4/ 30th, 2010 | Author: Ken |
Aaaaaa Aaaaaah Aaaaaaa…….
ターザン、カンボ、ゴルゴ、タルマンガニ、ロタ。何語かお分かり? そう、訳すると「ターザンは密林の野生の人で笑う」。とこうなる。
生まれは由緒正しきグレイストーク卿の忘れ形見である。類人猿カラに育てられターザンとは「白い皮膚」という類人猿から蔑まされた呼称である。そして語学の天才、何しろ亡き父親の小屋で発見した絵本で言葉をマスターし読み書きもできるのだ。
フランス語もアラビア語も類人猿語も…。そして、あの雄叫び。アーアーアーの咆哮に痺れてしまうのだ。ぼくたちに流れる原始の血が騒ぐんですね。超人的身体能力、悪を憎み、血湧き肉踊る活躍、トンデモ荒唐無稽、支離滅裂SFであってもスパーヒーローなのだ。
エドガー・ライス・バローズ先生に拍手喝采だ。1912年生まれのターザンがいなければ少年王者も少年ケニヤもいなかった。
映画では6代目ジョニー・ワイズミュラー、10代目レックス・バーガー、ジョック・マホニー、クリストファー・ランバートしか知らないが、元オリンピック水泳で5つのゴールドメダリスト、ワイズミューラーが最高だ。できたらシュワルツェネッガーもターザンに出演してほしかった。まあ、ハワード原作の「コナン」には出ているけれど。
そして、コミックではバーン・ホガースだ。漫画家・イラストレーターでありながら「美術解剖学」の著書もあり20世紀のミケランジェロとの異名を持つ。これがまた素晴らしいのだ。克明な描写力、的確な筋肉図、ダイナミックな肉体表現、ダヴィンチ的解剖図から生まれたデッサンだ。ぼくも憧れて随分真似したものだがモノにならなかった…。永遠のヒーロー、ターザンに乾杯!
4/ 29th, 2010 | Author: Ken |
キッチュ?
連休の始まりである。ゴルフ好きの人にはたまらない季節だろう。もうプレイはしなくなったが、ダンロップ・フェニックス・トーナメントには思い出が深い。1974年の第一回目から宮崎に行っている。ジョニー・ミラー、ヒューバート・グリーン、トム・ワトソン、ジャック・ニクラウス、セベ・バルステロス….。世界の強豪のプレイを目の当たりにして興奮したものだ。
ぼくはウェア、グッズやショップの企画をしていたのだが、どうもゴルフウェアには何か違和感と戸惑いを感じていた。ぼくは努めてトラディショナルでオーセンティックなものを求めていたのだが、世間は違う。ド派手、オッドでストレンジな奇妙な衣服。言葉は過ぎるが「悪趣味」の代表みたいなものがフェアウェイを闊歩するのだ。プロは広告塔だし、1打が百万、千万円の博打みたいなものだから、勝負師ウェアでいいんだ。
だがアマチュアはもっとシックでアマチュアらしさを着て欲しかったのだ。まさかニッカーボッカーズが現代のものとは思わないが。しかしブランドを大書きしたり、これでもか!という強烈な補色、大胆?で妙な漫画入りやキッチュ感覚には正直身を引いてしまう。まあゴルフ場という特殊な場所で着る特殊なウェアだからからいいんだろうが…。
そして競泳みたいに0.0何秒で競うでなし、ハイテクウェアもスコアにはあんまり直接関係ないと思う。1926年にはボビー・ジョーンズがジ・オープンでアウト33、イン33、33ショット、33パットという完全スコアがあるし、1934年にはヘンリー・コットンが65という驚異の数字がある。ヒッコリー・クラブにガタパーチャ・ボールの時代にね…。
そういえば’30年代のエスクアイア誌に「ウェアがスコアに貢献することは無いだろうが、自信あるウェア、誇りある着こなしは深いバンカーや窮地に陥ったときに勇気を与えてくれる...」とある。
ウェアとはそのようなものなんだろう。ネクタイという妙な習慣だってあんな紐、ビジネスやコミュニケーションの手段としての実用があるから続いているんだろう。…真面目さ?の表明だね。ゴルフというゲームを楽しむためには「趣味が良く快適で自信の持てるウェア」が永遠の真実なんでしょうね。だってゴルフはメンタルで、紳士?のスポーツっていうじゃありませんか!
