11/ 12th, 2009 | Author: Ken |
この笑顔に会いに行く。
男の顔は履歴書である。という名言があるが、彼の顔こそ、その言葉に相応しい。神戸・三宮にあるサヴォイ・北野坂のマスター、木村義久氏である。30年前の彼の顔を知っているが、当時は痩せていて眉は凛々しく上がり、鋭い眼をしていた。
ところがどうだ、現在は温厚そのもの、眉は下がり(人生で30度も眉が上下することがあるのだろうか?本人いわく、太ってほっぺたの重みでさがったのですよ)と。客を迎える姿勢、満足を提供するバーのテンダーなんだから当然ですよ。と本人は謙遜するが、いやいやどうして、人間性があってこそいい笑顔が作れるのだ。
「顔は心のモニターである」とは私がふざけて言うのだが(そういえば「ため息は心の真実の言葉である」という名言を思い出した)、木村氏の笑顔は最高である。そこで頼み込んで撮させて頂いたのが上記の写真。さるゴルフのグリーンマーカーのモデルとしてお願いした。「ツキを呼ぶマーカー」本当にそう見えるでしょう。
カクテルは彼が世界トロピカルコンテストでグランプリに輝いた名作「ソルクバーノ・キューバの太陽」だ。いまや全国バージョンとなっている。おまけにコンテストの副賞として海外旅行に行った。そこで奥様に会われたのだから正に人生を変えたカクテルだね。
彼もいまやNBA(日本バーテンダー協会)の重鎮として日夜活躍している。この「笑顔」に会いたくて今夜も飲みにいくのかも知れないね。
11/ 11th, 2009 | Author: Ken |
何処へ一徹切り絵旅。
成田一徹氏を紹介しよう。どこかのバーで見たことがあるんじゃいかな。ほら白黒だけの切り絵を。バーを斬らしたら右に出るもの
はいまい。彼のライフワークだ。神戸出身、東京と神戸を行ったり来たり。僕が東京に行けば二人でバーをハシゴ。彼が神戸に帰れば
二人ではしご酒。「バーの扉は日常と隔絶するためにあるんだ」「バーはタイムマシンである」「バーは魂の置き所なんだ」「酒を飲
むためだけじゃない。人に会いに行くんだ」。酒飲みの自己弁護、言い訳、何でもいいんだが、磨き上げられたカウンター、ボウタイ
をビシッと決めたバーテンダー、お手前のようなカクテルの動作。オーセンティック・バーはいいもんだ。
僕の言い訳は「オレ、スポーツ止めて長いだろ、だからバーに行くのはスポーツなんだ。変な顔すんな!そもそもスポーツの語源は
ラテン語で「気晴らし」だ。気晴らしのためにバーに行くんじゃないか!」。…無理があるね。日暮れともなると人恋しくなるんです。
ブログだってそうじゃないかな?何か人と繋がっていたいんですよ。そして日常から少しだけワープしたいんですよ。
だからバーに…。一杯、二杯、ほら少しは心が軽くなったでしょ…。成田さんの好きなレイ・ブラッドベリ「10月は黄昏の国」、お互
いに黄昏を感じる歳になりましたね。人生でいえば10月か?いやいや少年の気持ちさえあれば…。時折り、少年のような表情を魅せる
成田氏。彼のブログ「何処へ一徹切り絵旅」が始まる。足の向くまま、気の向くまま、彼の切り絵の世界を楽しんでほしい。
11/ 11th, 2009 | Author: Ken |
映画は一編の詩である。松林監督
森繁久彌さんが亡くなった。彼の最多出演映画は「社長シリーズ」だろう。その37本中32本を監督したのが松林宗恵監督だ。
今年4月末、友人の切り絵作家・成田一徹さんと監督のお家を訪問した。89歳、お体を少し悪くしたとおっしゃっていたが、頭脳明晰、過去の作品など瞬時に細部まで話が及ぶ。監督にはお聞きしたかったことがたくさんあった。昔見た「太平洋の嵐」全編文語体。ミッドウェーのシーンで「飛竜」の山口多門(三船)と加来艦長(田崎潤)が海底で羅針盤に身体を縛りつけた亡霊となって話す。「みんな勇ましく死んで太平洋にこういう墓場が増えるんでしょうなー」「うむ、もう増やしたくないがなー」。なぜこのようなシーンを挿入したのか?
