIMEの表紙が好きだ。映像だけで理解できるのだ。こんな発想はどこから湧いてくるのか? アメリカという多民族国家の文化なんだろう。そして広告産業が磨いた心理学的表現だ。あのエスクアイヤーの表紙を飾ったジョージ・ロイスたちが作り上げて来た伝統だ。黒いフライパンで目玉焼き、黄身が地球、タイトルは「地球温暖化」。棺桶に一本の木、「森林の死」。地球をロープで縛り上げ、「地球の危機」。発想が違うんだ。映像が心に直接的に入るんだ。そのためアートディレクターたちが必死にアイディアを求めている姿が眼に浮かぶようだ。
昔、「奥様は魔女」というTVドラマがあったね。旦那が広告会社のプランナーなんだ。イーゼルに大きなスケッチを描いて悩んでいるシーンがあったね。隣の頭の白い社長が無理難題。「何を召し上がる?」「ぼくはスコッチ・オンザ・ロック、つまみはスモークサーモンがいいな」。魔法をかけると、スコットランド人がキルトを履いて岩に立ちバグパイプを吹いている。つまみは大きな鮭がデーんとしてパイプをくわえている…。
ユーモアの質が違うんだね。そうそうモンティパイソンでは「嵐が丘」を手旗信号でやっていた。「アイシテイルワ・ヒースクリフ」なんて。辛辣な皮肉、メタファー、ユーモア、インテリジェンス。デザインとは人の心に対してデザインすること。そうなんだ!…そしてわが国の週刊誌は…。
12/ 10th, 2009 | Author: Ken |
デザインはエンターテインメントだ。…… わが師。
わが師、繁治照男氏。はじめて会ったのは、ぼくがまだ学生服を着ていたころだ。彼の作品を見て驚いたね。どうすればこんな考えや発想が浮かぶのだろう…。とにかく新鮮だった。他とは全然違った。カッコいいのである。そのころ繁治氏は「NEW JAPAN」の宣伝に勤めていた。彼はサウナの概念を変えた男だ。それまで何となく如何わしいイメージがあったサウナを健康的で明るくしたのだ。「健康な人をより健康に」と。
マクルーハンが流行ったとき「マクルーハン理論を実践しよう!」これがなんとキャバレーの案内状だよ。他にも「割烹日本」「メンズジャパン」など数々の革新的なデザインをし、そして独立した。「日本ブレーン・センター」NBCだ。ぼくはメンズウェア会社で企画・デザインをしていたので、彼のサブとしてディレクションをする機会が多かった。徹夜で作品を仕上げて持っていったら、「あかんわ!やり直してこい」だ。また徹夜して見せたら「うーん、待っとり」、目の前で全部はがしてしまう。指先があっという間にレイアウトしてしまう。ああ、2日も苦労して徹夜したのに。いつしか全体が見えるようになり、そんな技も自然にできるようになった。ぼくたちの会議はいつもバーだった。
「こんどのカタログ、どんなテーマや?」「50年代のボールドルックで行こうかと」「そやな!表紙はイラストで行こ、おまえ描けや」それで終わり。ぼくの頭の中にはイメージができていたから直ぐに見せた。「ええやんか!」。
「次何やね?」「ハードボイルで行こうかと」「アイディアあるか?」酒を飲みながら会話が続く。「探偵事務所のドア越しに狙ったら?どうでしょう」「オモロいなそれ行こ」。早速業者にドアを発注、シルクスクリーンで I Don’t Sleepなんて…。
「おい、次は宝物の争奪戦のテーマで行こや、何がええ」「そうですねー、マルタの鷹みたいに」「OK! 鷹どうするねん」「作ります」早速、東急ハンズに紙粘土を買いにいった。夜中にふとん乾燥機を回し庭で金色のスプレーをした。翌日の撮影ではまだネバネバしていたネ。
彼には酒の飲み方も教わった。北、南、神戸、チェーンスモーカーで酒は底なし。とても追いていけない。二人で南からタクシーで帰ってくると芦屋の辺で夜が明けることが何度もあった。今はもう退職したが月に一度は、缶ビールを持ってぼくのオフィスに来てくれる。早速灰皿、二人で面白い話やデザインについて話す。しかし、頭は電光石火に冴えている。「最近見るべき広告なんてないな!」「ほんとですねー。新聞も雑誌もTVも劣化していますね」「ジョージ・ロイスが先生やったからなー。あれ忘れたらあかんで。
デザインはエンターテインメントなんや」。彼は昔からアカデミックなデザインが嫌いだ。「この人間という生臭い生き物、人間が対象や、ワシらの仕事は」「開高健ですね。人間らしくやりたいな、これですよ」「そーや、人間なんやからナ」…。