4/ 26th, 2010 | Author: Ken |
メランコリーの妙薬
人間は「自分で自分を騙す」。楽観という夢を見たり、一瞬にして悲観に落ち入る事もある。どうもヒトの脳の前頭前皮質は、複雑な認知行動、成果予測、目標、行動に基づく期待、社会的行動のコントロール、そして人格の発現に関わっているらしい。
だから「楽観と悲観」は未来を洞察するから生まれる。…不安の概念、死に至る病、考えてしまうんだね。
また歳を重ねると残された時間や自分の無能力感、不条理な人生を思うとき鬱になるのかもしれない。
鬱の時代である。これからの生き方と日本はどうなってしまうのでしょう?という会話をよく耳にする。日本には何でもある。ないのは希望だけだ!と。格差社会、高齢化、不況、失業、高自殺者率…。なんともやりきれない鬱陶しい気分と自信喪失。
バブル崩壊から20年、明日が見えない日が続く。神戸では大震災もあった。高齢化により日本の凋落が始まったというが、別に世界第二位の経済大国でなくってもいいし、そんなことを誇る必要もない。十倍もの人口がある中国やインドがGDPも大きくなるのは当たり前だ。単純に十倍も飯を食うんだよ。かって日本がイギリス、フランス、ドイツを追い越した頃、ヨーロッパの国々は日本をどう感じていたのだろうか。……あれほど期待した政権交代も迷走と失望だけであるし、マスコミというTV、映画、出版、新聞などの質の劣化は進んでいるし、政治家の醜悪な媚態は眼を被いたくなる。
その点、インターネットの方がチョイスするのは自分だからはるかにクールに見れますね。
ああ、何とかしてくれ!という叫び声が聞こえる。プロザックなど向精神薬、それとも酒でも飲まなければやっていけない時代なのか? それとも偽薬プラシーボでも調合してもらうしかないのだろうか。(placebo:ラテン語で「私を喜ばせる」は、本物の薬に見えて効く成分は入っていない偽物の薬の事で、二重盲検法による医師(観察者)からも患者からも不明にして行う方法で投与しその効果を探る)。これは病気より人間を対象とする心理学、社会科学的意味のほうが大きいように思われる。
演歌の歌詞で「だまし続けて欲しかった…」なんて、大本営発表でもいい希望(まれなのぞみ)を信じたいんですね。人間は。ご利益宗教、怪しげなサプリメント、磁気ネックレス、ヒーラー、携帯依存の友達ゴッコ…..。何でもいい、自分を騙す「メランコリーの妙薬」が欲しいんですよ。そして人間そのものは数千年変わっていないんですね。
ギリシャ神話のパンドラの話はほんとうに皮肉だ。開いてはいけない箱を好奇心に駆られて開くと、あらゆる悪霊や災いが吹き出した。慌てて蓋を閉じると中には「希望」だけが残った、と。
4/ 24th, 2010 | Author: Ken |
遠い国の戦争。
「イラク戦争なんだったの?!」市民検証集会に行って来た。悪の枢軸、大量破壊兵器、フセインの圧政と、様々な理由で2003年に強行されたイラク戦争。「大義なき・石油のための戦争」と多くの反対と疑問を持ちながら、わが国も自衛隊を派遣した。そこには空爆の下に逃げ回り、死んだ人々がいるという現実より、戦争報道はまるでTVゲーム、映画、スポーツ観戦のように見えた。
….何か遠い国の別次元のような世界だった。あれから7年、イラクは混迷の度を深めている。
まず高遠菜穂子さん(03年よりイラク支援に関わり、04年ファルージャ近郊でイラク武装グループに拘束される。現在、破壊された学校を再建する「ファルージャ再建プロジェクト」をイラク人と共にすすめている。「イラク・ホープ・ネットワーク」代表。「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」呼びかけ人)のお話があり、ついでワセック・ジャシムさん(「イラク青年再建グループ」のスタッフとして人道支援活動に尽力、現在ファルージャで中学校英語教師)のお話だった。彼は04年11月2度目のファルージャ総攻撃直後、米軍が避難民に遺体返還した時の様子を撮影し、国際社会に大きなインパクトを与えた。正視に絶えられない映像である。