「私は陸戦隊の隊長としてアモイ島に向う途中、コンソリーデッドB24の2機に襲われた。爆弾、機銃掃射、ラッタルを駆け下りたとき目の前の甲板に私の身体を貫いた大きな弾痕が見えた。てっきり死んだと思った。多くの仲間が死んだ。彼らの言葉を代弁したかったんだよ」。「人間魚雷回天」(日本最高の戦争映画の評)。出撃前夜、岡田英二が従兵(哲学の先生)とカントについて話す。「Es ist Gut これでいいんだ」というシークエンス。ドキュメンタリー表現の出撃シーン。沼田曜一が回天の上に立ち上がり日本刀を抜いて「刀振れ!」このシーンは本当に凄みがある。彼ら6名の隊員には監督の分身として東京6大学から一人づつ配したそうだ。今から見れば特撮はチャチだけれど、戦争を越えて来た「凄み」が違う。夕刻が近づいた。帰り際、監督がテープを聞かせてくれた。軍歌だった。「最近はこれを聞いているんだよ。繁さんもいいね。
…声を殺して黙々と 影を落して粛々と兵は徐州へ前線へ…」。「このテープ2本あるから1本をどうぞ」。成田さんが頂いた。
8月15日、監督の訃報を聞いた。成田さんと二人でグラスを傾けた。「8月15日は監督にとって特別の日だ。その日まで頑張ったんだよ。意志だよ」「そうだねー、皆が待っていて迎えてくれたんだよ」。二人とも黙ったままカウンターに眼を落としていた。今も監督の声が聞こえる「映画はエンターテインメントだよ。あの貧しい時代、一生懸命働いて、その乏しいお金で映画に来てくれるんだ。映画に夢を求めてくれているんだ。ありがたいことだね、だから」…。
11/ 10th, 2009 | Author: Ken |
MEGADETH
「MEGADETH」のライブに行った。何とも強烈な名前だ。熱核戦争が始まれば1メガトンで100万人が死ぬ。あの未来学社ハーマーン
・カーン(昔、日本を持ち上げて「21世紀は日本の世紀だ」なんてベストセラーになった。キューブリックの「博士の異常な愛情」の
ストレンジラブ博士のモデルにもなった)彼が言った言葉で「1メガトンで100万人が死ぬ」と。でも、このメタルバンドはもっと正常
で、もっとまともなことを歌い演奏する。Holy Wars ” 同胞たちが殺し合い血を流す、そんな人殺しは理解できないぜ。俺みたいな愚か
者たちが海を渡って外国に行く、羊どもに尋ねる。おまえたちは信条に従い人殺しをするのか?”…。
この世界への強烈なインパクトだ。本当のことだ。痛烈な批判だ。エネルギーだ。轟音は皮膚を叩き、直接心臓に響くのだ。その音楽
表現技術も並大抵のものじゃない。「グローバルメタル」というDVDを見た。5つの大陸、3つの宗教、1つの種族。世界中を監督サム・
ダン(人類学者)がメタル現場を取材するんだ。ブラジル、日本、中東、インド、中国。メタルファンは1つの種族なんだ。政治や宗教
なんて越えて彼らは繋がっているんだ「メタル」という言葉で。
そう、メロイックサインを振りかざし、ヘッドバンキングしろ!そうすれば分かる。おかげで次の日、首が痛かった。
11/ 9th, 2009 | Author: Ken |
私は眠らない。
I Don’t Sleep「私は眠らない」。もちろん夜は「大いなる眠り」ですが、心だけは眠らせまいぞ、と。起きていても心が眠っていれば、見えるものも見えないし、何も感性として感じることができません。気障ったらしいのですが、「ハードでなくてはやってられない。やさしさがなければやって行く資格がない」と、F・マーロゥを気取ってみたくもなるものです。ハードボイルド。これは男のハーレクインロマンみたいなものだ。タフガイたちが、人間と社会の裏面で活躍する。しかし、心の奥底には誰にも侵されない矜持を持って…。
