8/ 7th, 2010 | Author: Ken |
The Road
垂れ込める暗雲、草木は枯れ果て、雨、雪、寒さ、飢え、すべてが灰に被われ、荒涼と廃墟の世界、襤褸の防寒着を纏いショッピングカートを押しながら父と子が行く。核戦争か小惑星の衝突か、天変地異が起った後の核の冬を彷彿させる死の世界だ。
その災厄の日に産まれた息子、10年が過ぎ母は自ら死を選んだ。一緒に死んで欲しいという母の言葉を拒絶し、少年と父親は生き延びるため南を目指す。道には人を獲物とする「人狩り」食人集団。父は1発だけ残った拳銃を少年に渡し「食われる前に銃口を口に入れ引き金を引け」と教える。そして自分たちは「善きもの」であり「魂の火を運ぶもの」であるから決して人肉は口にしないと…。
この神さえ死んだ絶望の世界で子どもの純真さだけが救いなのか?
ストーリーやドラマ性もさることながら、必見は映像である。CGを極力控え押さえることでドキュメンタリー的リアリズムを持たし、灰色に汚れ荒廃した世界が、優れた報道写真のような美しさへと転化される。今まで原作を超える映像の映画は無い「風とともに去りぬ」が唯一越えた映画だ。との伝説があるが、それは小説という文字の配列、読みから喚起され想像し、作り上げる自分だけの幻想と映像だからだ。だから他人が作ったものには違和感があって当然だ。しかし「ザ・ロード」は原作に忠実であるとともに、私の場合はデジャヴュのように共感でき再現された映像だった。それは規模は局地的かもしれないが「神戸大震災」で実感したからか?…
そして思わず前に読んだ「天明の飢饉」を想像してしまった。火山の降灰と寒い夏に、荒廃した土地を捨て人肉を食し彷徨する飢えた人間を….。飢渇、人間最大のタブーである食人、想像するだけで悍さに身震いするが、一線を超えれば常体と成りうるのも人間だ。
また少年があまりにも無垢に描き過ぎではないかと少し不満を感じたが。
あの「方丈記」にある養和の飢饉では「その思ひまさりて深きもの、必ず先立ちて死ぬ。その故は、わが身は次にして、人をいたはしく思ふあひだに、稀々得たる食ひ物をも、かれに譲るによりてなり。されば、親子あるものは、定まれる事にて、親ぞ先立ちける」。とある。
愛し合う夫婦は、その愛情が深いほうが必ず先に死んだ。なぜなら、わが身より相手をいたわるので、ごくまれに手に入った食べ物も相手に譲るからだ。だから、親子となると、決まって親が先に死んだ。…確かにこれが「善きもの」であり「魂の火を運ぶもの」である人間の人間たる崇高さなのだろう。
愛する者のための自己犠牲は変わらないが、理解としてはキリスト教文化の欧米人と私たちは微妙に異なるとこだ。
●原作「The Road」コーマック・マッカーシー(2006年)ピューリッツァー賞を受賞。早川書房。
●映画「The Road」John Hillcoat 監督 ヴィゴ・モーテンセン、コディ・スミット=マクフィー、ロバート・デュバルほか出演。
★よくある終末物テーマで、「マッドマックス2」それをヒントに「北斗神拳」、父と子とショッピングカートで冥府魔道を彷徨うのは「子連れ狼」そのものじゃないか。関東地獄地震後の「ヴァイオレンス・ジャック」とか、他にも「オメガマン」等など…。