異常に焼けこげ、異様な青さの死体、破壊された遺体、これが民間人なのである。イラク国民2500万人の内5人に1人が難民であるといわれている。また劣化ウラン弾なのだろうか、出生異常の赤ちゃんが急増しているという。愚かな大統領と軍産複合体、戦争請負企業、最も豊かな国々が、最も貧しい国で行う暴力。これが世界の現実で人間なのだと開き直られても、答えに窮してしまう。
「遠い国の戦争」と言う前に、どこかでわたしも加担しているのだから。でも、わたしに何ができるのだろうか…。
4/ 21st, 2010 | Author: Ken |
火星の顔
不気味な赤い惑星、戦いの神マルス、H.G.ウェルズの「宇宙戦争」、オーソン・ウェルズの「火星人襲来」、スキャパレリのカナル、ローウェの運河…。緑の小人やベム、タコ形火星人、アシモフの火星人の解剖図(カテゴリーTOYBOXに載せています)。楽しさ抜群である。4月15日、オバマ大統領も2030年半ばまでに火星有人飛行を目指すと表明した。まさに興味津々ですね。
1976年バイキング1号が撮影した火星シドニア地区の写真の中に長さ3000m、幅1500mに及ぶ巨大な人面岩が写っていた。NASAは「光と影の悪戯で、たまたま人の顔のように見える面白い地形」とお遊び?で発表したが、いやNASAはあえて隠蔽している。それは火星に古代火星人の遺跡があると発表すると世界が動揺するからだ….。また火星人が地球に飛来してエジプト文明を築いたとか、人面岩が涙を流した跡がある、眼球や歯もある、傍にピラミッドがあると、まことしやかに語られている。
一昔前のフォン・デニケンが大喜びしそうな話だ。1996年にはマーズ・グローバル・サーベイヤーは高解像度のカメラを搭載し、鮮明な写真で火星の高精度地形図を完成させ、そして2001年に人面岩やピラミッド撮影した写真が公開され(B)、これは自然物であるということが確認された。また、ニコニコマークに見える地形(E,F)もあるが、なぜこれを遺跡として取り上げないのだろう。
2006年には欧州宇宙機構(ESA)マーズ・エクスプレスが撮影した人面岩の立体画像も公開された。
人間は3つの丸が並んだ逆三角形を見るだけで顔を連想してしまう。これはロールシャッハやシミ、木陰の濃淡で心霊写真などの顔が見える現象で、SF作家のフィリップ・K・ディックの小説から取られたシミュラクラ(類像現象)と呼ばれている。
A)1976年の写真、確かにバッハみたいな顔に見えますね。話はこれから面白くなってくる。
B)2001年の写真、なんだかチンプに似ているね。B’)早速チンプの写真にエンボスをかけて階調を反転したらこうなった。
C)Bの写真の階調、フィルター処理、左右対称にしたら、なんだかヌードに見えますね。C’こんなイメージかしら。
D)Bの写真のコントラストを高め、左右対称に。能面か、いや三葉虫にも見える。能面ならD’のようなものか。幽玄の世界ですね。
E)F)火星にはこんなニコちゃんマークもあるのだ。…..やはり火星人は凄い。直径215kmという巨大なクレータであり、Happy Face Craterと呼称されている。…人面岩を問題にする人たち、どうしてこれを問題にしないのか不思議である。
●「火星の人面岩はなぜできたか」ヴァルター・ハイン 赤根洋子/訳:文芸春秋:….これは明らかに地縛霊であると言って!
●「火星のモニュメント」リチャード・C.ホーグランド著 並木伸一郎訳 宇佐和通/訳 東京学研:火星には人面岩など
人工構造物の古代遺跡が数多く存在し、NASAはそれらの事実を隠蔽し続けている!…..何で隠すのか教えて!
