2/ 12th, 2013 | Author: Ken |
TV、そしてボクシングに昂る…そんな時代も。
街から人と車が消えたことが何度かある。1969年7月20日、アポロ11号の月面着陸だ。そして1974年10月30日、コンゴ(当時 ザイール共和国)の首都キンシャサで闘われたWBA・WBC世界統一ヘビー級王座ジョージ・フォアマンにモハメド・アリが挑んだ一戦だった。
もちろん僕も期待と興奮で待ち望んだのだ。ほら吹きクレイことカシアス・クレイの”Float like a butterfly, sting like a bee” (蝶のように舞い、蜂のように刺す)華麗なフットワークと鋭い左ジャブは大男で鈍重なヘビー級の概念を変えたのだ。そしてモハメド・アリに改名、激しくなったベトナム戦争を背景に徴兵を拒否、ヘビー級王座を剥奪され、3年7か月間ブランク、そして実力で王座奪還を果たし復帰、折から高まった公民権運動にも積極的に参加、黒人差別への批判的な言動を繰り返した。
その頃のチャンピオンは「象をも倒す」と言われたジョージ・フォアマンだった。年齢的に最良の時代に試合が出来なかったアリはもう全盛期を過ぎたと見られていたのだ。…試合にはイライラさせられた。アリはロープを背にガードを固めてひたすら打たれるだけ。あの軽やかで派手な闘いぶりを期待していただけに、フラストレーションが積もり悪態をつきながら…..ラウンドが過ぎていった。
フォアマンも打ち疲れた。8ラウンドだった。一瞬の隙をつきアリのワンツーが炸裂、フォアマンが崩れた。あっけないKO勝利だ。これを「キンシャサの奇跡」と呼ぶそうだが、アリはクレバーな ” rope a dope ” という戦法だとうそぶく。フォラマンは一服盛られたのだという噂もあるが(そういえばdopeには麻薬の意味もあるね)、アリは奇跡を呼ぶ男として名声を不動のものにした。
60年代、エスクアイア誌が輝いていた。あの名アート・ディレクター、ジョージ・ロイスのアイディアと機智に富んだ表紙に驚いた。僕はデザイン学校に通っていたのだが、英語も分からないくせに古本屋で見つけては眺めていたのだ。どうしたらこんな発想ができるんだ? それ以来、学校の課題も稚拙な頭で考え制作提出した。成績は悪かったですね。日本のデザインの世界には、こんなデザインは通用しないのだ。レイアウトもノンデザインに見えて、実はダイナミックで神経が行き届いているのに。アリに矢が刺さった表紙なんて、 グイド・レーニかソドマの「聖セバスチャンの殉教」だ。それが「モハメッド・アリの受難」!このウィット! 脱帽だ!
TVが熱かった。ボクシングが燃えていた。そんな時代だった。ファイティング原田 vs キングピッチ戦に万歳を叫び、カミソリパンチの海老原、黄金のバンタム、エデル・ジョフレ、ロープ際の魔術師ジョー・メデル …..いつかアリも猪木と闘うモンキービジネス化し、ボクシングもマイク・タイソンの頃から試合を見なくなった。いまは全く見ない、いや見たくないのだ。まず階級が多すぎる。いつのまにこんなに増えたのだ。だからやたらとチャンプが多い。おまけにK兄弟だなんて…..フッ!。デフレ現象、低品質の安売りのオンパレードだ。スポーツもエンターティンメントだと分かってはいるさ。しかし、プロレスもキックボクシングもK1もいつしか消えていった。いろいろと問題も多いが「相撲」はまだ歌舞伎と同じく、あの古式に法り命脈を保ってはいるが….。どうだかね。