泣かされるじゃありませんか。ストイシズムなんだ、痩せ我慢なんだ、あえて楽な道、金や名声に背を向けるツッパリなんだ。
そして人間という愚かであって愛すべき、このどうしようもない存在を肯定せざるを得ないんだ。…生きているんだからナ。人間に一番近い霊長類、チンパンジーは何故いつも笑っているんだ。ゴリラはどうして不機嫌な顔をしているんだ?そう、人類の親戚として「チンプは人間の愚かさを笑い、ゴリラは悲観し沈思しているんだ」。ハードボイルドに行きたいものだね。
11/ 9th, 2009 | Author: Ken |
映画が先生だった。
映画はイベントだった。ビデオもDVDも無い時代だから映画を見に行くということは特別の日であるわけだ。デートは喫茶店か映画が定番だったネ、ご同輩。シネコンと違い、23 × 12mもある凹面に湾曲した巨大スクリーンに我を忘れて魅入ったものだ。「2001年宇宙の旅」2001年なんて遠い未来だと感じていたが、何とまあ、とっくに通り過ぎてしまったネ。特にお気に入りはヒッチコックだった。「めまい」「北北西に進路を取れ」「鳥」そして、あの「サイコ」。お洒落なんだ。お上品なんだ。楽しませることを熟知しているんだ。映画はエンターテインメントだ!とほくそ笑んでいるんだね。
そして何と言ってもソール・バスのタイトルバック。もちろん、あのダダダダダーン!「黄金の腕」「オーシャンと11人の仲間」いまならFlashやAfter effectで簡単(カンタンでもないか)に作れるけれど、PCなんて影も形もない当時だよ。余談だが「めまい」ネ。あれコンピュータを使ったなんてほとんどの人が孫引きしているが、あれはフォト・ペンジュラムだと思うよ。暗い部屋にペンライトを吊るして回転さす。その軌跡をシャッターを解放させて撮すんだ。僕もやったことあるモン。そして、そしてだよ。「ウエストサイド・ストーリー」プロローグも素敵だし、終わりの落書までもがデザインされている心憎さ。他にもいっぱい、いっぱいね…、
ソール・バス先生。あの暗闇の中で期待に胸を弾ませ、息を詰めて見つめた世界。…映画が先生だった。
11/ 8th, 2009 | Author: Ken |
イラストレーションに昂る。
イラストレーションが好きだ。学生時代、ベン・シャーンが好きでわざわざ竹ペンを削ってずいぶん真似したもんだ。ある日、Men’s Wear(ファッション誌というより業界誌だね)。そこで眼を見開いたよ。まさに瞠目というやつだ。1962年だった。
CHAMP HATという帽子の広告のイラストレーションが、何とまあ! 色彩、ダイナミズム、表現、テクニック、新鮮、驚きが迫ってきた。ボブ・ピーク氏だ。それからメンズウェアやエスクワイア誌を探した。PURITANのゴルフウェアの広告、夢中で集めた。…でも、当時洋書なんて売っていなかったしお金もなかった。僕は夢中で真似しましたね。それからメンズウェアの企画やグラフィック・デザイン、その他デザインの世界で、今まで行きて来た。少し恥ずかしいけれど、未だにボブ・ピーク・スタイルのイラストなんだ。(我ながら情けないね)
彼はそれから映画のポスターを描き始めた。「マイ・フェアレデイ」「キャメロット」「スタートレック」「スターウォーズ」どれもこれも素晴らしかった。