4/ 19th, 2010 | Author: Ken |
どうして僕はここにいるのだろう。
桜も散った。ドッペルゲンガーじゃないが自分で自分を見ていることがある。青二才でもあるまいが自分とは何かと考えてしまう。
果たして「心」というものがあるのだろうか。美意識、洞察、愛、憐憫、判断…これらは計算不可能なものである。この水とタン
パク質のジェリーみたいな脳のどこかに「心」が存在しているのだろうか。
私とは何だ?…親から受け継いだDNAと肉体をベースとして、私とは記憶である。記憶喪失になれば自分が自分で無くなるのだか
ら当然だろう。じゃ記憶とは何か?….脳のニューロンとシナプスで化学物質のキャッチャーが増え固定されると記憶になる。
また海馬では経験は核感覚器官で感知された電気信号を一時的に記憶すると説明してくれる。じゃ物質の化学変化なのか?
じゃ、考えるとは、意識とは、クオリアって何だ?
面白い仮説がある。数学者・数理物理学者ロジャー・ペンローズの「量子脳」だ。要は量子論における「重ね合わせ」から「客観的
な波動関数の収縮」(objective reduction・OR)から意識が生じると。彼は脳のニューロンにあるマイクロチューブルにおいて、
意識を支えるのに要求されるような性質を持った「OR」が起っているいると提案している。マイクロチューブルはチューブリン
(微小管)と呼ばれるタンパク質のサブユニットから構成され、チューブリンのなかで量子力学的な重ね合わせ状態が出現し、その
ままコヒーレント(波動関数の位相が揃った)な状態に保たれる。ある質量・時間・エネルギーの「しきい値」に達するまで、他の
チューブリンの波動関数を巻き込んでいく。こうしたプロセスの結果、システムが「しきい値」に到達したときに、波動関数の自己
収縮「OR」が起こる。コヒーレントな重ね合わせ状態を「前意識的プロセス(計算状態)」、波動関数の収縮を「一つの離散的な意
識的イベント」と見なし、このような「OR」が次々に起る事によって「意識の流れ」が生ずるのである。
….ほんとうにそうなのだろうか、ぼくの細胞は原子で構成され、ある秩序を持ってぼくがある。極端な「汎精神主義」をとった場合、
意識はすべての物質が持つ性質なのだろうか。それとも物質も心もマクロの観測するものがいるから存在するというのだろうか。
紛れも無く物質でできたぼく、「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」と言うが、花もぼくの身体も日々代謝し変化し、動的
平衡にある流れが生命であり、ぼくなのだろうか。 …….心から心にものを思わせて身を苦しむるわが身なりけり 西行
●「心は量子で語れるか」ロジャー・ペンローズ 中村和幸/訳 講談社:他にも「皇帝の新しい心」「心の影」林一/訳 みすず書房
●「ペンローズの〈量子脳〉理論」ロジャー・ペンローズ 竹内薫・茂木健一郎/訳・解説 ちくま学芸文庫
4/ 17th, 2010 | Author: Ken |
少年ケニヤだ!
〜大密林にとどろくは少年王者の叫び声、黒いひとみにバラのほほ、翠の髪をなびかせて天にそびえる大木を、枝から枝へと飛びまわる、少年王者の勇ましさ〜
始めてこの少年に会ったのは、ぼくがこの少年より小さかった頃だ。興奮したなー、血湧き肉踊り眠れなかった。でもみどりの髪というのは理解できなかった。真吾、すい子、アメンホテップ、魔人ウーラが入り交じり万能薬「緑の石・マキムリン」を求めて大活劇。もちろん歌詞は憶えているが歌えない。メロディーなんて知る由も無かった時代だ。
そして「少年ケニヤ」だ。友達ん家の産経新聞を毎日見せてもらっていた。ワタル、ケート、老ゼガ、巨像ナンター、大蛇ダーナ。恐竜は出てくるわ、タンガニーカ湖を泳いでわたるは、巨獣との格闘、原住民との戦い、特に克明なペン画による躍動する動物の迫力、酔いしれた…。毒々しいと思えるほどの表紙だった単行本を何冊か持っていたのだが、時は過ぎ復刻版が出たので迷わず買ってしまった。やはり記憶にある猛獣のデッサンが素晴らしい。でも、山川惣治先生はケニヤに行ったのは相当の高齢になってから初めてアフリカの大地を踏んだのだそうだ。連載の頃にアフリカなんて遠い夢でしかなかった。想像力だけで描いたのだ。
まあ、お手本としてエドガー・ライス・バローズのターザンがあった。映画ではジョニー・ワイズミューラーがアーアーアー!コミックではバーン・ホガースが最高だ。….ぼくたちも木の上に家を作ったり、ロープを垂らしてジャンプ、池に飛び込んだり、弓や槍を作ったり少年ケニヤみたいな時代だった。残念ながらあんなカッコいいナイフではなくて「肥後の守」だったけれど…。
そうそう、リヴィングストン探検記も忘れてはいけないね。スタンリーとの邂逅の感動的場面なんて。そりゃ、もう!