12/ 7th, 2009 | Author: Ken |
飛行するデザイン……レシプロ機
鳥は美しい。飛行のために進化という永劫の時間をかけてデザインされたからだ。ジュラルミンでできた鳥も美しい。航空評論家の
佐貫亦男さんは「ヒコーキ」や「道具」のデザインにこだわった方で、その発想法や視点は非常に鋭い。特にレシプロ機の美しさを
愛した方だ。美の基準は様々でユンカースJu52など3発、波板外版、無骨な脚など古めかしいが独特の機能美がある。タンテ(おば
さん)の愛称もその信頼性からきたのだろう。レシプロ機には独特の魅力があり、その美しさには感動さえ憶える。空力的に計算す
れば同じ形になるはずなのに、それぞれ非常に個性的である。それは設計者の意図、すなわち確固としたコンセプトとデザイン性と
いえる。
1.「零戦21型」エース・坂井三郎氏いわく「スピンナーは鼻、両翼端は両手の中指、尾翼は足、零戦は私の身体だ。この感覚は設計
者にも分かりますまい」と語っている。この無類の操縦性は設計者・堀越二郎氏の剛性低下式操縦索、これこそ一番の特徴だと。
無骨なグラマンF4Fと較べると零戦は優美でしなやかな美人の感がある。
2.「グラマンF8Fベアキャット」零戦並の機体にP&W R2800ダブルワスプ2,100馬力を搭載。ギリギリまで贅肉を削った引き締まっ
た精悍さがある。同時期に日本海軍はF6F並みの「烈風」を試作した。仮に戦力化できハ43が期待どうりの馬力を出したとして、
果たしてF8Fに勝てただろうか?
3.「キ77・A-26」流麗な形はどうだ。長距離飛行を狙ったアスペクト比の高い長大な翼、ドーサルフィンが垂直尾翼に続くラインが
実に美しい。満州で周回記録飛行を行い、非公認ながら16,435kmを記録している。2号機はシンガポールからドイツを目指したがど
こに消えたのだろう。
4.「J7W1・震電」鶴野正敬少佐は従来型の限界性能を大幅に上回る革新的な戦闘機を狙った。前翼型(エンテ)、後退翼、推進式の
プロペラのユニークなデザイン。同時代の各国の前翼機と較べてはるかに近代的だ。
5.「FW190」フォッケウルフ社のクルト・タンク技師は速いだけが取り柄のサラブレッドではなく「ディーンストプフェーアト・騎
兵の馬」をコンセプトとして開発を進めた。直線的な簡素なライン、徹底した生産性、整備性、合理性。猪武者にも似たそこにデザ
インを強く感じる。
6.「キ46・一〇〇式司令部偵察機」特に3型/4型の究極なまでに洗練された流麗さ、段なし風防の細身の機体形状、美しさは性能にも
繋がる。高速性と優秀な上昇限度、長大な航続距離。排気タービンを装備した2機の4型が、北京から福生まで平均時速700km強とい
う快記録。その流れを汲むキ83も素晴らしい美しさだ。戦後米軍機用のハイオクタンガソリンを使用し、最大速度762km/hを記録し
たという。
7.「P51H・マスタング」D 型をより洗練させればこうなった。剽悍であって流麗、バランスのとれた悍馬だ。究極のレシプロ機である。
8.「ハインケルHe219・ウーフー」ドイツの夜間戦闘機。一見空冷に見えるがDB603液冷エンジンを装備、前部に集中したコックピッ
ト、腹部のMG151、背にはシュレーゲムジーク(喧しい音楽)の斜銃、新しいコンセプトによるデザインだ。奇怪に見えて美しい。
9.「ジービー・レーサー」この寸詰まり空飛ぶビア樽。R-1は1932 年に開催された「トンプソントロフィーレース」優勝機。パイロッ
トは後の東京初空襲のジミー・ドゥーリットル。大馬力のエンジンで機体を強引に引っ張る設計。異様に太い胴体、スピードという
単一目的のためにこうなった。不細工だが美しい。
10.「ダグラスDC-3」初飛行は1935年、現在まで使われている無類の実用性。軍でも使われC-47スカイトレーン、英軍ではダコタとい
う愛称。日本やソ連でもライセンス生産された。この優れた基本デザインによる抜群の信頼性、特別美人ではないが長年連れ添った
古女房のようだ。楕円翼のスピットファイア、モスキート、P-47サンダーボルトM、あの不細工なF4UコルセアもFAU-4になってス
ッキリ美人になった。「二式大艇」、キ76四式重爆「飛竜」、リパブリックXF-12レインボウなど機能とデザインの美しさは格別だ。