そしてスポーツ・イラストレーテッド誌ではウォルト・スピッツミラー、バーニー・ヒュークス、もちろん大御所のリロイ・ネイマンも忘れることができない。小松崎茂の戦争画、山川惣治の少年王者にも昂ったけれど、生頼範義の描く飛行機や軍艦の戦争画にはドラマ性と異様な迫力がある。その奥にあるドラマと緊迫感、悲劇性があるんだ。CG全盛の時代だがCGは何か薄っぺらいんだ。どうしても機械では手から伝わる思い入れや力が入らないんだね。描く人の想像力と筆力、感性、そして人間性。だってイラストレーションは人が見るものだから…。
11/ 8th, 2009 | Author: Ken |
水張り、烏口、面相筆。
デザイン学校に通っていた頃、課題がLPジャケットのデザインだった。われ御幼少の生意気盛り、18歳だった。数年前からモダンジャズの洗礼を受け、金もないのにハマっていたのですね。そうだ、!ホレス・シルバーをフェスティバルホールで聞いた頃だ。JAZZしかあるまい。プレイヤーは誰がいいか?そうだクリス・コナーを聞いたばかりだ。MJOもいい、マイルスもローチもいい…。
早速、水張り(木枠にケント紙を張り水で濡らす。乾けばパンパンになるんだ)、烏口(鳥の嘴に似た製図器に墨汁やポスターカラーを入れて線を引く道具)だ。面相筆(細部を描く時に使う細い筆)、後は溝尺(尺に溝があって、それに沿わしてガラス棒と筆、お箸みたいに使う)道具はこれだけローテクそのもの。文字さえ手で描くレタリング(いまはフォントと言うね)。当然としてMACやパソコンはSFにも登場していなかった。涙ぐましいと言うよりイジらしいじゃありませんか(お恥ずかしい…)。
40年の時は過ぎそれらは何処にいったやら? かろうじて2枚が手元に残る。我が青春の思い出、「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず…」。軽んじたんだろうナ。いまだに…。御照覧頂きお笑いください。
11/ 7th, 2009 | Author: Ken |
Jazzが先生だった。
ヰタ・ムジクアリス:生意気ガキンチョの頃、ラジオでプレス
深夜にジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」を聞いた。 これだ!これだよ!これ
高校生1年生だった。級友が「モダンジャズ行けへんか?アート・ブレイキーや」「芸術壊し屋ってなんや?」「とにかく行こ!」大阪フェスティバルホール2階奥、400円だった。凄い!世の中にこんな音楽があったのか!ドラムが皮膚に突き刺さり、ベースは腸(ガッツ)を振動させ、テナーは心臓を揉み、トランペットは耳朶を揺がす。そして、ピアノは血管を駆け巡るのだ。アドレナリンが高まり、恍惚状態になった。凄い!凄い!これがモダンジャズか!「モーニン ウイズ ヘイゼル」ヘイゼル・スコットとともに呻く…。それからジャズ喫茶通いが始まった。場所は南の「バンビ」。当時LPレコードの輸入盤は2000円以上もしたし、アルバイトは日給400円だった。それでも無理をして1枚づつ買っていった。中身よりジャケットに魅せられていたのかも知れぬ。ブルーノート、特にJ・マクリーンが好きだった。あの引きつったようなアルトソロ。ミンガスのピテカントロプスも聞いていたし、M・デヴィスやK・ドーハムとのセッションも知っていた。でも「Let free-dom ring」には参ったね。中身も最高だしジャケットのデザインが…。それがリード・マイルスのデザインなんだ。