4/ 15th, 2010 | Author: Ken |
ボーイデアル…美しき理想。
1933年に創刊されたEsquire(エスクァイア)誌。「趣味がよく、スタイル感覚に優れ、そして優れた品質を尊重する男」というBeau Ideal(美しき理想)がドグマだった、と編集長アーノルド・ギングリッチが述べている。まあ、そのダンディなことといったら!「キリマンジャロの雪・1936」ヘミングウェイやフィツジェラルドが掲載され、ヴァーガスのピンナップ、そして何といってもルイス・フェローズが描くファッション。男が輝いていた時代だった。パーティからアウトドアライフまで、着こなしと洗練、豊かさに満ち溢れ、当時大活躍していたフレッド・アステアやボビー・ジョーンズの世界にタイムトリップしてしまう。60年代に初めて大判のエスクァイアを古本屋で見つけ感激した。あの天才アートディレクター、ジョージ・ロイスの素晴らしいとしか言いようのない表紙に眩惑されたのだ。そして中身の豊かさとカッコよさ、洋画と同じく文明の衝撃だった。
いつしかメンズ・ファッションの仕事をするようになって、サンフランシスコの古本屋で30年代のエスクァイアを見つけた。ナックナンバーすべてを揃えて欲しいとその場で注文した。….400冊余が届いた。ページを繰る度に正直唸ってしまった。「ここにすべてがあるじゃないか!」「30年代に完成していたんだ!これがベーシックなんだ!」…。大事にファイリングしていたのだが、あの阪神大震災で消えてしまった。落胆この上ないのだが、幸いにも表紙、フェローズのイラスト、素敵な広告や特集記事はポジフィルムに納めてあった(いまならPCにデータ保存できたのにクヤシイね)。いつしか小型版になり日本版も出版されたが2000年を境に買う事も止めてしまった。仕事もパソコンになり、情報もインターネット中心になったからだろう。でも、ずっしりと手応えのある大判の重みはLPジャケットを手にしたときと同じく忘れ難い。
4/ 12th, 2010 | Author: Ken |
To bee, or not to bee, that is the question.
「タイトルの綴りが間違っているぞ、beeではなくbeだよ。文学の知識なしだね、ホームズ」。
「初歩だよ、ワトスン君、ぼくが引退して何をやっているか知っているだろう。実用養蜂便覧、付・女王蜂の分封に関する緒観察を読んでほしいものさ、だからBeeでいいんだよ」。
おもしろい男に会った。蓬髪巨体、さる大学の教授様なのだが英文学の研究と仰せられる。シェイクスピアかブロンテかと訪ねると、庶民の歴史なんだと…。思わず膝を乗り出しましたね。得てしてこの手の顔に童心をかいま見るのでルイス・キャロルかも知れん。何しろ笑顔がチシャ猫的である。じゃ、あの探偵は?と問うと破顔一笑、ウィスキーをグッと飲み干し、したり顔で宣う。最近さる会合で「なぜホームズはライヘンバッハの滝に落ちたのか…アルプスをめぐる想像力」と講演をしてきた。いるんだ時々、こういうオジさんが。ベーカーストリート・イレギュラーズがそのまま大人になった男だ。嬉しくなってきますね。
ぼくは隠れシャーロッキアンなのだが研究倶楽部にも入っていないし、ロンドンも上ッ面しか知らない。でもガス灯と霧にむせぶ19世紀の倫敦を想像するだけで楽しくなる。文学者でジャーナリストのW・コベットは倫敦を「グレイト・ウェン(オデキの親玉)」と言ったとか。その闇のなかでで世界初の諮問探偵が活躍するなんて…。何しろシャーロック・ホームズが快刀乱麻の推理力で解決する話は何回読んでも尽きせぬ魅力がある。聖典(カノン)を克明に読み解き新発見と新説を論じていく。架空の人物でありながら、これほど実在感のある人もいませんね。まあ、何しろ英国民謡の「埴生の宿」でも歌われているのだから。
〜 There’s no place like home 〜 だが、これが間違い。正しくは 〜 There’s no police like Holmes 〜 だ。
4/ 12th, 2010 | Author: Ken |
外骨さん、大好きだ!
こんな凄い人がいた。宮武外骨(慶応3年1867〜昭和30年1955)、ジャーナリストにして世相風俗研究家、反骨とパロディに徹し面白可笑しく世相を批判した。あのマイケル・ムーアだって真っ青になる人だ。あの明治時代にここまでやるか!
とにかく「頓智研法発布式」として「第一條、大頓知協会ハ讃岐平民ノ外骨之ヲ統括ス」と大日本国憲法発布を皮肉って不敬罪に問われ入獄3年8ヶ月。その生涯で入獄は4回、罰金・発禁などは29回に及んだ。その「頓智協会」設立のお知らせも効いている。
「美玉も琢磨せざれば光輝に発せず私剣も砥礪せざれば断割に適せず(古い々ゝ)、本会は一名活機転用学校と称い、専ら時に応じ変に臨んで利用すべき頓智を発育養成するを主義とし、広く会員を全国に募集す。余の名前は「宮武外骨」である。…ついては、この主旨を十全に理解し、今後の頓智の縦横無尽なる活躍に期待せし紳士諸君であるならば参加しない手はないであろう。余の今後の活動に賛同するものは余の居宅にその旨送りたし」。まさに空前絶後の宣言ですね。
そして「滑稽新聞」を創刊し記事の大半を自ら書いた。時事批評から下世話な世相まで、毒を仕込んだパロディー精神、さらに挿絵もなかなかである。…怒り脳天に達し頭がカチ割れたイラストなんか、それはもう! 当局が「滑稽新聞」に対して発行禁止命令を出せば、外骨は先んじて173号を以て「自殺号」として廃刊。しかし翌月には「大阪滑稽新聞」を出すなど何とも奮っている。傑作なのは「真の写真」として自分の顔に墨を塗り紙に推し当てる顔拓。娘が鏡で化粧、映っているのは骸骨。鋏が男女の顔で接吻、タイトルが「切っても切れない仲」。アールヌーヴォーはハイカラ繪にあらず日本古代模様の化物。….とか、当時の写真加工まであったり広告まで楽しめる。彼はアートディレクターだ。デザイナーだ。クリエィターだ。
大正5年(1916)にスコブル面白くて、スコブルためになると、月刊誌「スコブル」を創刊し。大正6年には衆議院選挙に再び選挙違反告発を目的として立候補。投票日前に「落選報告演説會」の告知を出したり、落選後予定どおり開催した。…まあ何と。そのアイディア、ウィット、遊び精神、パロディ、斬新、奇天烈、モダン、ナンセンス、行動…。とても常人には真似できない生き方だが、現代の企画・デザイナーを遥に越えている。とにかく凄い、単なる奇人ではなく真のヴィジュアリストと僕は尊敬している。
外骨さん、大好きだ。
●「宮武外骨・滑稽新聞」赤瀬川原平・吉野孝雄 編:筑摩書房 復刻版(全6冊)別冊「繪葉書世界」
●「過激にして愛嬌あり」吉野孝雄 筑摩書房 ●「外骨という人がいた!」赤瀬川原平:筑摩書房