「いままでとまったく違う!これが、私たちの求めていたものだ!」ブルーノート・レコードの創始者、A・ライオンはこんな感嘆の言葉をリード・マイルスに贈ったそうだ。思い出すままにジャケット・デザインでカッコ良かったものを揚げれば、H・シルバーの「ブローイン・ブルース・アウェイ」、M・ローチ「WE INSIST」、B・エヴァンス「アンダーカレント」L・モーガン「SIDEWINDER」S・ロリンズ「Plus 4」「ヴィレッジバンガード」「橋」、MJQ「ヨーロピアン・コンサート」、M・デヴィス「ヴィチェズブリュー」…。ああ、切りがない…。あのワクワクドキドキしながら買ったジャケット。いまはもうCDになりi POdになりYou Tubeだもんね。夢があまりにも即物的だね。「真夏の夜のジャズ」を撮ったバート・スターンの映像、数多くのジャズ写真の名手たち。
そしてミスター・リード・マイルス。みんなみんな先生だった。
11/ 7th, 2009 | Author: Ken |
雑誌が先生だった。
デザインという言葉を知ったのは何時頃だったのだろう? それまでは図案と言っていた。
インダストリアル・デザインの草分けレイモンド・ローウィがデザインした煙草ピースのモダンさと、そのデザイン料に子供心に驚いたものだ。そういえば進駐軍が吹かしていたラッキーストライクも彼のデザインだ。デザインなど皆無の世界に育った者として、街の古本屋で見かける、リーダーズダイジェスト、ライフ、ポスト、マッコール、セブンティーン、などの洋雑誌に輝くイラスト、写真、広告はきらびやかで豪奢で、夢とモノと豊かさに溢れていた。
ダッグウッドが夜中にサンドウィッチをパクつき、毎朝ボウタイを締めバスを追いかける。映画では冷蔵庫がありシャワーがあり、ポンティアックやスチュードベーカーとジャズが流れていた。いつしか図案?を学ぶようになり、古本屋漁りを始めた。
その中でも一際輝いていたのが大判雑誌「エスクワイアー」だ。そのカッコ良さといったら、もう! 発想が根本的に違うんだ。映像が全てを理解さすんだ。皮肉とユーモアとウィット。デザインとはこのことなんだ!と眼から鱗だったね。
女性が泡を顔に塗りたくってヒゲを剃っている。「アメリカ女性の男性化」だって…。アンディ・ウォホールがキャンベルの缶に溺れている。J・F・ケネディ、R・ケネディ、M・L・キング牧師の三人が墓地に立っている…。またカシアス・クレイ(モハメッド・アリ)の身体に矢が刺さっている。聖セバスチャンの殉教だね(三島由紀夫もやっていたネ)。…徴兵を拒否したアリは殉教者だと。インテリジェンスが違うんだ。大胆なんだ。大人のデザインなんだ。このアートディレクターは誰なんだ? それがジョージ・ロイスだ。
彼の名を長く忘れていたのだが、トミー・ヒルフィガーがデビューした時のエスクワイアー誌の広告。これが何とも…。見開き6ページなんだが、最初の見開きはネイビーブルーにブルックスブラザーズのロゴ、Biforだって。次はグレイピンクにラルフ・ローレンのロゴ、そして、トミーのマークでAfter…。正直憎たらしいと思ったよ。
時は過ぎ2007年に見つけたね。ICONIC AMERIKAアメリカの象徴という写真集。ぺージを開けば、眼鏡をかけて3D映画魅入る観客のあの有名な写真、隣のページはハート型サングラスのロリータ。全ページこんな展開。聖と俗、古いと新しい、これがアメリカ文化だ!ダイナミックで繊細で、ジョークとユーモアとシニカルな眼。ジョージ・ロイス健在なり!だ。一見、無造作に思えるレイアウト。ところが計算されつさくれているんだ。そして直感に訴える。心憎いとはこのことだね。偉大なる怪人、奇才、天才。
どこかの文化人面しているデザイナーとは大違いだね。ジョージ・ロイス先生ありがとう。